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「できない自分」をどう生きる?

お疲れさまです、きなりです🍥

落ち着きのない子と言われ続けてきたわたしですが、自分なりに集中できる方法を考え実践することで、この1年で5つの資格を取ることができました!

資格勉強を続けることで「集中するにはどうしたらいいだろう?」「そもそも集中するってどういうことだろう?」と考える習慣が増えました。その成果物として、昨日はこのような記事をアップしました。

どうやらわたしにとって資格勉強は、単に資格や知識を獲得するだけの活動ではなかったようです。

そこで、わたしにとっての「資格を取る意義」についてお話していこうと思います。ちょっとエッセイよりかもしれません。

勉強は自分と向き合う時間

勉強をすると、自分の得意なものや苦手なものが顕著に現れてきます。勉強科目や分野ごとの得手不得手はもちろん、元々備わっている性格や好みとしての得手不得手のどちらも出現してきます。

得意なことはまあ放っておいても伸びるんでしょうが、苦手なことについてはどうアプローチをするべきかを考えることを迫られます。

「自分」って案外分からないです。そもそも何が苦手なのか、直面するまで分からないことが多い気がします。ようやく苦手分野が判明したとて、どう対策を取ればいいのかなんてすぐに思いつかないですし、言わずもがな人間はロボットとは違うので、対策をとったからといってすぐさま改善されるなんてこともないです。

苦痛、でしかないです。”できない”自分に延々と向き合わされるのは。その間ずっと”苦手分野”は苦手のままで、圧し掛かってくる。

勉強はしておくに越したことないのに、必ずしもすべての人間か好んで勉強するとは限らないのって、そういう苦しい要素があるからだと思います。

実例として、わたしの「落ち着かなさ」について

わたしの場合、勉強するのは自分の「落ち着かなさ」を突きつけられる時間です。

……思えば、この連載の当初から「落ち着きがない自分」を題材にしてきましたが、具体的にどう落ち着かないかはあまり言及してきませんでした。

例として、一部をご紹介すると

○話の途中で別のことを考えてしまい、その間外界を完全シャットアウト
人の話を聞くときも読むときも同じです。
物語の背景描写として「カレー」という表現があったら「そういえばおばあちゃんのカレーにはお揚げが入ってたな。噛むと染みたルーがじゅわっとあふれ出ておいしいんだよあ。”噛むとじゅわ”と言えば『○○』って小説にもおんなじ描写あったな。あれはトンカツだっけ?メンチカツだっけ? ”メンチ”ってどういう意味だろ。睨むことを”メンチ切る”っていうけどあれと関係あるのかな。気になるなー!」と頭の中で独り言が炸裂します。この間、カレーの香りや揚げの嚙み心地もリフレインするので、全知覚が自分の世界に没入しちゃいます。

○ノートのレイアウトは自分ルールに忠実
レイアウトの体裁をやけに執着する癖があり、文字数や下線、枠、マーカーやカラーペンはメーカーにこだわりがあり、自己採点をするときの丸・バツの位置にまでルールを決めていました。こういう”体裁”が崩れるともやもやして、仮に授業中・会議中であっても板書そっちのけで体裁を整えたり、イチからやりなおしたりしてました。

○暗記が苦手。特に固有名詞を覚えられない。
英単語や地名を覚えるのが苦手で、学生時代の暗記科目は軒並み赤点でした。さあ暗記するぞ、と構えると、途端に脳に薄い膜を張ったようになって、頭に入れた名詞を跳ね返すんですよね。100回書いても、100回読んでも、頭に入りませんでした。100回がダメなら500回、それでもだめなら1000回…と意気込んでいたのですが、悠長に勉強しているように見えたのでしょう。時間をかけすぎだと親や教員によくしかられました。

他にもありますが、ひとまずここまで。
上記で上げた内容は、現在でも相変わらずです!💪 特に学生時代は、こうした自分の癖が赤点や成績という結果(しかもよくない結果)になって返ってくるので、自分は勉強ができないんだと苦しくなることは何度もありました。

できないことを不問にする

大人になってから「自分は勉強ができない」と分かった上で資格勉強をするのは苦痛でした。子どものころからできなかったことが、歳を取って突然できるようになるわけないので。

でも、裏をかいて、できないことを不問にする方針で対策をとったら、”できないなりにできる”ようになりました。

具体的な例として、先に上げたわたしの”できない”に対してとった対策として、

○話の途中で別のことを考えてしまい、その間外界を完全シャットアウト
「気になる…」と突然よぎったことは、まずはメモに書いておいて一旦後回し。あとでたっぷり調べたり考えたりする楽しみとして取っておく。

○ノートのレイアウトは自分ルールに忠実
”自分ルール”に忠実になることを逆手に取り「絶対にレイアウトをつくっていけない」というルールのノートを作る。また”○○(科目や用途)専用ノート”を作ると、必ず科目・用途に適したレイアウトを考え、適応し始めちゃうので、専用ノートは作らない。すべての科目・用途が一つになったごちゃまぜノートを使う。

○暗記が苦手。特に固有名詞を覚えられない。
逆に覚えていることから傾向を見出す。
英単語はすかんぴんだけど、文法を覚えるのは大得意という事実から(レイアウトの件と似てますが)ルールを覚えるのがたぶん得意。なので、英単語を覚えるときは丸暗記せず、語源や成り立ちを調べるなどして対策。

というのが「できないことを無理にできるようにするのではなく、いつものやり方を少し変えて、できないことを不問にするようなやり方」です。できないことに直面するルートを避けて、できないことが問題として表出しないように勉強に励んだ結果、”資格取得(合格)”という結果に繋がりました。

成功体験としての”資格取得”

資格の取得を目指したのは、何よりスキルアップが目的でした。ですが、実際に勉強期間を経てみると、スキルアップだけではなく情緒・精神的な側面にも作用したように思います。

合格を頂いたとき「落ち着かない」ことで落ち込んでいたあの頃の自分をひっくるめて認められたように感じました。できないことができないままでも、資格という成果を得ることができた。やればできるもんだ。

もちろん合格だけがすべてではないです。スキルアップを目指したこと。資格試験を受けることを決めたこと。勉強をコツコツ続けたこと。できなかった問題が正解するようになったこと。合格までに積み重ねたことすべてが成果だからきっと結果が不合格でも「自分はがんばった」って自分で自分を認めてあげられたと思います。

過去の記事で、タスクを実行する際は「”達成感”の強いものから着手する」ように述べました。こういった成功体験を少しでも多く獲得する為、という意図があったりします。

……大げさな話でしょうか?

でも、実は、今日までの連載では「資格勉強のやり方」を主題にお話を進めてきましたが、本当の主題は別にあり、いわゆる自己肯定感を高める営みを沢山の人に取り組んでほしいという、一個人として願いによるものなのでした。

なので、正直、自己肯定感を高めるためであれば資格取得でなくともなんでもいいんです。

(中でも資格勉強をおすすめしたのは、資格勉強は(一部を除き)誰でも受けられ、基礎から教えてくれるので初心者でも参入しやすく、得た知識や合格という結果は仕事を始めとした実生活にも直接役立てることができるという利点があるからです)

さて、明日の更新で「落ち着かないわたしの集中法」シリーズの更新はいったん区切りにしようと思います。明日は、改めて「"自己肯定感"を高める営みを沢山の人に取り組んでほしい」と思った経緯を整理し、記事にしたいと思います!

さて、今日もお付き合いいただいてありがとうございました!
明日もよろしくお願いします🍥

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