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馴染みの店の、馴染みじゃないメニュー/辻本力 第7回レアなあらスープ

現在、3度目の緊急事態宣言中——しかも延長中ということで、すでに1ヶ月以上飲みに行けていない。こんなことは、身体を壊して入院していた時以外ない。飲み食いを至上の楽しみとしている身には、この現状こそが緊急事態という感じだ。馴染みの店(飲み屋)で、馴染みのないメニューに挑戦するという本連載もやりづらいことこの上ない。そんなわけで、しばらく更新が滞っていたが、また飲みに行ける日に想いを馳せつつ、少しばかり記憶を遡って書いてみたい。

世には裏メニューという、一部の常連にしか知られていない料理が存在する。これを、ある日食べることが許される機会が訪れたなら、それはまさに「馴染みの店の、馴染みじゃないメニュー」に巡り合った瞬間と言えるだろう。そうしたメニューに存在しない料理といえば、他に、店主が気まぐれに作ってくれる一品というのもある。女将さんの絶品料理を肴に、豊富に揃った日本酒を楽しめる近所の居酒屋は、グランドメニューの他に、その時々の季節の料理がラインナップされる。旬の食材を使った「その時期」にしか食べられない料理を楽しみに、「そろそろ筍のシーズンだな」「昨年食べたとうもろこしのかき揚げ、今年もあるかな?」などと期待で胸を膨らませながら、のれんをくぐる。

こうした季節モノも、「いつでも食べられるわけではない」という観点から見れば、「馴染みじゃないメニュー」と言えるかもしれない。しかしまあ、「また食べられるかな?」と楽しみにしている時点で、馴染みのメニューだとも言える。定義の話をし出すと少々面倒なことになってくるが、1つ言えるのは、この店には、さらにレア度の高い季節モノが存在するということだ。それは、その日メニューに並んだ旬の魚のあらでとったスープである。

大きな店ではないため、仕込む量はそれほど多くない。ゆえに、少量しか作れない。毎回作るわけでもないから、メニューにも載らない。しかも、あれば必ずもらえるというわけでもなく、その日のその時間の客の入り具合や、カウンターに座るメンツなどによって出たり出なかったりする。

別段女将に確認したことがあるわけではないので、提供の仕方に何か法則めいたものがあるのかどうかは分からない。しかし、そのイレギュラーさゆえに、このスープは私の中で、出てきたらかなりラッキーなレア・アイテム的存在となっている。

最後に出してもらったのは、確か昨年のこと。のどぐろのあらを使ったものだったと思う(出てきた段階でかなり酒が進んでいたので、記憶が怪しい)。ぐいのみ程の小さな器に注がれた半透明のスープには、具はなく、わずかに薬味の小葱が振られているのみ。この簡素な見た目の液体を口に含めば、出汁の旨味がうわっと広がり、喉から胃に到達するに至って、じんわりと身体の内側から慰撫されるかのような心地よさに思わず溜息がもれる。

しかもこれ、いわゆる締めのスープ的な五臓六腑に染み渡る系の優しさに、ガツンと来る旨味のインパクトを兼ね備えているため、ツマミとしても優秀なのだ。スープを一口、日本酒グビリ、スープ、日本酒、スープ、日本酒……内臓を癒されつつ酒をも渇望させられる無限ループにはまり込み、気づいた時には徳利もスープもすっからかんになっていた。ついでに言うと、この交互飲みに夢中になり、写真も撮り忘れてしまった。

今日、お店のfacebookを覗くと「6月20日まで 休業と致します」との投稿があった。そこには現状への困惑と、早く店に立ちたいという女将の切なる願いが滲んでいた。再開の日が待ち遠しくてならない。

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夢中で飲み干してしまい、写真撮るのを忘れていた。代わりに、お店のカウンターを写したものを一枚。ちなみに、女将は無類のドラえもん好き。

辻本力(つじもと・ちから)
1979年生まれ。ライター・編集者。文化施設「水戸芸術館」を経て、2010年に生活と想像力をめぐる“ある種の”ライフスタイル・マガジン「生活考察」を創刊。文芸・カルチャー・ビジネス系の媒体を中心にいろいろと執筆中。編著に『コロナ禍日記』(タバブックス)。
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