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【寄稿】「思想が強い」と冷笑する前に/竹田ダニエル(仕事文脈vol.22)

 「思想強い人」という冷笑的な表現を、最近よく聞く。ミュージシャンが政治にまつわる話、特に現政権を批判するような趣旨の発言をすると、「音楽は好きだけど思想が強いから……」と言った具合に、ネガティブな意味合いで用いられることが多い。主に、「近寄りたくない」「極端な考えを持った危険な人」という意味合いを込めて使われがちだが、いわゆる「現状維持」を肯定するような考え方に対しては、いかにその「思想」が「強い」状態であっても、「思想が強い」という言葉はなかなか使われない。「思想強い=悪(ネガティブ)」というのならば、その逆は「思想弱い=善」ということだと仮定できてしまう。そのような世界線においては、「思想ゼロ」であることが理想的なのだろうか? 甚だ疑問に感じる点はたくさんある。

 自分はこの言葉に強烈な違和感と不信感を抱いている。「思想の強い人」という言葉を使う人に対して、「その意味を説明してもらえますか?」と聞いたら、一体どう答えるのだろうか。単に「権力には逆らってはいけない、疑ってはいけない」という教育を刷り込まれているから「(もう決められたことに反対するのは)なんとなくいけない感じ」と思っているだけの人が、実際のところ多いのではないだろうか。

 そもそも、「思想」とは何を指すのか? 意見? 政治的知識? 敵対心? 「強弱」の問題なのか? というツッコミは置いておいて、最終的には「権力に逆らう発言をしてはいけない」と抑圧しているだけなのだ。「思想」が強く持たれていることによって損をするのは誰なのか? 「現状維持」を崩されたら困るのは、誰なのか? 権力層、抑圧者層に加担することで、「何も考えていない」または「何も考えていないかのように振る舞う」ことが善であり、それ以外は悪とされる社会を、自分たちで作り上げていることに気づかないものだろうか。

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