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むすびにかえて

一応、長々書いていた自分の話を今回で一区切りしたいと思います。
ここで終わらせるのは非常に中途半端な気がしますが、そもそも私は今でも中途半端な人間なので仕方ないと思っています。

暗中模索で書き始めた頃から、未だに目に見えて何の結果が得られたわけでもありませんが、一つ感じているのは、その時期と比べて生きているのが随分と楽になってきたな、という事です。少しずつ鈍感になって、ある意味開き直れる部分が出てきたからかもしれません。歳を取るのもそう悪いことばかりではないのかもしれませんね。

心のバランスの取り方も、少しずつですが上達してきた気がします。

作家の田口ランディさんが、若い時、十六歳から十七歳になるのが嫌だった、十七歳から十八歳になるのも嫌だったみたいな事を過去に書いていましたが、私も十代の頃は大体同じで、十七歳から十八歳になるのも嫌だったし、ましてや二十歳になってしまった時はいいようのない絶望感でいっぱいになりました。そもそも私は大人という存在が大嫌いな子供だったし、歳を取るのはどう考えても、少しずつ死に近づいて何かが失われていくだけだというのに、どうして周りがそんなに浮かれていられるのかずっと不思議でした。

二十代になっても自分が三十代になるという事が本当に信じられず、自分だけは三十路の誕生日を迎えると共に自然死、もしくは尾崎豊のように民家の軒下とかで発見されるに違いない、そうにちがいない、と強く確信していましたが、ただの勘違いでした。

最近も変わらず何かしら書いていますが、寒暖の差が激しい時期はちょっと体調が整わず、同じところで足踏みさせられているような感じです。

あと一応、何か書いている人、これから書きたいと思っている人と何かしらシェアしたいという気持ちがあるので、最後に自分が今まで参考になった情報をざっと載せていきます。
基本的に私は説明、解説がとても下手なので、興味がある方は実際のものを御一読下さい。本当に、読んで損はないものだけを挙げていきます。

現在世界中で流れ続けている様々な物語の基本の型というのは、四百年前のシェイクスピアの時代には既に完成していたようです。演劇に限らず映画やドラマ、小説から漫画に至るまで、ベストセラー、ロングセラーと呼ばれるものは必ず一つの決まった型を踏襲しています。

基本は三幕構成、幕が上がって話しが始まり、一度幕が閉じてまた開き、もう一度閉じて開いてクライマックスになだれ込む、というやつですが、この幕が開いて閉じる、というタイミングでストーリというのは必ず話しの流れが変わる出来事が起きます。

幕、という物理的な物がなくても、例えば映画なら必ず全体の時間配分を1:2:1で区切るとこの流れが変わるポイントが起きます。例えば二幕目に切り替わるターニングポイントで謎の病気が蔓延してみんなゾンビになる。深海から半魚人が攻めてくる。UFOが舞い降りて宇宙人と交流が始まる。等々。三幕目でテロリストによって時限爆弾が設置されるとか、不老不死の薬をついに手に入れて黄泉の国から脱出するとか、そういう感じです。
本の内容はもっと詳しく色々書いてあります。

これはあんまし研究、分析しすぎると大体の映画やドラマの流れやオチが即座に分かるようになってしまい、単純にそういうものを何も考えずに楽しみたい、という方には当然お勧めしません。

あと、小説は幕が下りたり、時間で区切ったりできないです。なので出来事単位で区切ると良いと思うんですが、それを端的に説明してくれてるのはこちら。

みなまで言いませんが、これも恐ろしい本です。
近年の芥川賞受賞作なども含めて、作品の中の出来事をざっくりと箇条書きにしてこの本のフレームにあてはめてみましたが、結構な数の作品が寸分漏らさずぴったりハマりました。

それなら、なんとなくの出来事だけを決めてその間を繋げれば話しは出来上がるのかという事になりますが、やっぱりそういう訳にはいきません。何となくの流れはできますが、取って付けたようなスカスカの内容になります。その人の血の混ざった文章とそうでないもの、分かる人は最初の2、3行を読んだだけで即座に見抜いてしまいます。
何より、そんなものを作っても自分自身がつまらないですね。

なのであくまでも自分の力だけで自分の作りたい作品を作ってみて、それでも何かが足りない、まだ書き足せそうな気がする、という時に見比べてみると何かしらのヒントが得られる、その程度のものになると思います。

基本的には思いついたアイディアをすぐに記録する。少しでも他人と共有したければ発表する。(点を打つ)。まとまったアイディアを並べて、似ているもの、関連がありそうなものを繋げていく(線で結ぶ)。それを繰り返し行くうちに、ぼんやりと作品の全体像みたいなものが見えてくる(面にする)。
その図面のサイズに合わせて、後は総力を上げて家なり城なりを建設していく、という所でしょうか。こういうのをわかりやすくまとめているのはこれですね。

点を打つ、という意味でこのnoteは非常に有用です。何気なく書いた日記のつもりなのに、何故か他の記事よりスキやコメントが多いなー、というのは先述のフレームワークなどを参考に他の点と繋げて推敲していけばその人独自の作品になる可能性があります。

ちょっとクドクド書きすぎた気がするのでノウハウ的な話しはこのくらいにします。基本は何でも自由に楽しく作った人が勝ちですね。力まず楽しくやる、というのがいつでも良いアイディアを出す秘訣なのかもしれません。

あと、もう一つ声を大にして言いたい事が一つありました。

近年、AI翻訳の精度が飛躍的に上がっています。

仕事の都合上、私も日々英語は少しずつ勉強しているのですが、文書で単純に意思疎通するレベルのやり取りなら、もうあまり勉強しなくても充分成立してしまいます。とんでもない事です。微妙な言葉のニュアンスとか、特殊な文体とかの問題までカバーするのはまだまだ先の話だとは思いますが、それを考慮しても言葉の壁が崩壊する日は限りなく近い気がします。

もう紙の本なんて需要がない、純文学なんてオワコンならぬゾンビコンテンツである。そういわれて久しいですが、様々なコンテンツで溢れかえり、本を読む人の数はこれからもどんどん少なくなっていくとしても、最終的な本好きの絶対数というのは変わらないと思います。どの時代のどんな国にでも読書家というのは必ず存在し続けるわけで、AI翻訳がますます発展して、そんな世界中の本好きを、母国語の壁を外してひとまとまりにプールできてしまう日が来るのだとしたら。

わくわくしないでしょうか。私はわくわくしています。その分競合相手が増えるじゃないかと怒るのは、つまらない物を量産している人達だけだと思います。

人種、国籍、性別、容姿、年齢、社会的地位、知名度、本当は全て関係なくて、ただただ魅力的な作品を作れた人がいつだって偉いし、もっと報われるべきなのです。

どうでしょうか皆様、今でも成田は牙を研いでいますよ、チュンチュンに尖っていますよ、とアピールできたところで、とりあえず、書く事をめぐる冒険は、これでひと括りとしようと思います。

今までたくさんのスキ、あたたかいコメントをありがとうございました。
おかげ様で成田の彷徨える魂は完全に救済されました。
ご飯だけは毎日もりもり食べています。

書くことに関しては変わらず続けているので、また日を置いて、思うこと載せられる物あれば投稿いたします。今度ともよろしくおねがいします。

皆様の作品もいつも楽しみにしています!

ではでは(^-^)

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