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【無料公開】おわりに〜「自分を探すな。世界を見よう」より

〜おわりに〜

本書の校了を控えた2023年3月上旬、私は、羽田発の朝イチ便で実家の小松に戻った。目的は、母に会うためである。

母は、数年前から進行性の脳の病気となった。治療方法の見つかっていない難病だ。病状は、ゆっくりだが確実に進む。昨年秋からは年老いた父による自宅介護にも限界があるということで、介護施設に入っている。世間ではコロナへの警戒感は緩みつつある2023年の春でも、老人介護施設の警戒はいまだ厳しく、正月の帰宅も許されず、施設での面会は、アクリル板越しになってしまう。これまでは、脳機能は弱るものの、身体は健康だったのだが、年明けからは体重も減りだしていた。直に対面する機会は、2月に1回程度の経過観察があり、その通院に付きそう場面しかないため、その機会を捉えるべく、日帰りで帰省したのだ。

病院の待合ロビーに、父と妹と私と、家族が集まり、母と久しぶりの対面を待っていた。施設からの送迎車が車寄せに着いた。母が降ろされ、車椅子を妹に押されてこちらにやってくる。直前まで、北海道のニセコ町でスノーボードに行き外国人にまみれたりと、東京で好き勝手しまくっている私との接触は、施設が嫌がるかもしれないということで、私は車寄せには出ず、ロビーで待っていた。

妹が、母に「今日は、サプライズの特別ゲストがいるのよ!」と話しかけながら、車椅子がこちらに向かってくる。さあ、久しぶりの親子対面である。

ところが、実の息子である私の顔を見ても、どうにも反応が薄い。こちらから話しかけると意味は分かっているのか、目元に笑みが浮かんだりするものの、母の方から発話をすることが出来ず、会話もままならない。
覚悟はしていたものの、いよいよ病気の進行がここまで来てしまったかと、久しぶりに母に会えたという喜びよりも、困惑の方が上回った。

診察と検査自体は、1時間ほどで終わり、本当はすぐに施設に戻るべきところ、家族4人で実家に戻った。行きつけの回転寿司をテイクアウトしての、ささやかな親子4人の昼食会だ。甘いものが好きな母のために、ケーキも買った。嚙んで飲み込む力も弱っているため、寿司を食べさせることは諦め、買ってきたケーキのクリームの部分を私がスプーンですくい、母に食べさせた。食欲はあるようで少し安心した。「人間は歳をとると赤ん坊に戻る」というが、母は離乳食を食べる無邪気な赤ん坊のようだった。

そんな母が、もっとも強く反応したのは、長男とのアメリカ旅行の写真を見せながら、「あいつは寮の中学に入って、楽しそうにやってるよ。身長も172cmになったんだよ」という話をしたときだった。目を丸くして「あら、そうなの!すごいわねえ」とでも、言いたそうな声を出した。

そんな中で蘇ってきた記憶がある。
私にとっては、忘れられない春の記憶だ。

1994年の春、私は東京の大学に合格した。憧れだった東京での一人暮らしが始まることとなり、部屋の契約などの準備のため、母が私と上京してくれた。武蔵小杉駅の近くにアパートを借り、家財道具も揃え、鍵の受け渡しも終えた。

本書にも書いたが、私は、ずっと東京での暮らしに憧れていた「メディア野郎」である。そんな私は、もう受験勉強もしなくていい!さあ、レコード屋にも書店にも、クラブにも通い放題だ!深夜放送もエッチなビデオも遠慮なく見放題だ!本当の俺の人生が、いよいよ!さあ、ここから始まる!とばかりに胸が高鳴りまくっていた。

そんな興奮状態の私であったが、新生活の準備を終え、付き添ってくれた母を見送るべく、二人で並んで駅まで歩いた。その道すがら、私は気づいた。母は、なんだかひどく悲しそうなのである。

一人暮らしの始まりに、嬉しさを抑えきれず、正直、1秒でも早く、母に帰ってほしいと願う自分。でも、そんなカゴから放たれた鳥のように嬉しそうな息子を咎めることもできず、とても寂しそうな顔で、息子の横を歩く母の胸中を思うと、ああ、親子というものは、ここまで残酷にスレ違ってしまうものなのかと、息子ながらに感じた。さすがの私も、少しは気が咎め、心持ち、駅までゆっくり歩いた。それでも改札にすぐに着いてしまい、とても寂しそうな顔をした母を見送ったことをよく覚えている。

「親の心子知らず」というが、親子とは、そもそも、そのような片思いなのだ。

最後に改めて、言っておこう。
この本に書いてきたことは、父から息子への一方的な手紙でしかない。もし子どもたちに、命令できるなら、私からの唯一の願いは「自分の人生を楽しめ!」だ。

遅かれ早かれ、私は死ぬ。子どもたちも、いつかは死ぬ。
どの程度、人生を楽しめたか、その答え合わせは、あの世で、じっくりやろうじゃないか。

さて、男3人の酔狂な旅に快く送り出してくれた妻と、チアリーディングの練習に出るために東京に残った娘。そして、本書を編集してくれた松田祐子さん、文章構成を担当してくれた伹馬薫さん4名の女性に心からの感謝を申し上げたい。あなたたちの理解と協力なくしては、あの旅行もなく、この本が世に出ることもなかったであろう。

どんなに遠くまで旅をしてみても、いつだって男なんて、女性から見れば、お釈迦様の手のひらの上の孫悟空である。息子よ、このこともよく覚えておけ!

田端信太郎

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