小さな違和感の先に見えてくるものについて
(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)
自分のやってみたい生き方をするために、自分なりに頼りにしていることがあって、それは
「なんかちょっと違う」
という、小さな違和感である。
これは確か前にも書いたかもしれないけれど、その「なんかちょっと違うなあ」という、どこかはっきりとしてはいないし、その時点では何がどう違うのかも自分でわかりきれていない違和感が、後になって「ああ、こういうことだったのかも」とわかることがよくある。
例えば僕は、数年前にそれまで全くといっていいほど経験もなく、興味もなかった「畑で野菜をつくる」ということになんとなく興味を持って、「あ、そうだ畑をやってみよう」という、それはもしかしたら今につながる直感だったのかもしれないけれど、その時はそんなことも考えずとりあえず畑を始めてみた。
家には僕が畑をやるスペースがなかったのだけれど、ラッキーなことに親戚の家で使っていない畑があったので、そこを使わせてもらうことにした。
最初は何が何だかさっぱりだったから、「初めての野菜の育て方」みたいな本を買って、本に書いてある道具をそろえ(形から入るタイプである)、本に書いてある通りに土を耕したり、肥料を入れたり、草をとったりした。
そうやって、まあ他の人の畑でも見るような土が表面に出ていて、マルチシートをしいて、まわりには草がないというスッキリとした畑ができあがった。
自分でそうやって、初めて畑を形としてつくったことは嬉しかったのだけれど、その時に「うーん、なんか違うんだよなあ」という小さな違和感を感じた。
そしてその時は、それがなんだったのかよくわからなかった。
それがわかったのは、そうやって畑をつくり始めて割とすぐだった。
どうやってたどり着いたのかは覚えていないのだけれど、たまたま「自然農」という、畑で野菜を育てる方法を見つけて「ああ、これだ!」とピンときた。
それこそつい最近になって畑での野菜づくりを始めたばかりなのに、その自然農という存在を知ったら、それを無性にやってみたくなって、これまでの畑づくりをぴたっとやめて自然農に変えた。
畝をつくるのは最初の1回だけ、いわゆるお店で売っているような肥料も使わない、マルチシートもしかない、草も刈りとるけれど、根っこから抜かないで、刈った草は畝にしく。
つまり土の表面が見えないというか、ほとんど草でおおわれた畑になる。
そうやってできあがった新しい畑は、草は生えているし、これまでのやり方からしたら「これが畑?」という見た目なのだけれど、その畑を見たらはっきりと「自分はこれがやりたかったんだ」ということがわかった。
そしてその時の小さな違和感、そしてそこから自分の感じた方向へ進んだことは、今の自分に間違いなくつながっていると感じる。
自分のことってわかっているようで、さっぱりわからないものだなあとその時もよく思ったし、それは今でも同じである。
ただ、自分の心はちゃんと自分の好きなこと、やりたいことをわかっていて、それを「なんかちょっと違う」という小さな違和感で僕に教えてくれているように感じるし、だからこそこれからもその小さな違和感を頼りに、面白い方向へと進んでいきたい。
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