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無職の父と、田舎の未来について 第17回 勝手に上がる人生のステージと、渡されないチャンスを次に渡すことについて 文/さのかずや(仕事文脈vol.17)

半年ごとにこの文章を書かせて頂くとき、毎回自分の中でひとつのマイルストーンと思いながら書いています。今回は、この文章を書かせてもらうタイミングがいつもよりずっと遅く感じました。この半年を振り返ると、ずっと長期的なスケジュールが見えず、日々懸命に過ごしていたけど、振り返ってみると何もなかったような、不思議な気持ちになっています。さのかずやです。

引っ越して結婚して起業して、できるようになったこと

前回、いろいろ計画していることがある、と書いた。その内容はこの3つでした。note書いたら400いいねくらいついた。ありがとうございます。これもまた、コロナ禍におけることばの力かも。ことばだけなら、お気持ちを表明するだけならいつでも誰でもできるので、お気持ちよりも強い結果を出す。

6月、コロナが一段落したころに、通算5年住んだ東京から札幌に引っ越した。じつは前回の仕事文脈を書いたときは、北海道に引っ越して結婚することは決めてはいたが、札幌に住むつもりではなかった。地元近辺でなにか事業としてやれることを見つけて、妻と一緒に始める予定だった。
ただ2月3月ごろに状況が一変し、いろいろと話して考えた結果、札幌に引っ越すことにした。5月ごろに。ちょうどそのころ妻の仕事も札幌で決まり、割とスムーズにすぐに引っ越した。
年1回以上来てるけど住んだことはない札幌。札幌とオホーツクを行き来しながら過ごした夏はめちゃめちゃ快適だった。杉並区の善福寺川沿いをジョギングするのも悪くなかったけど、やっぱり豊平川沿いをジョギングするほうが圧倒的に気持ちいい。

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札幌市の中心部を流れる豊平川。すすきののすぐ横でもキツネが歩いている。

引っ越して、個人事業から法人を立ち上げた。会社の名前は「株式会社トーチ」。株式会社にした強い理由はないが、合同会社は個人からあまり離れないような感じがしたので、社会に必要なものとして残っていけば自分がやらなくてもいいな、と思い株式会社にした。
会社として目指すものとして「どこに住んでいても、つくってゆかいに暮らす。」ということを掲げている。特に会社として目指すものがないなら、フリーランスの個人事業のままでいいはず。わざわざ法人を立ち上げて、個人でできないことを会社を使って実現するために何が必要なのか。コロナで全部止まったときに、家でスプラトゥーンをしながらずっと考えていた。その結果、自分が一番信じられるものは「なにかをつくる」ということに向けられる情熱だとわかった。
自分は、つくって生きている人たちと生きていきたい。なんとかして新しい価値を生み出し、正当に評価され、自分が決めた場所で生きていくためにちゃんとお金を得る、という活動をしている人たちを一番信じたいと思った。会社はそのための道具にできるのではないかと考えている。

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