未来掲載評(工房月旦) 2023年9月号

未来2023年9月号掲載

階段にへばりつくよう青蛙よくよく見ると唾棄されしガム 森本耕史
ガム!?しばらく見ていない。蛙もしばらく見ていない。驚いたからよくよく見たのか。平成的な光景だが、なんとなく、平成のガムは階段にへばりつくような力は乏しそうな気がする。やはり最近久々に、どこかの階段で見たのだ。同じ頃に、同じ道を通ったけれども全く関わりのない、どこかの誰かについて想像してしまう。

土曜午後地下鉄御堂筋線に首都にはあらぬ風を感じつ 工藤京子
怒涛の上句は具体的。それが下句で、風のように跳ね返ってくる。どんな風だ?と思わせてくるのが、この歌の強さだ。地下鉄を利用するとき、風が異様だと感じたことがある人は多いだろう。作者はその本質を「首都にはあらぬ」と表した。しかしそんな風は東京でも吹く。何が違うのか。実際に歩いてみないと拾えない感覚だ。今週また大阪行くので、ちょっと気にしてみます。方言のことかもしれない。首都らしい風とは、と想像する。平凡な日常がどうにか今ある、有難みすら生まれてくる。

帰省する時にだけ来る駅だった東京駅へ絵を見るために 須﨑友文
駅は場所を繋ぎ、人生を繋ぐ。東京駅という果てしなさが、人生とも呼応する。今日はどこかに移動するわけではなく、絵を見に行くのだ。しかも同郷の画家の絵を、東京駅に見に行く。ゆったりと現れた作者を、東京駅も歓迎してくれたことだろう。長い長いつながりの中、今ここに自分がいる感慨が、連作最後の歌にも表れている。

八朔にわたしはなろういったん闇につむじを埋めて 小川ゆか
五七七七。この作者独特のリズムなのだろうか。ひらがなの連続が長く、息継ぎが不安になるので、見た目で緩急をつけるか、やはり間を置き上句を完結させるべきかと考える。それにしても清々しい歌である。ちょんとヘタのある八朔と、人のつむじがリンクするのは自然な関係だ。八朔は皮が厚い。私の祖母は包丁を使って剥いていた。へこみにくさを感じる。頭を離れがたい事があっても、自由に眠れる人はさっぱりとしていて、きっと八朔の才能がある。

ひもすがらちいさな沼をかんがえる その停滞が胸にやさしい 花島照子
ゆったりとした歌の中に「停滞」という鋭い単語が置かれ、バランスがよい。沼は意外なチョイスだが、人の手が入っていない、あるがままという印象がある。池や湖なら綺麗に手入れしたくなる。ここにあるのは沼だ。「停滞」とは沼の水面であり、時間でもある。想像の沼から受けるイメージと、余暇を持てることまで含んで、癒しなのだ。

アラームの出囃子の音に目が覚める三月始めの受診日の朝 道家俊雄
ちょっと笑い、すごくいいなと思った。比喩でも事実でもユーモラス。連作の最初の歌であり、がん検査の歌が続く。検査の様子が違うと、この歌の印象もまた違ったのだろう。大変な中でも、三月の明るさのある歌でよかった。アラーム音によって、自分の体に「今日は頑張るぞ」と言い聞かせる。さすがに目覚ましにはできないけれど、何かのタイマーに出囃子、私も試してみようか。

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