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【粘菌】 と 【庵野秀明監督】 に思うこと

粘菌という生物がいて、ナウシカの漫画版の後半に出てくるあれなのですが(本物はすごく小さい)、僕は粘菌の生き方に非常にシンパシーを感じていて、彼らの生き方がすごく好きです。

彼らは、
細胞が一つしかない いわゆる単細胞生物なのですが、迷路を解くことができます。(迷路のスタートとゴールに餌を置くと、そのスタートとゴールの一本道を綺麗に結ぶことができる。)しかも、まずは餌と自分の最短経路を確保して増強し、十分な栄養を得て体が大きくなると、今度は保険のためのルートを作り出したり、耐故障性や新たな可能性を考えて動き出したりする。ものすごく効率的で頭がいい。

そんな彼らの判断は「中枢的」ではなく「自律分散的」。

俯瞰的に全体を見て計画的に動くのでなく、一歩一歩歩いた先にあるものを感じながら、それぞれの「部位」が感じたままに自分で判断を繰り返していきます。そうやって、ちゃんと生物としての最適解に辿りつくことができる。それってすごいな!って思うし、とても自然な気がします。

でも、
人間の考え方や組織はもっと「中枢的」。情報を集めて全体を俯瞰し、脳で計画を立て、その通りに物事を進めていこうとします。だからこそ大きなできごとが成し遂げられたり、早く大きな成果をあげたりできる部分はあるかもしれない。ただ、動いた先にある小さな変化や感情が、無視されやすいんじゃないかとも思う。言葉にできない「空気感」のようなものは無いものにされやすいし、目的以外のできごとは排除されやすい。

以前、
庵野監督のドキュメンタリーで、スタッフが一生懸命考えたアイデアを提案したときに「その方法ではないことはわかった」とぶっきらぼうに反応する彼を見て「あー!粘菌がこんなとこでも生きている!」って嬉しくなりました。画コンテも作らないままにシン・エヴァンゲリオン劇場版を制作しようとする彼は、人間社会でそのままに生きていくのは本当に大変だろうなと思った。一歩一歩、進んでみないとわからない。実際に感じてみないとわからない。でも社会はそんな風には回っていなくて、異なる動きをする個体を排除しようとする。

闘ったんだろうな、とも思うし、どうにもこうにもそうやってしか歩けなかったんだろうな、とも思うし、「あなたはそれでいい」という立場を築けたように見える彼を、ものすごく尊敬する。
すごく勇気をもらえました。
こーゆー歩き方でも、生きていける人はいる。

というわけで

何をそんなに語り出したかというと、最近制作を進めている「ルート411」という楽曲なのですが、もう少し時間がかかりそうで。。。

いろんな方に参加していただきながら作っているのですが、やっぱり録ってみないとわからないことがたっくさんあって!できる人なら、譜面を書いてその通りに歌ってもらったりするのかもだけど、僕は実際にその音を感じないとわからなくて、感じるとまた「その音」を生かすアレンジに変えていきたくなったりして。

そんなこんなで、
せっかく録ったのに使われてないじゃん!!とかあるかも!自分の試し録りではアリな気がしたのだけど、実際にその人の声が入ると全然違ったりするのです!ごめんなさい!でもここで変な遠慮してはいけない!楽しみにしてくれてる方々のためにも、レコーディングに参加してくださる皆さんのためにも、ちゃんと納得いくカタチに仕上げます!

ふーーー

はい。そんな言い訳が言いたかっただけでした。

僕自身、なんでわざわざそんなに大変な道を選ぶの?と、言われることも多々あるけれど、僕にとってはこの曲がりくねった道こそがまっすぐで、それしか見えないのだからしょうがない。
ふあ〜あ
さ、生〜きよっと。

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