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岡田拓郎のこと。そのルーツと人

はじめに


岡田拓郎。この生粋の音楽家/ギタリスト(…時に文筆家でもある)は、デビューしてから10年ほどのコンパクトなキャリアの中で、綺羅星のような珠玉の作品たちを世に送り出し、また、今を映した時代の音楽の探求者として、誠実な葛藤を続けてきた稀有な存在だ。エリック・クラプトンやデュアン・オールマンといった、在りし日のギター・ヒーローたちをルーツに持ちながら、はっぴいえんどを端に発する日本語でのメロディーと作詞の融和性/調和性へこだわり、ジム・オルークを通して出会った数々の実験音楽/インプロ/アンビエント/ノイズなどの『非音楽的音楽』へのアプローチなど、彼の華奢で繊細な指先から紡ぎ出されるうつくしいフレーズとそれを取り巻くアトモスフェリックなアンサンブルには、多様で幾重にも折り重なった複合的な音楽背景が見え隠れする。森は生きている〜ソロ〜サポート/プロデュース活動などを通底して流れる、たとえそれが『ポップス作品』であったとしてもひしひしと感じられる『端正な音響作品としての良質さ』の秘訣は一体どこにあるんだろう。これまでのキャリアの集大成とも言える、彼にとってのヒーローたちが集結した最新作、『Betsu No Jikan』の発表を控える今、足早に彼の歩みを振り返ってみたいと思う。

音楽の原体験_クラシックロックから、ブルースへと


岡田拓郎。1991年生まれ。東京都福生市育ち。小学五年生でフォーク好きの父親の影響と、家で流れていた高中正義『ブルー・ラグーン』に触発され、ギターを始める。

岡田 楽器を始めたのは小五でしたね。うちのおかんは音楽をきくのが好きで、洗濯のとき、いつも高中正義が流れてたんです(笑)。「ブルー・ラグーン」とかききながら、ぼくも「あれ、かっこいいな」と思って、あるとき訊ねたら、「この人はギタリストだよ」って教えられたんです。うちのおとんはもともとフォークとか好きだったんで、家にもフォーク・ギターがあったんで、それをいじり始めたのが最初でした。

- Hatena blog   森の話より


拓郎、という名前は、父親が吉田拓郎が好きだったためつけられた、という逸話や、子供の頃から家で流れていた音楽に耳をそば立てていた、というエピソードからも音楽に理解のある家庭でそだち、早い時期から音に対する感性が萌芽をみせていたことが伺える。その早熟な感性は、のちに彼自身も連載をもつほどに深く関わっていくことになる、一冊の本によって、次第に次なる音楽の森へと分入ってゆくことになる。リットーミュージック刊の『Guitar Magazine:スライドギター・ギタリスト特集(2003年8月号)』である。

ギターマガジン2003年8月号

そもそも僕は“ギター・マガジン育ち”なんです(笑)。小学6年生の時に、ジェシ・エド・デイヴィスやエリック・クラプトン、デュアン・オールマンが載っているスライド・ギター特集号(2003年8月号)を買って読んで、ギターを始めたんですよ。で、生まれが福生の米軍基地の近くで、ブルース・セッションができる場があったので、よくリトル・フィートやザ・バンドなどを聴きながら中学生くらいまで育ったんです。だから、いわゆる王道のクラシック・ロックを経験しながらずっとギターを弾いていました。

- ギターマガジンWeb版ギタリスト人生名盤10
岡田拓郎「王道とは違う視点を」より

エリック・クラプトン、デュアンオールマン、ジェシ・エド・デイヴィス、マイク・ブルームフィールド、ジョニー・ウィンター、サニー・ランドレスいったブルースを色濃く背景に持つロックギタリストの特集で、『Slidin' into Heart』と銘打たれた、アメリカン・スライドギターへの入門編と言った内容で、王道なクラシックロックのギタースタイルを全身に吸収するきっかけとなった。また彼の生まれた街・福生(ふっさ)はもともと、米軍の駐屯地だったこともあり米軍向けのクラブなどが散在し、ブルースロックギターなどがライブで反応が良かったために、そういった演奏で腕を磨く機会にもめぐまれていたようだ。


福生のライブハウスでひたすらライブを重ねる
(チキンシャックでのライブの様子→

スライドスタイルのギターでいえば、岡田さんの滑らかで艶っぽいペダルスチールギターのスライドによる装飾音(それはどちらかと言えば西海岸のカントリー/ウェストコーストのロックサウンドでの使われかたに近いが)は、この頃の体験が色濃く残っているようで、森は生きているやソロ名義作品でも、随所に散見され、彼の作品のカラーを決める重要な要素の一つになっている。

そんなわけで、アメリカの南部のギター音楽へとのめり込んでいった彼の興味は、その源流を辿るように、『10代の頃はそればかり聴いていた』、という『アメリカの南部の黒人たちによる悲哀の歌 =Blues』へと遷移してゆくことになる。

 10代の頃は本当にブルースばかり聴いていました。多分、当時東京都の中学生で最もブルースを聴いていたひとりだと思いますよ(笑)。

 クラプトンやレイ・ヴォーンなんかが入り口になって、彼らがフェイバリットに挙げる作品を片っぱしから聴きました。ヒューバート・サムリンとマジック・サム、ブラインド・ウィリー・ジョンソンがフェイバリットでしたね。嫌な子供だったので、“三大キングはモダンすぎるね”とか言っていて(笑)。

 その中でも特にヒューバート・サムリンが大好きで、ハウリン・ウルフを流してひたすらフレーズを追いかけていました。

ギターマガジンWeb版ギタリスト人生名盤10
岡田拓郎「王道とは違う視点を」より

エリック・クラプトンやデュアン・オールマンと言えば、前者がロバート・ジョンソン、後者がブラインド・ウィリー・マクテルをカバーしたり影響を公言しているのは有名なエピソードなので、彼がオリジナルの黒人によるブルースに引き込まれたのも当然の流れだったといえる。特に、シカゴブルースの裏ボス的存在(表のボスは言わずもがな)の濁声の巨漢ハウリン・ウルフのその片腕ともいえる、個性派ギタリスト/ヒューバート・サムリンに惹かれたようだ。

Roth Bart Baronの三船雅也と岡田拓郎がディープな音楽談義を繰り広げる名物YouTube番組
『三船と岡田』よりBlues回の前編
ヒューバートサムリンの魅力について語っている


王道からオルタナティブへ_ノイズミュージック_非音楽的音楽との出会い

これまで書いてきたような下地で、たっぷりとクラシックロックやアメリカのルーツ音楽から音楽のエッセンスを吸収し、それを模倣することで、プレイアビリティを磨いてきた彼だったが、演奏を重ね、プレイヤーとしての経験値が高まるうちに自分だけの曲をつくること、というにも興味を惹かれるようになる。だが、そこには自分なりのスタイルを模索する葛藤が生まれることになったようだ。

- その後、自分で音楽を作るようになった時に、人とは違うギターの響き方ってあるのかなという模索をするようになったんです。60〜70年代のベーシックなクラシック・ロックのギターではない感覚の奏法をいかに組み込むか、というか。その一連の流れが今の自分のギター観につながっていますね。

- ギターマガジンWeb版ギタリスト人生名盤10
岡田拓郎「王道とは違う視点を」より


そんな折、中学1年生の時、ギターマガジン2004年2月の第二特集『轟音、爆音、ノイズギターの世界』で灰野敬二やJOJO広重、大友良英らやデレクベイリーいった、フリーインプロヴィゼーション、ノイズ、実験音楽、アンビエントなどの分野の、いわゆる『ポップフィールドとは違う、特殊音楽=非音楽的音楽を個性とするギタリスト』の奏法に興味をもち、大いに感化される(高柳昌行、キースロウ、サーストンムーアらも掲載)。

ギターマガジン2004年2月号
森は生きているのブログより
ギターマガジン/ノイズギターの世界

岡田:2004年2月号、僕のアイドルだったジョンレノン特集の裏でひっそり「ノイズギターの世界」なるものが掲載されてた。インタビューが、JOJO広重さん、大友英良さん、そして締めが灰野敬二さん、という凄まじい企画。今後2度と無いであろう。

僕には生粋のアバンギャルドな素質があったのか、小学生の時からジミヘンのテープコラージュやビートルズの「レボリューション9」なんかをカセットテープで繰り返し繰り返し聴いていて、よくエルレガーデンが好きな姉に「気を違えたのではないか」と心配されたものである。高校1年の頃、初めて触ったMTRで作ったのも大半が短波ラジオとエフェクターを駆使したおかしないわゆるノイズミュージックだった。

森は生きているのブログより

もともと、ビートルズの『Revolution No.9』やジミ・ヘンドリックスのテープコラージュ作品などをカセットにダビングして聴いては、兄弟に心配こともあったという話からも伺えるように、実験的な音楽への感受性が強かったようで、この特集記事には大いに感化されたようだ。福岡在住のエレクトロニクス/コンポーザーのduennと組んだ2枚のアンビエント・ミュージック作品や、即興音楽集団『發展』での活動、そして最新作のニューエイジ ・ジャズ作品『Betsu No Jikan』に至るまで、今の活躍につながる種子がこの頃撒かれていたようだ。

だが、それらに先んじて、『森は生きている』という、上質な日本語による正統派なポップ・バンドの道へと舵を切るように背中を押したのは、『はっぴいえんど』との出会いが大きかったようだ。

※Taiko Super Kicksのギタリスト樺山太地とのセッションとトーク
18:07秒ごろからノイズギタリストとの出会いについて触れている→


※前述したように、岡田さんは現在ギターマガジンWeb 版での連載を持っていて、通常の誌面では決して扱われないであろう、しかしながら彼のアイデンティティに深く影響を与えた『オブスキュアな特殊ギタリストの世界』とそれらへの思い入れを生き生きと綴っている。

ギターマガジンWeb版
ギタリスト人生名盤10
岡田拓郎『王道とは違う視点を』→

※同上連載
岡田拓郎のRadical Guitarist→

※森は生きているのブログより・デレクベイリーとの出会いについて触れている→


日本語で歌うということ。はっぴいえんどへの憧憬


自作自演曲を、バンドスタイルでしかも日本語で歌う、ということに置いて日本のロックバンドにとって避けては通れない存在の筆頭といえば60年代末、日本のロック黎明期に『日本語によるロック』はどうあるべきかという一つの命題に答えを示した、細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂、松本隆によるフォークロックバンド、『はっぴいえんど』だろう。森は生きている、ひいては岡田拓郎自身もまた、(大滝詠一とゆかりの深い福生に生まれた、ということを差し置いても)、
その影の呪縛と巨大すぎる存在感への愛憎にも似た感情を抱えながら、日本語で歌うことの意味との絶妙な距離感の保ち方や、その言葉選びの格調の高さを一つの指針としていた、という経緯をもっている。

岡田さんはそれを、『日本語で歌うことの情念を消す』、という言葉で端的に言い表している。

岡田:はっぴえんど特集をした『ユリイカ』が僕の日本語ロックのバイブルなんですけど、細野さんが「日本語ロックの情念を消したかった」ということを言っているんですね。僕がはっぴいえんどフォロワーや喫茶ロックと呼ばれている音楽にそんなに入れ込めなかったのは情念的なものが情報として多すぎて、自分のなかではトゥー・マッチに聴こえた。英語に比べて、日本語は音楽的な響きの語彙がすごく限られているように感じます。洋楽を聴く感覚で日本語の音楽を聴けないものかというのは常に考えています。

■情念というのはどういうものなんだろう。演歌的なものってこと?

岡田:情念の違和感ってどう説明すればいいんだろう(笑)。

増村:松本隆が言っていておもしろかったのは、「なにを歌うかじゃなくて、どう歌うかで俺らはやった」という話で。「なにを歌うか」というところがみんな強すぎるというか、そういうところなんじゃない?

- ele-king
眠れぬ夜のために
──岡田拓郎、インタヴュー(ゲスト:増村和彦)
取材:野田努
より

※岡田拓郎と吉田ヨウヘイ(吉田ヨウヘイグループ)のレコード談義
(2014年、『珍屋』めずらしやにて)
岡田さんがはっぴいえんどとの出会いを語っている、3:20秒ごろから

高校生の時『風街』が手に入らなかったから
3枚目から入ったそう

それまで洋楽一辺倒だった岡田さんを日本語のロックに開眼させるきっかけになった一枚、はっぴいえんど『Happy End』。人生に煩悶していたという高校生時代にのめり込むように聴いていた一枚だというこの作品は、ジャズやR&Bといったブラックミュージックの和声やグルーヴ感が色濃いため、彼にとっては『風街ろまん』以上に思い入れの深い作品だと語っているのが印象的。このレコードから岡田さんが受けた影響は計り知れないものがあると思われ、のちにはっぴいえんどの曲名を冠したバンドを結成したり、森は生きているでのモチーフの一つになったりと、その後の作品に色濃い影を落とすことととなった(岡田さんは2020年に発刊された門脇綱生氏の著書『ニューエイジ ・ミュージック・ガイド』において、細野晴臣とのインタビューを通して、念願の邂逅を果たしている)。


ジャズにのめり込んだ高校時代をへて

「ブライアン・ブレイドっていうドラマーは、アコースティックなジャズの新しい方向を作っていった人なんですよ。僕、高校生の時はジャズばっかり聴いていて、パット・メセニーとか〈ECM〉のレコードが好きだったんです。その前にボブ・ディランとかザ・バンドを聴いていたのもあって、ちょっとフォーキーな質感のジャズが好きで。ジョニ・ミッチェルのバックでジャコ・パストリアスとかパット・メセニーが弾いてる『シャドウズ・アンド・ライト』とか、ああいう雰囲気のものをやってみたいっていうアイデアがあったんです」

- Sign Magazine
SIGN OF THE DAY
ロックとインディが大敗を喫した2017年。
そうした現実に唯一向き合った日本の作家、
岡田拓郎が語る「2010年代のロック」後編
by SOICHIRO TANAKA
DECEMBER 28, 2017
より
  

インタビューは2017年の1stソロアルバム『ノスタルジア』の中の一曲、『ブレイド』のことに触れたもの。岡田さんはボブ・ディランやジョニ・ミッチェルを通じてブライアンブレイドを知り、そのドラミングの繊細なタッチとソングライティング・センス=サウンドのバランス感覚に惚れこむが、その原点は彼が高校生時代に、ECMをはじめとした、ジャズレコードにのめり込んでいたことが原体験にあるようだ。

パット・メセニー『Watercolors』、キースジャレット『Facing You』といったベーシックな作品から、スティーヴ・チベッツやテリエ・リピダルと言ったハード・ドライヴィンなプレイの際立つギタリストのリーダー作品、ステファン・ミクスやマーク・アイシャムと言った昨今注目を集めるニューエイジ /バレアリック色が顕著なアーティストまで、とことんECM/ジャズのアーティストに傾倒し、精通しており、また、ECMには所属していないものの、現在はWilcoのメンバーとしても活躍するギタリスト/ ネルス・クラインの存在や前述のブライアン・ブレイドと言った、『ジャズとロックを繋ぐアーティストたち』の存在も大きかったりと、彼の音楽とジャズは切っても切れない関係となっていったようだ。


※岡田さんもお気に入りに上げるネルス・クラインの1980年のファーストアルバム『Elegies』


※岡田拓郎の2017年の1stソロアルバムより
ジャズドラマーBrian Bladeに捧げた『ブレイド』間奏のギターソロはKurt Rosenwinkel
風に弾こうと1ヶ月ほど悩んで練りに練ったという→

※岡田さんが特に入れ込んでいる、ダニエルラノワがプロデュースしたファーストアルバム
Brian Blade Fellowship


※岡田さんのECM愛が伝わるプレイリストたち

ECM Guitar Fav

ECM New Age Ambient Balearic


2022年の新作『Betsu No Jikan』のリード曲
『Love Supreme(至上の愛)』は石若駿とSam Gendelと岡田によるJohn Coltraneの代表曲の第四世界ニューエイジ ジャズ的再解釈となっている


そんな、岡田さんジャズへの思い入れは、今の活動へと続く、友人達との思わぬ繋がりが生まれるきっかけにもなった

──大学入ったのが、おととし、か……。なんかすごいね。みんな今のメンバーは東京出身なんだっけ?

岡田 増村さんだけ九州ですね。ぼくは青梅生まれの福生育ちで、今も福生に住んでます。

──じゃあ、あとの5人は東京と。竹川くんと大久保くんとは大学で知り合ったの?

岡田 いや、それが実は結構根深くて(笑)。ぼくの通っていた府中高校の2年先輩が大久保で、一緒に部活動でビッグバンドをやってたんです。大久保は中学のときにも吹奏楽部に入っていて、そのときの同級生で、高校は違う私立に行ってたのが竹川です。そこでつながったんです。で、ぼくが高校のときに、ジャズが好きな人たちが集まってセッションをしようってことになって、府中の公民館に集まったときに竹ちゃんとは初めて顔を合わせました。ぼくがソニー・ロリンズの「St. Thomas」をギターで弾いたら、いきなりドラムがカリプソのリズムで乗ってきたんですよ。それが竹川だったんです。

──え、竹川くんは当時はドラマーだったの?

岡田 そうなんです。

Hatena Blog 森の話より

高校生の時のちに森は生きているのメンバーになる竹川悟史(ボーカル・ベース・ギター)と大久保淳也(フルート・トランペット・コーラス)とであう。ジャズ好きが高じて吹奏楽部のメンバーとセッションをすることになり、当時ドラムを叩いていた竹川と初めて音を合わせる。演目はソニーロリンズのSt.Thomasだった。


竹川、大久保と意気投合、はっぴいえんどから名前をとったバンドを結成し、のちの森は生きているの母体となる。

岡田 結構長い話になるんですけど、いいですか? もともとぼくらの前身バンドがあったんです。名前はちょっと言えないような感じなんですけど。

──え? なんで言えないの。言おうよ(笑)

岡田 いやあ、はっぴいえんどの、とある三文字の曲からいただいた名前なんですけど。それがぼくと竹川と大久保と、あと、ドラム、ベースと鍵盤という編成でやってたんです。そのバンドは、おととし、ぼくが大学に入ってようやく自由の身になったんでバンドやるぞ、と思ってすぐに始めたんです

──そんな名前をつけるくらいだから、もちろん、はっぴいえんども好きで?

岡田 そうですね。好きだったんですけど、そのバンドは、音楽性としてはジャム・バンドっぽかったんです。ドラマーもスピリチュアル・ジャズとか好きだったし、サックスもいたし、ポスト・ロックっぽい要素も備えた感じもやりたいなと思いつつ、その合間にはっぴいえんどの曲もやるような。そんな感じでした。

Hatena Blog 森の話より

ポスト・ロック_シカゴ音響派との繋がり


森は生きているは『はっぴいえんどmeetsジムオルーク』と形容されたが、ジムの音楽との出会いも高校生の時だったようだ。


岡田「二枚目で意識したのが――僕、シカゴ音響って呼ばれてた人たちが結構好きで。ジム・オルークもハイラマズも大好きだったし。ただ一枚目やってみて、『あれは出来ない』ってわかって。当たり前なんですけど。技術的にもまだまだ難しいし、彼らもインディーズといえど、あれをやるには本当にお金がかかると思ったんですよ。もっと膨大な時間も必要だし。僕は本当にジム・オルークになりたかったんですよ。日本のジム・オルークに(笑)。ただ、当たり前だけど、まだ全然なれないので。自分の技術や知識ではまだまだ足りない。そういうのがわかった時に、すごい極端に、『じゃあ、絶対ジム・オルークがやらないことをやろう』と思って」

Sign Magazine
SIGN OF THE DAY
岡田拓郎ソロ始動にあわせ、不世出のバンド
「森は生きている」とは何だったのか?その
問いに答える秘蔵インタヴュー初公開:前編
by SOICHIRO TANAKA
より
無人島レコードより

John Fahey の影響を感じさせる40分ワントラックの中で目まぐるしく展開が変わり同じ展開をなぞらないエクスペリメンタル・フリー・インプロヴィゼーション・フォーク傑作『The Visitor』→



吉田「最初にやり始めた時に、ジム・オルークとか、大友さんに憧れてるところって、ポップな作品のプロダクションに、即興とかノイズをやってないと入れられないようなレヴェルのプロダクションが入ってるのが好きだって話になって。だから、(ノイズや即興を)やったことがない人が、ポップスにそういうものを取り入れようとするのは、ちょっと違う感じがするっていう話にもなって」

岡田「そう(笑)」

吉田「だから、『まず普通にやってみないと、出来ないんじゃないか?』っていう動機っていうか。

- Sign Magazine
SIGN OF THE DAY
特別対談:岡田拓郎(森は生きている)×
吉田ヨウヘイ(吉田ヨウヘイgroup)前編
「この二人って、ジム・オルークさんと
大友良英さんが共通項なんですよ」
by SOICHIRO TANAKA
より

これは吉田ヨウヘイを通じての発言になるが、ジム・オルークの魅力を『ポップな作品のプロダクションに、即興とかノイズをやってないと入れられないようなレヴェルのプロダクションが入ってるのが好き』と表しているのが頷くばかりの表現で、森は生きているや岡田さんのソロ作でのアレンジの中のきめ細やかなポスト・プロダクションによる偏執的な音の実験は、ジム・オルークからきている影響だと確認出来る貴重なエピソードである。

また、ジムを通じてLoren ConnorsやJohn Fahey、(12歳の時にギターマガジンで出会っていた)Derek Baileyを再認識したそうだ。

無人島レコードより

※岡田拓郎『Lonerism Blues』→Loren ConnorsやMuddy Watersの影響も如実な幽体デルタブルース作品森は生きているの2作目と並行して作られた

Lonerism Bluesのカセット

※吉田ヨウヘイグループのギタリスト、吉田ヨウヘイとフルート奏者 池田若菜も加えた実験音楽集団『發展』の音源も同じSound Emphasizing Stillness Recordsからデジタルリリースされている

Loren Connors & Jim O'Rourke
In bern



森は生きているの奮闘と挫折


大久保、竹川と組んだジャムバンドを母体に
2012年に森は生きているを結成する。

森は生きている、という牧歌的で一見素朴な名前の由来には、実はユニークな逸話があるようで、

岡田 ある日、久山が家に遊びにきたときにおもしろい話をしてくれて。森っていう字をローマ字で書くと「mori」。「これ、ラテン語にすると“死”って意味じゃん」って言ったんです。「メメント・モリ」とかの「モリ」もそうなんですけど。だから、「“mori”と“生きている”をつなげるとおもしろいね」って。

谷口 その話、知ってた?

増村 知らなかった(笑)

岡田 これはやっぱりこのバンドにいいんじゃないかなと思ったんです。こんなスタンスで音楽をやっている僕たち自身“死んだ人たち”なんで(笑)。その考え方がすごく気に入ったんで、バンド名にしました。

- Hatena Blog 森の話より

ドラマーがいない状態で始まった森は生きているに、別の大学のサークルにいた増村が加入する。はっぴいえんどとソフトロック好きということで意気投合・初めて音を合わせた次の日にはすでにホームページに名前が載っていたそうだ。その後、脱退したキーボードの代わりに最年長の谷口雄が加入して森は生きているはメンバーや音楽性に、しだいに纏まりを帯びてゆく。


森の話
個人ブログによるインタビュー2012年ごろ
結成秘話など→

2012年12月
●デモCDr『日々の泡』リリース

当時の東京では、はっぴいえんどや、USインディーバンドに影響され、日本語で歌うバンド/SSWらが多数台頭し、さながら、一つの音楽シーンとも呼べる活況を様していた。新しい都市のポップスとして形を模索した若者たちが次々と野心的な作品を放っていく、そんな中でも、一頭抜けた存在感を示し、彼らはシーン中心へと躍り出てゆく。

デモCDR 日々の泡

2013年8月
●1st『森は生きている』発表

ソングライティングの良さが際立つウェルメイドなポップソング集。カントリー、ソフトロック、スワンプ、アンビエント、モンド、エキゾチカ、トロピカル、ジャズ、ブルース、クラシック、アフロなど雑多な音楽嗜好を基にした唯一無二の“チャンポン”ミュージックを体現し、はっぴいえんどmeetsジムオルークと評された本作は、オリコン72位のスマッシュヒットを記録し、その年のミュージックマガジンで日本のロック10位にランクインするなど、大きく注目を浴びることになった。



2014年7月
●笹倉慎介とのコラボ7inch
抱きしめたい/ 風にあわせて
はっぴいえんどにシンパシーをもつ当時福生在住だったシンガーソングライター、笹倉慎介とのコラボシングルで、晴れ渡った空のような清涼感と滲むような懐かしさが素晴らしい佳曲。笹倉とのコラボはのちに『Old Days Taylor』へと発展してゆくことになる


2014年11月
2ndアルバム『グッドナイト』発表

彼らのイメージを払拭するようなノイジーなギターが特徴の『影の問答』をはじめとして、偏執的とまでいえるポストプロダクションへのこだわりなど、サウンドの緻密さと異色さが顕著になり、1stからの変貌と飛躍を示した2ndアルバム。


岡田:森は生きているは1枚目が結構売れたので、2枚目は予算が割とあって全部録音とかスタジオに使おうという話になりました。葛西さんが録って、僕が家で編集したものを、最後に伊豆スタジオでアウトボードとか卓に通そうという計画でやっていて。

葛西:Gok Soundで1週間レコーディングをして、そのあと前に僕がいた小さいスタジオで3週間借りて。その時点で1ヶ月かけてレコーディングしているんですよ。そのあとに1ヶ月半くらい岡田くんが自宅にこもった後の伊豆スタジオ。3日間いったんだよね。伊豆スタジオって別棟に宿泊施設があるんですけど、ふたりとも一度も宿泊施設を使っていないんですよ。ずーっとスタジオにいて(笑)。だいたい夜中の2~3時くらいになると、どっちかがソファで事切れるので、それを見てもう片方も別のソファに行くみたいな。8時になるとスタジオの人に起こされて、朝ごはんを食べてちょっと散歩して、9時とかにはもうはじめていたよね。

岡田:真面目にやっていましたね(笑)。

葛西:すごい真面目だったよね。

岡田:そこまでやって、家に帰って聞いてみたら、たぶん疲れた状態で作業をしていたからすごいトゥーマッチな音源になっていると感じてほぼボツにして(笑)。

葛西:1曲だけ残ったんだよね。それ以外全部ボツにしたのはすごいよね。

- ototoy
岡田拓郎 x 葛西敏彦が語る、徹底的に人力で築き上げた『Morning Sun』の音世界

ファーストは広く受けいられる作品となり彼らの名刺代わりの作品とはなったが、リーダーである岡田拓郎自身はその完成度に満足がいっていなかったようで、バンドはアルバムの売り上げも全てつぎ込む形で次なる地平を目指してよりマニアックでオルタナティブな方向へと深化を遂げていくことになる。だが、そこにはバンドの活動に暗い結末を招く要因も生まれてしまう。

17分ある大曲『煙霧の夢』をリードトラックとしてシングルカットしたことが賛否を呼び、この頃のライブではこの曲一曲だけを30分間延々と演奏することもあったため、メンバーとファンの間で亀裂が起き、結局、セールスは振るわずしかも肝心な音楽メディアからも無視されて、年間ベストにも漏れてしまう(のちにミュージックマガジンの『2010年代のアルバムベスト』やエレキングの『邦楽アルバム特集』にも選盤されることになるが)。そうした経緯もあり、バンドは失意の中で解散への道を歩むこととなった。だが、そこにはメンバーの音楽的嗜好と持てるカードを全て駆使して、バンドとしてのひとつの完成系を遺したという自負や満足感をもって、燃え尽きて散ったという側面もあったようだ。とにかく、メンバーは各々の新しい道を歩むこととなった。


2015年12月ごろ

森は生きている、解散。岡田はこのままポップアーティストいるか実験音楽家として生きるか迷いがあったそうだ。


ドラマーで作詞担当だった、増村は森解散後トラックメイカーのGONNOと組みアルバムを発表→

2016年12月
●duenn+okada takuro 『mujo』無常 発表

→地平畠山のレーベルWhite Paddy Mountainからのエスペリメンタル色の強いダークな1トラック40分のドローン・アンビエント作品。岡田さんの音響作品としては2014年のカセット作品、『Lonerism Blues』に次ぐ2作目にあたる。京都のレコードショップ、Meditationsを通して繋がったという、duennとのコラボレーションは、のちの『都市計画』へと繋がってゆくことになる。


2017年8月●okada takuro『ノスタルジア』発表

森解散後、ポップ・アーティストとして活動していくことに迷いがあったという彼が、duennとのアンビエント作品を経て、3年間の沈黙を挟み、森は生きているからの知人やメンバーの協力を得る形で、再び『うたもの』を試みたアルバムをリリースする。タルコフスキーの同名映画を想起させるタイトルの、『ノスタルジア』である。

森は生きているのときと完全に違うことをする意識のひとつとして、「フォーク」というフォーマットの音楽を新しいものとして落とし込みたかったというのがあります。それは森(は生きている)のときみたいに60、70年代の音楽の文脈はもちろんあるけど、それを全面に出すわけではなくて、もっとフォーマットを置き換えて現代的なものにしたいと思ったんですね。それは日本語のフォーク・ロックとして新しいものにしたい、ということなんですけど。

フォークの現代的な再解釈をテーマに、日本語によるフォークロックの再定義を試みたアルバム。と説明された本作は、歪でいて端正に編まれたフォークロアとドリームポップの結節点のようなサウンドに、どこにもない/ここにあったはずの『ノスタルジア』を、そのイメージの持つ『情念』のその『抜け殻』だけをトレースすることでドライフラワーのように乾いた詩情が余韻を残すように閉じ込めることに成功した素晴らしい作品。フォークを始めとして、現代ジャズやミニマル音楽、ポストロックからインディーロックまでの影響が伺えるこの作品は、ミュージックマガジン年間ベスト2017で4位・2010年代の邦楽ベストで40位にランクインするなど、水面下ではあるが、音楽シーンに鮮烈な轍を残した。この完璧な作品を作ることで、『森』を抜け出した岡田拓郎は確実に次のステップへと足を踏み入れた。

10年代中盤のアメリカのインディーロックシーンは、古くからのバンドスタイルを守るアーティストたちにとって、冬の時代をむかえていた。ケンドリック・ラマーやソランジュ、ビヨンセやフランクオーシャンといったヒップホップ/オルタナティブR&Bのアーティストが台頭し、00年代から覇権を握っていたブルックリン・シーンのバンドは停滞を余儀なくされていた。そんななか、日本のインディーシーンにおいても、Cero『Obscure Ride』に代表されるブラック・ミュージックを演奏するバンドが多数台頭し、一大ムーブメントを巻き起こしていた。だが、岡田さんはそこに対する複雑な思いもあったようで。


例えば、デイヴ・ロングストレスとヴァンパイア・ウィークエンドのエズラ・クーニグは、カニエ・ウェストやリアーナと曲を書いたりしているしね。元ヴァンパイアのロスタムはフランク・オーシャンの『ブロンド』に参加していたし、デイヴ・ロングストレスはソランジュのアルバムにも参加してた。

「でも、日本ではみんな、あそこを通らないままネオ・ソウルに行ったじゃないですか。結局、今の(日本の)ネオ・ソウルっぽい音楽は、USのネオ・ソウルっていうよりは、ディアンジェロの『ブラウン・シュガー』だったり、90年代のUKのアシッド・ジャズの雰囲気で、10年代のオルタナティヴなR&Bの感覚はあまり感じない。それは新しい音楽とは思えないんですよね。森を解散した年にそういうことを考えていて、そこから始まっている音楽が『ノスタルジア』なので。そこは意識したところではありましたね。

- Sign Magazine
SIGN OF THE DAY
ロックとインディが大敗を喫した2017年。
そうした現実に唯一向き合った日本の作家、
岡田拓郎が語る「2010年代のロック」後編
by SOICHIRO TANAKA
DECEMBER 28, 2017
より

そんな中で、バンドとしてどうあるべきかを悩み抜いた末にフォークとロックを掛け合わせた力作を発表していたグリズリー・ベアやフリートフォクシーズやウォー・オン・ザ・ドラッグスのベーシストのソロ・プロジェクト、ナイトランズの姿に、岡田さんは背中をおされたようだ。また、現行の日本のブラックポップに対する違和感から始まった、フランク・オーシャン的オルタナティブR&BへのアプローチやナイトランズのAORの現代的解釈といったインスピレーションの数々は自作以降の『The Beach EP』『Morning Sun』へと引き継がれていくことになる。


※okada takuro『ノスタルジア』
音楽的リファレンス一例

ナンバー / 手のひらの景色
→Wilco『I am Trying to Break Your Heart』


アモルフェ(Feat.三船雅也)
→Grizzly Bear『Easier』

遠い街角(Feat.優河)
→Brian Blade Fellowship『Within Everything』


オブスキュア_バレアリックな音へのアプローチ


2016年ごろから徐々に顕著になった、世界的なジャパニーズ・レコード・ブーム- 再発見されるアンビエント/バレアリックポップ/フュージョン/AOR/シティポップ etc…の波は、これまで世界に対して情報が閉ざされていた最後の音楽のブラックボックスであった日本の音楽の歴史のなかの綺羅星のような音盤たちが、YouTubeのレコメンドのアルゴリズムにより拡散され、これまでにない角度からスポットをあてられた、画期的なムーブメントだった。そんな波は日本のニューウェーブバンド・清水靖晃率いるマライア『うたかたの日々』や、日本のブライアン・イーノとも言える環境音楽作家・吉村弘の諸作品、ムクワジュ・アンサンブルでの活動において、〈ミニマル・ミュージックと、ポップさを同居〉させた先鋭的な現代音楽を試みていたパーカッショニスト、高田みどりのソロ『鏡の向こう側』といった日本でも地下で知る人ぞ知る存在だった音楽家や、日本のシティポップの草分け〜竹内まりやや山下達郎、大貫妙子の楽曲といった日本ではメジャーながら世界ではほとんど認知されていなかった大御所まで、それらのもつ日本における文脈や歴史はさておいて、その音楽性の新奇性や独自性だけを『キャプションなし』でダイレクトに拡散させ、世界各国で日本のオブスキュアなレコードが再発されたり、ディグされたりするというこれまでにない波及力をもっているものだった。

そんなムーブメントを敏感に感じ取っていた岡田は、再評価されるアンビエント/バレアリックポップ/フュージョン/AOR/シティポップ に挑戦した12inchシングル、『The Beach EP(2018)』と吉村弘、芦川聡といった日本の都市のサウンドデザイン/ミニマル/環境音楽に触発されたduennとのコラボレーションアルバム、『都市計画(2020)』を発表する。

2018年11月
●『The Beach EP』発表

イアン・マシューズ(フェアポート・コンベンション)とも活動した経歴を持つ英国人ギタリスト/スティーヴ・ハイエットの唯一作『渚にて』より、「バレアリック」なテクスチャをたっぷりと湛えた実にコンテンポラリーなリゾート・ミュージック名曲『By the Pool』のカヴァーを収録。アルバムカヴァーの写真もHiettの手によるものだが、写真家としても有名な彼の写真を使用できたのは、岡田さんが彼の曲をカヴァーしたいとアポをとった時幸運にも実現したようだ。

2020年9月
●duenn+okada takuro『都市計画』発表


フェリシティ傘下のレーベル、Newhere Musicより発表。同レーベルは山本達久、石橋英子、Jim O'Rourke、Roth Bart Baron、Phewといった、日本のインディーロックシーンにゆかりの深いアーティストの音響/実験音楽・アンビエント作品などをレコードでリリースする。


本作は、ブライアン・イーノが空港のために作成した〈Ambient 1 : Music For Airports〉を起源とした『アンビエント・ミュージック』より早くからインスパイアされてきた、吉村弘や芦川聡といった日本の環境音楽家による空間設計/環境音のデザイン〜サウンドプロセスとしての都市の音楽に色濃く影響されていると思われる。それはさながら、病魔や災害が蔓延する現代における自己治癒的な作業として、閑散とした東京の様相を悼み、『架空の都市の環境音』を設計していくような作業だったのかもしれない。以下岡田とduennのインタビューより

- 環境音や自然音にはない音楽としての魅力が『都市計画』にあるとしたら、それはどのようなものだと思いますか?

duenn:『都市計画』はいろんな音と混ざることで成立する音楽かなと思うんですよね。

岡田:たしかにそうですね。今ちょうど家の近くで工事をやっているんですけど、部屋の窓を開けながらアンビエントを聴くと、工事の音がなぜか緩やかなものとして聴こえてくる。他にもいろいろな環境の響きと作用して別の音楽の形に聴こえてくることもあるんです。何かと混ざることで別の音楽になるというのは、現実の環境音とはまた異なる魅力ですよね。

―アルバムを流すことで初めて気づく環境音もあるかもしれません。単なるBGMとは異なり、聴いている人に現実の環境への通路を確保するような音楽とでも言えばいいでしょうか。


『都市計画 Urban Planning』の、
〈物語〉ではなく〈空気〉になるために作られたという3時間にも及ぶPV→


duennとの即興演奏を記録した連作動画HARDCORE AMBIENCE→

2020年6月
●Okada Takuro『Moning Sun』発表

もともとフランク・オーシャンの『Blonde』みたいなアルバムにしようと思っていたんですけど、R&Bっぽいものって日本語を乗せるのが結構難しくて。そのなかで自分の歌で耐えうる楽曲の枠内で、フランク・オーシャン的なビート感覚とかフィーリングを入れ込むようにして、今回あんな感じになったんですけど。

- ototoy
岡田拓郎 x 葛西敏彦が語る、徹底的に人力で築き上げた『Morning Sun』の音世界
より

フランクオーシャン的R&Bフィーリング・リズムの実践から始まった本作は、日本語のメロディを乗せることの困難さから一旦は座礁する。しかし、あくまで生演奏にこだわった上で現代的な音響=DTM音楽のパワーに負けないビート感を作り出す作業にこだわりをもち制作は続けられる。そんな中で、一つの指針となったのは、アメリカのSSW、アンディ・シャウフの存在だったようだ。

アンディ・シャウフは70年代のシンガー・ソング・ライター・ミュージックや、ビートルズ(特にポール・マッカートニー)の影響を多大に受けている音楽家。


したがって、『Morning Sun』は、アンディ・シャウフを通じて70年代のシンガーソングライター音楽を解釈した現代におけるSSW像を提示した作品とも言えるだろう。それは、ビートルズの『Here, There And Everywhere』のメロディを引用した『Lost』にも伺える。

また、当時、岡田が仕切りに勧めていたバンドとして、ブラジル/ミナスのインディー・ロック・バンド、『ムーンズ』がいる。

2作目にあたる『Thinking Out loud』は、ニックドレイクを想起するような繊細で美しいフォーク・ロック・バンドで、全編英語詩による英米のSSW音楽に対する憧憬に溢れた一枚。浮遊感のあるコード感や、グリズリー・ベア『Yellow House』を彷彿とさせる分厚いコーラスワークなど、岡田さんの嗜好を端的に表したかのようなフェテッシュな作品で、影響もうなずける(のちに岡田さんはバンドの日本盤のライナーノーツも担当することになる)。

上記のような音楽的な影響を受けて作られ、現代におけるSSWミュージックに、(ハイハットの細かな刻みなどにおける)トラップ以降のビート感覚を取り合わせ、提示してみせたかのような本作。歌詞には彼には珍しく心の機微やナイーブな言葉が綴られ、アルバムはコンパクトで唐突に終わってしまう短いいくつかの歌たちを交えて、長いドローンをともなったクロージング・ナンバー、『New Morning』で閉じられる。それは、彼自身の内省と沈黙を象徴するかのような幕引きとなった。それは時代のムードともリンクするポップソングとしてのあるべき姿なのかもしれない。


そして、『Betsu No Jikan』へ

2022年8月
●Okada Takuro『Betsu No Jikan』発表

岡田は石若駿らとの即興演奏の成果を“素材”として一旦持ち帰り、エディットを施した上、さまざまなミュージシャンに対して、その上で即興的な演奏をするよう指示。ジム・オルーク、ネルス・クライン、サム・ゲンデル、カルロス・ニーニョ、細野晴臣という錚々たる音楽家たちによってリモート収録されたデータを受け取った岡田は、それらを再びエディット / コラージュし、自身と各人の演奏を混ぜ込んでいった。

(infoより)

ジョン・コルトレーンの代表作、『至上の愛』の、第四世界アンビエント・ジャズ的解釈から幕を開ける本作を聴いた衝撃は大きかった。即興演奏を礎として、カットアップ・コラージュ、編集やダビングを施した第1級の音響彫刻。そこには、彼のヒーローだったジム・オルークも、ネルス・クラインもいれば、カルロス・ニーニョも、はては細野晴臣とサム・ゲンデルもいる。しかし、それら偉大な先達の存在を通して浮かび上がるのは今まで聴いたことの音楽だった。

岡田さんは2019年ごろから精力的にBandcampでアンビエント/即興/実験音楽のリリースをコンスタントに続けており、いわゆるポップソングライターとは別に、『音響作家』としての側面を鍛錬し、作品化することに力を注いできた。新作、『Betsu No Jikan』は、これらのある種、『裏』ディスコグラフィー感覚の『実験音楽/音響作品』と、表のカタログである岡田拓郎の『ポップソングライターとしての正史』をクロスさせ、ここ数年の作曲活動のタームに一つの完成系を与える作業だったと思われる。その象徴として、岡田さんがbandcampでの活動を始めたごく初期に発表し、現在は削除されてしまっている楽曲で、新作にそのアップデート版と思われる同名の曲が収録されている(参加メンバーもアルバムの中で一番多い)、『Reflections/Entering#2』という楽曲が大きいと思われる。

この曲は元々、森は生きているが解散を迎えようとしていた2015年に、増村和彦や西田修大、山田光を迎えてセッション的にとられた未発表作品だった。そのことから、この作品は、森は生きているへの郷愁にも似た『たむけ』と『再生』の作業として、また、森の晩年からつづいた『非音楽的音楽』によるポップの拡張を、bandcampでの一連の作品の創作を足がかりに、岡田にとって雲の上の存在だったヒーローたちの助力をへて、そのイメージを具現化したうえで、岡田のこれまでの音楽体験そのものを総括し、高次へと引き上げた作品と解釈できるのではないだろうか。それは、細野晴臣の観光音楽の諸作品や、ブラジルはミナスのバンド、ムーンズに捧げた作品、エチオピアの修道女/ピアニストのエマホイ・ツェゲ=マリアム・ゲブルーの特異なタイム感のピアノやジョン・ハッセルによる第四世界的なアンビエント・ジャズの手法やフレーズを装飾的に纏いながらも、誰でもない、岡田拓郎自身の存在が確かに浮かび上がってくる稀有で独自性に満ちた傑作となった。

岡田拓郎が『Betsu No Jikan』をつくるに当たって影響を受けた楽曲を纏めたプレイリスト→


終わりに

彼は怒れる若者ではないし、穏やかで柔和な人柄を持っていると想像する。しかしながら彼の音楽の原体験には反骨の音楽であるロックがあり、音楽そのものを否定するようなノイズがある。そんな、彼の音楽キャリアの中では、ルーツであるサザン・ロックやブルース・ロック、ノイズ音楽といった『泥臭さ』や『ノイジーさ』が全面に表出している作品は(表面的には)数少ないが、岡田さんのギタープレイの根っこにはそれらから咀嚼した『フィジカルでタフな、野太く野放図さに満ちたスタンス』といった激しさが根底に流れている、と思わされる。彼の音楽の持つ『物静かなラジカリズム』ともゆうべき『反骨心を内包した、音楽による問題提起』は、静かだが確かな波及力を持って水面下で音楽シーンに浸透し、轍の軌跡を描いてきた。それは、スタイルの面でのロックというのに捉われず、スタンスとしてのパンク精神をもってはみ出しつづける気迫に満ちた音楽、とでも言えば良いのか、表面的には穏やかなフォークロックの形をもった楽曲に置いても、彼の場合、『ただ耳触りの良い癒しの音楽』では終わらないぞ、という彼の深層を流れるロックの反逆精神が感じられる。それは、『根本的な新しい音楽への希求心』ともいうべき渇きをもって彼の愛してやまない擦り切れたレコード、夢中で聴き込まれた遠い異国の音楽家たちのスタイルを模倣し、吸収しながら独自のものへと成長し、変貌を遂げてゆく。

Turn誌に置いて、音楽ライターの岡村詩野はそんな岡田さんのスタイルのことを『の、ような何かを纏うことのニヒリズム』と評した。

岡田拓郎の作品に触れるたびに実感するのは、まさにその音のムードをキャッチすることで生まれる音楽の豊かさというものが確かにある、という、ややもすると鼻で笑われがちのテーゼだ。それは情調とか気配とか、あるいはいっそ「雰囲気」という言葉にさえ置き換えてもいいかもしれない。ただし、そのムードというのは、どんな音楽にもどんな文化にも根源的な成り立ちやプロセスや歴史があるという大前提を理解して初めてぼんやり辿れるものだ。実体のない、“のような、なにか”でしかない。

岡田はその“のような、なにか”をキャッチし、自分に引き寄せるのが狂人的なまでにうまいし、センスがある。これはもう技術とか力量以前の問題だ。趣味人スレスレのところで猛烈な熱量で本を読み、レコード収集に湯水のごとくお金をつかい、そこから得たムードを整理せずに都度都度で並べていく。彼の曲はそうした過程が奇跡的に大衆音楽というフォルムをまとった結果と言っていい。いや、そうした過程にこそ本質的なポップ・ミュージックの境涯のようなものがあるのだということを岡田の作品は教えてくれる。

これはジャズなのか? これはアンビエントなのか? これはドローンなのか? これはR&Bなのか? これはAORなのか? これはアメリカン・ゴシックなのか? これは、これは、これは………。答えはわからない。ただ、分厚い蓄積が無数の毛穴からヌルリと押し出された、“のような、なにか”だ。

- Turn Magazine
「のような、なにか」を纏うことのニヒリズム
約3年ぶりの新作『Morning Sun』をリリースする岡田拓郎の叡智の杖
Text by 岡村詩野より

その時聴いていたレコードの音そのものだけではなく、録音されていた場所の空気感、聴衆の目線、演奏者の心理といった周辺的な要素まで含めて敏感に感じとり、トレースし、さながらその演奏者の霊を降霊しているかのように完璧に再現する。そのレイヤーは、さまざまなレコード、同じ部屋で流れていた別の時間軸/別の場所のレコードの持つ空気感と緩やかにクロスフェードされ、どこかにあったようでどこにも存在しない奇妙で新奇な味わいの『の、ような何かを纏った』、『音楽の果実』を産み落とす。その新しい〈憑依のかたち〉であり、〈最高の果実を結ぶもの〉としての、そしてまた『の、ような何か』であって『何ものでもない』、『岡田拓郎』自身でしかない唯一無二の音楽。最新作『Betsu No Jikan』はそんな、これまでにない遠い過去のようでいて未来的な景色を鮮烈に見せてくれることに違いない。

また、それは終着地点ではなく、彼の『さらなる旅路の途上のおんがく』であることを祈って。

2022年8月31日
Utah_


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