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【寄稿】ひとりで生きたい/とりうみ(仕事文脈vol.23)

わたしはセックスもロマンスも、誰かと何かしらの形でパートナーシップを結ぶことも望んでいないアロマンティック・アセクシャルなのだが、日常生活を送る中で自分に何かが「ない」といった感覚は一切ない。しかし、恋愛やセックスをすることが標準化された社会のため、自分のセクシュアリティを説明する場合には、やはりどんな対象にも恋愛やセックスの欲望を抱くことが「ない」と説明するほかない。

「ない」ばかりが並んでしまっているが、自分のセクシュアリティを個人的な肌感覚で表現してみるとすれば、「ひとりで生きる」がしっくりくる。さらに、自分は友人関係をはじめ第三の居場所的なコミュニティへの帰属意識も薄いため、人一倍この感覚が強いと思う(この辺りはAスペクトラムのステレオタイプなのであまり大きな声で言えないのだが)。

Covid−19のパンデミックの中で、公のメッセージとして「ステイ・ホーム」や「助け合おう」といった内容が発されるにつれ、友人同士であれ近しい人間関係に依拠した社会福祉の欠陥を恨むと同時にそこから見放された気がした。私の中の「ひとりで生きる」という感覚は「一人暮らし」というだけでなく、もっと根本的に人間が個人単位で生活できる社会への強い希求でもある。

学部生の頃、おそらく20歳になったばかりの時にジェンダーやセクシュアリティに関する入門的な講義を受けていた。

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