未来掲載評(工房月旦) 2023年10月号

未来2023年10月号掲載

花の名称をよく見る、花盛りの号であった。

ヴィオラなる冬の小さき紫を華やぎ被ふ朝の綿雪 廣庭由利子
ヴィオラの花が咲いているのを見つけた。美しい風景を人に伝えたい。誰かと喋るときや、文章にする場合は、「紫色の小さなヴィオラ」というように説明するだろう。ところが歌として詠み、この語順にすることで、自分の発見した、感動的な紫が際立って輝くのだ。そこに雪。なおさら明るい風景が、季節の楽しみが伝わってくる。この一行で、たんまりと癒しを摂取できる。
 
思ひがけぬところへ伸びし野茨の蔓に鋏を入れかねてをり 松村敏子
日常生活を、しっかりと自分視点で捉えている。人間らしさが見えて、面白い。「そこには手が届かないなあ」と困っている様子とも取れる。しかしぜひ「これはこれで、良いんじゃないか?」と、思いがけない美と出会った歌だと思いたい。野茨との距離感も絶妙。勝手に育った野茨は、他人でも身内でもない。鋏は自分の手にある。自分の美意識と、思いがけない場所で向き合っている。
 
感情が先に生まれた 飛ぶ鳥のかたちでひらく白い木蓮 さとうはな
作者の作歌ポリシーなのだろうか。一瞬心が動き、言葉が呼び起こされ、かたちになる。短歌は心を羽ばたかせてくれる。ときに忘れがちな、大切な基礎を詠んでくれていると感じた。木蓮の花びらは厚く、見る者を圧倒する力がある。本物の鳥よりも印象に残るかもしれない。一字空けが重要で、読者を立ち止まらせるスピード感も巧み。
 
二年後のあの被害者と五年後のあの被害者がいるフェス会場 三浦将崇
どうしてこの人は、楽しいフェス会場をこれほど残酷に詠めるのだろうか。各地から様々な人が集まる場所だから、説得力があって、本気で怖い。しかもおそらく敢えて、被害者のみを挙げている。犯人は一体……(きっとこの会場には居ないはず……)と想像せずにはいられない。三浦劇場に嵌められた。今ここに集い、一体になって音を楽しむ人々。フェスを終えればバラバラに人生をゆく。我々は偶然に生かされている。
 
育休に僕も入りますといふ後輩もまた航路を辿らむ 小泉キオ
当事者たちの歌であり、貴重だ。子どもがこの世にやってくること、それからの子や親の人生などはもちろん航海だ。道なき道である。誰かと同じルートは辿れない。自分が後輩のコンパスになろう、とはしない心境が、この航路の厳しさを感じさせる。状況から、自分が先行者の立場だとわかるので、リズムを調節しても良いのではないか、と感じた。
 
ぐらぐらと水を炙ればT-faLのとれてはならない取つ手がとれる 太刀花秒
水を軸にした連作、最後の一首。ティファールの電気ケトルは完璧な製品だ。しかし多少粗く使えば、呆気なく脆い。「炙る」から、荒んだ様子を想像した。とはいえ、ぐらぐらする原動力がある。この一連は、水に関する無力の表れよりも、自身が荒むほうを見つめ、爆発しようとする躍動に見えた。壊してはいけないけれど。「とれてはならない取つ手」も面白い捉え方だし、口にするとなお楽しい。

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