肉子ちゃんと、親としての僕に会ってきた/映画感想

「漁港の肉子ちゃん」を見た。

理由は簡単で、プライムデーのためにプライム会員になったからだ。

有料ではなく、無料おためし期間。
そうなるには条件があるらしく、幸い僕にはその資格があった。(大袈裟)

これは楽しみ尽くさねばもったいないと思い、PrimeVideoのリストと睨めっこしていてふと目に留まった、というのが経緯である。

気になってはいたがあえてレンタルするほどの熱量もない、そんな感じだったので渡りに船だった。

かの師匠がどないな映画にプロデュースしはったんやろ思て、僕はそれをiPhoneのストレージに押し込んだ。


人間は感情の揺らぎを楽しむ生き物

基本的にネタバレはしないでおこうと思うので詳細には語らないが、内容としてはいわゆる「感動ポルノ」というやつだ。

小学生ゆえの子どもらしい悩み、仲直りまでの葛藤などよくあるストーリーで、師匠らしさといえばところどころ耳にする芸人のアフレコ程度のものだ。

そしてクライマックスは親子の絆が見える感動的なシーンで感動的な音楽を流し、肉子ちゃんは号泣。
涙が涙を呼ぶ演出のオンパレードだ。

斜に構えたふうに聞こえるかもしれないが、そう言っている僕はクライマックスで目頭が熱くなって奥歯を噛み締めた。
子どもがいて感情移入しない人を探す方が難しいだろうと思う。

そして同時に、いかに「感動ポルノ」と揶揄されようと、僕たちはこれでいいんだろうなとも思った。


葬式は自分の明日のための儀式

人間は社会性動物となってからずっと感情と共に生きてきた。

嬉しい時もあれば悲しい時もあり、時には振り回されながら、みんなそれなりに上手く付き合ってきているのだ。

誰かが死ぬのは悲しい、知った人を見送るのはなおさら。

でも、だからこそ儀式は僕たちのために必要な事なんだろう。

死んだ誰かを悼むことで助かるのは、死んだ人ではなくそれを悼む人の魂だ。

そうやって踏ん切りをつけると決めた「儀式」を行うことで、生きている人たちは明日も笑って生きていける。

「感動ポルノ」だって似たようなものだと思う。

たしかに作り手の御涙頂戴のポーズは見える。
でもそれで救われたり、大事なものを再認識したり、スッキリして明日を生きられる人がいるならそれでよかろうなのだ。

いかに頭でっかちになろうと、僕だってそうなのだ。

久しぶりにこういう映画を見たので、なんとなくこんなことを考えてしまった。



最後に、僕は僕の子どもたちがとても好きだ。
そして十数年後のいつか、子どもたちとの今を思い出して静かに泣くんだろうなという予言とも言える確信を持っている。

そのとき子ども達から「なに泣いてんの」と笑われる程度には、良い関係でいられたらいいなと思う。

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