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マンゴーの繊維を受け止めて【カラモジャ日記 24-05-10】

 5月に入った。待ちに待ったマンゴーシーズンの到来だ。

 日本でマンゴーを買おうと思ったら、いくらくらいかかるんだろう?検索をかけた僕は、率直に言って驚いた。1kgあたり、数千〜数万円だって?

 ウガンダ北部 (僕が暮らす特定地域) は、マンゴーが非常に豊富な場所だ。巨大な桶一つに山盛りに積まれたマンゴーが、なんと2,000ugx (≒ 80円) 。破格中の破格。

 町のいたるところにはマンゴーの大木が立ち並び、雨季の強い風が熟しかけた黄色い果実を揺らしている。路上では少年たちが、空高くに実ったその果実を細長い木の棒で突っつく。すると表面が少しだけ柔らかくなったマンゴーが、音を立てて落ちてくる。

 脇道には腐るほどのマンゴーが転がっていた。

 マンゴーフィーバータイム、解禁。

 街中の少年がそうするように、僕も庭にあるマンゴーを穫る。毎朝庭に出てはマンゴーを収穫し、皮を剥いてプレーンヨーグルトに混ぜる。とても甘くて美味しい朝食だ。

* * *

 ある日の夕方、仕事から戻った僕が庭の門をくぐると、新しい警備員が話しかけてきた。最近は出張続きで、あまり自宅にいなかったこともあり、僕は彼のことを認識していなかった。
 まだあどけなさの残る青年、その顔はトイ・ストーリーに出てくるバズ・ライトイヤーを彷彿とさせる。

「おかえり」とバズ・ライトイヤーが微笑んだ。
「ただいま」と僕も笑顔で返事をした。
「今日の夜ご飯はなんだい?」
「まだ決めてないけど......どうして?」
「お腹が空いたから、晩御飯を分けてほしいんだ」

 僕の表情は曇った。こういうことはよくある。彼は僕の自宅のオーナーが契約した警備会社から派遣された警備員だ。彼の食事は本来会社がなんとかすべきもので、僕に責任はない。
 それに、警備員の中には「お金を貸してほしい」とか「ランチ代をめぐんでほしい」とか、いろんな要求をしてくる人もいる。僕は正直に言って、そういったことに疲れていた。

 アフリカにおける外国人NGO職員というのは、少しばかり難しいポジションだ。ここではそもそも、NGO=エリートの仕事、つまり高給取りだと思われている。
 実際に、現地の生活水準から考えると、それはある意味で正しい。

「ウガンダで何をしているの?」と聞かれて「NGOで働いている」と正直に答えると、すぐに要求の嵐が吹き荒れる。

「お腹すいたから、ご飯代をくれ」
「子どもの教育費を滞納しているから、貸してくれないか?」
「母の病院代をカンパしてほしいんだ」
など、何かしらの恩恵を求めて、僕に近づいてくる。

「それはできない」と断れば「それくらいのお金を持っているくせに」と明らかに不服な表情を向けられる。僕の方にも言い分があるし、納得のいかないところもあるけれど、そこでぶつかっても、誰も幸せにはならない。
 そんなことを繰り返すうちに、僕は新しい出会いを避けるようになり、人との交流は明らかに減った。それは本来僕の求めているアフリカ生活ではなかった。

* * *

 初めてウガンダに来たときのこと。右も左もわからなかった学生の僕は、多くのことを”路上から”学んだ。

 道端で男たちが、マンゴーの木を揺らしている。その側で赤ん坊を背負った女性たちが降ってきた果実をカゴに入れ、路上で販売している。僕は理由もなく、そのマンゴーを買った。

「どこから来たんだい?」と一人の女性が言った。
「日本から」
「私たちと友達にならないかい?」
「え?友達?」
「まぁ、座りなよ。話でもしよう」
 そうして僕は、路上でマンゴーを売る女性たちから、アフリカ生活の基礎のようなものを学んだ。マンゴーの剥き方から赤ん坊の抱き方に至るまで、文字通り”たくさん”のことを。

 僕たちはつまらない話に声をあげて笑いながら、マンゴーを食べた。その歯の隙間にはぎっしりと、マンゴーの繊維を引っかけながら。これが僕の原点だった。

* * *

 翌日は在宅勤務だった。1日室内で過ごした僕は体を伸ばそうと庭に出た。目の前にそびえ立つマンゴーの木を眺めながら、少しばかり首を回す。

「さて、晩飯のデザート用にいくつか穫ろう」

 そう思って適当なサイズの熟した果実を探すものの、今日はなかなか手の届くあたりに程よいマンゴーが見当たらなかった。
 大木の根本から上を見上げると、確かに高いところの枝にはいいサイズがたくさんある。でも、僕の持ち合わせの技術では、それをもぎ取ることができない。

今日は諦めようか。そう思ったときだった。

「マンゴーを探しているのかい」とバズ・ライトイヤーがバケツを片手に近寄ってきた。
「あぁ、でも今日は手の届くところにはなさそうだ。諦めるよ」
 僕は昨日の一連のやりとりがあって、少しばかり気まずかった。一方で彼は特段気にしているようなそぶりはなかった。
「俺が穫ってやるよ」
 そう言ってバズ・ライトイヤーはどこからか拾ってきた長い棒を片手に、目の前の木によじ登り始めた。そしてフェンシングのメダリストを思わせるかのように、次々と高所のマンゴーを突いた。

「拾って、バケツに入れてよ」と彼は言った。
 僕は彼が落としてくるマンゴーを拾い上げては、バケツの中に入れて回った。すぐに、バケツは果実で満たされた。
「おーい、もうバケツがいっぱいだ」と僕は言った。
 彼は僕のその言葉を合図に、マンゴーフェンシングを止めた。

 そして彼は一個のマンゴーを手に取り、すぐさま皮を剥いてかぶりついた。とてもうまそうに、マンゴーを食らう。そして彼は少年のような無邪気な笑みを浮かべて言う。

「あとは全部あげるよ」
「えっ?」
「いいから持っていったらいい」とバズ・ライトイヤーが言った。
「いや、そんなには......」
 僕はためらっていた。そして昨日、彼のことを冷たくあしらった僕自身の態度を思うと急激に恥ずかしくなった。
「マンゴー、好きなんだろう?いいから、持っていきなよ」

 彼の顔をみると、その歯と歯の間にはマンゴーの繊維がぎっしりと詰まっていた。そして僕の頭の中には、あの日の路上がフラッシュバックした。

 利害関係なんて気にせず、時間や効率なんて気にせず、出会った人々との交流を楽しんだ学生時代。それに比べて、人との”余計な”交流を避け、仕事ばかりに追われるNGO職員となった僕。

 心が締め付けられるような苦しい気持ちになった。

「もっと人と関わっていたい。でも、それができない。いや、僕ができないように決断している。これでいいんだろうか? いや、きっと良くない。僕はもっと人と関わっていたい」。

「ありがとう」そう言って食べきれないほどのマンゴーを受け取った。

 その夜、僕は思いついたかのように、皮を剥いたマンゴーをそのまま齧った。幾多もの繊維が歯茎の隙間に入り込んでくる。その繊維の一つ一つ、味わうようにして受け止めた。なぜか自然と込み上げてくる涙をこらえながら。


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