下手打てねぇ……。

 前回のりいさんのお題、桜ソングは面白いことになりましたね。本当に歌詞のような詩が届いて。なんとなくメロディーを考えていたら、自分のお題になかなか手が着かなかった私です!!!
 桜の儚さに憂鬱な心を乗せたという感じなのかな……歌詞って必ずしも言いたい事全部を書くものじゃないと思うので、書かれている部分から察していくしか出来ないというのはあるのですが、孤独感とでも言えばいいのか、寂しさを感じる詩ではありました。春にドキドキワクワクするばかりではないところに、日本人らしい心情を見た気になりました。これが侘び寂びかぁ……(知らんけど)。

 さて、私もお題回答といきましょう。
 下手なこと答えられないお題を回されてしまいましたねぇ……。
 こうなると、私は私の立場から物を言うしかない……ということで、ひとつお堅い文章にしてみました。エッセンスどころか、ズバリな感じで真正面から攻めていくのが我がスタイル!!! 
 正面突破じゃい!!!!

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お題・宗教


  宗教についての一考察。

 人類の宗教的行為は中石器時代には存在し、古代エジプトやメソポタミアで成文化され宗教史が始まったとされる。人類の文化的発展に宗教的観念が必要不可欠であった事に異を唱える者は少ないだろうが、現在の日本に於いて宗教が必要なものであるかは議論の余地があるだろう。
 日本には仏教やキリスト教といった世界的・伝統的な宗教、神道の様に日本固有の宗教、近代以降に成立した天理教などの新宗教が存在する。宗教法人の数は十八万を超えるが、日本人の宗教離れといったニュースが取り沙汰されるようになって久しい。特に、若者の中には自らを「無宗教」だと主張する者も少なくない。
 しかし宗教とは、広辞苑に於いて『神または何らかの超越的絶対者あるいは神聖なものに関する信仰・行事』とされている。日本には数多くの宗教的行事が今も残存しており、初詣や盆、クリスマスなど多岐に渡る宗教行事が一大イベントとして盛況を見せる。海外から新たな宗教行事を取り込む事もあり、ハロウィーンなどは近年若者の間では外せないイベントだと言えるだろう。
 宗教的行事に積極的に参加しながら、若者が「無宗教」を主張するのは信仰心の欠如であると私は推察する。信仰心とは、神や仏、その他神聖なものに対する絶対的信用であり信頼である。現在の若者の多くは信じる事や祈るという行為が救いに繋がるとは考えていない。それは絶対的な何かに全てを任せあるがままに生きるという選択肢を捨て、困難な未来を自らの手で切り開こうと生きているからだ。幸福や勝利は与えられるものではなく、自ら選び掴み取るものだと確信している。長い歴史において、日本人は災害や疫病、飢饉といった生きる事が困難である事象に何度となく直面している。これらは過去の人間の力で太刀打ち出来ないものだった。しかし、それらの多くは人間の技術や科学、医学などの発展により、人の手によって克服されてきた。現在の日本人は、この歴史を理解しているのだ。
 だが、人間の技術に生かされ、自身の意思により自由生きる現代の日本人に宗教が不要なものであるとは断言しがたい。食事の前後に手を合わせ「いただきます」「ごちそうさま」と唱える者は決して少なくない。だが、この馳走という言葉が仏教用語であることを理解している者は少ないだろう。親から子へ、躾として受け継がれるこれらの行いは宗教的な意味合いをもっていることは少ないが、宗教が文化の基層であることを如実に証明している。
 近年、過激な信仰心が他人や自身の生命を脅かす事例は確かに存在する。だが、宗教というだけで忌避すべきものでは無い。選択し生きることの出来る現代人だからこそ、継承される文化のひとつとして、宗教に触れるという選択肢を端から除外する必要は無い筈だ。その行いによって、信仰心が芽生える事が無くとも、その経験は人を豊かにはするだろう。宗教に於いても、自身に必要な物事を自身が選択するという姿勢を変える必要は無い。見識を深める機会を食わず嫌いのようにして失う事の無いように。自戒としても書き記し、拙文の締めとする。

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 あー、つかれた。文章って難しいねぇ。
 言いたい事伝わるのか、これ。
 ざっくり思うことは書いたけど、お堅い文章なんてもうずっと書いてないもーん。ろんぶんなんて、もうかけなーい。わすれちゃったもーん、しらんもーん=͟͟͞͞\( ᐙ )/あははははは

 さあ、次のお題ですね。次のお題は「五月病」で如何ですか。出来れば小話が読みたいなーなんて注文付けて今回はお終いっ!!!

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