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タクシー乗り場 その1

文字数:6417字

まえがき

 最近記事の投稿が激減している。別のことにうつつを抜かしているからだ。それが何かをお知らせする義務はない。
 そんな時にふと思いついたのがこの記事だ。
 
 そういえば、日本国内でタクシーに乗ることは極めて少ない。
 海外に一人旅に出かける時ですら、JRを使っていた。「使っていた」という表現はコロナのせいで海外に出かけることがなくなったからだ。
 JR駅のすぐ近くに住んでいたおかげで、タクシーに乗ることはほぼない。
 海外に出かけるとそうはいかない。空港からホテルまではタクシーが便利なのだ。
 と言っても、空港からバスや地下鉄を乗り継いでホテルまで歩くことも少なくない。
 
 山ほどの経験があるわけではないが、海外でのタクシー乗車をもう一度楽しんでみたいと思って書いてみる気持ちが起きたのだ。何も特別なことを書くわけではない。普通に乗った経験談だ。
 現在では随分安全になった気がしている。最初の頃は怖くてこわくて・・・不安そのものだったこともある。
 

1.ミシガン大学からデトロイト空港へ

 1970年の経験だ。
 海外初タクシー乗車だ。
 本当は・・・リムジンなのだが・・・。
 とうとうミシガン大学の全スケジュールが終わって、帰国の途に就くのだ。
 デトロイト空港から大学までの話は既に「留学ってきつい、楽しい その1」で書いている。2時間余りのちょっとしてバスの旅だ。
 調べてみると、リムジンで空港に向かう方が安いことが分かったのだ。しかも、大学までピックアップしてもらえるというおまけつきだ。
 数日前に電話で予約しておいた。
 快適だった。
 まだ誰も先客がいなかったからだ。
 そのうち、あちらのホテルに寄り、こちらのホテルに寄って客をピックアップした。意外と時間がかかるのだ。帰りの便に乗り遅れはしないかと心配になるほどだ。
 そういう点で、私はアメリカを信用していない。万一飛行機に乗り遅れたとしても「ごめん」も言ってくれそうにないのだ。「ごめん」と言ってくれるかどうかは確認が取れてはいない。デトロイト空港に着いた時には、時間が十分足りていたから、そんな検証場面には出くわすことがなかったからだ。
 今ではごく当たり前のサービスではあるが、当時は「リムジン」と聞いただけで高級な気分になってドキドキしたことを思い出す。
 

2.リムジンと言えば・・・

 1988年に妻と行ったホノルル空港からホテルまでのリムジンも助かった。 
 タクシーでホテルまで行こうと思っていたのだが、運よくそのホテルまでのリムジンが運航しているところに出くわしたのだ。ドライバーに聞いてみると、空席があるよ、ということで乗り合わせることができたのだ。車内は静かだった。アメリカ人たちの割にはあまり大きな声で話す人がいなくて寂しいくらいだった。私と妻とは小さな声でひそひそ・・・だ。
 無料だったか、お金を払ったか、覚えていない。
 払ったにしても、チップ程度だったような気がする。
 
 妻との16日間のセカンドハネムーン(実質はファーストだが・・・新婚旅行にはお金がなくて行ってはいないからだ)の最後の旅程がホノルルだった。
 その前がロサンジェルスでの3泊4日(?)の滞在だ。
 ワシントンDCからロサンジェルスに着いて、滞在先までタクシーに乗る予定だった。しかしタクシーは怖い気がしていた。1980年代は私にとってはまだまだ怖い気持ちが先に立っていた。
 スマホがあるわけでもないし、前もって調べようもなかった気がする。手にしている情報は『地球の歩き方』1冊だけだ。
 私たちが宿泊する場所はヒルトンでもなければシェラトンでもない。
 どんなにして調べたのか覚えていないが、名もないドライブインだ。当時は日本ではカーテルと呼んでいたような気がする。車(カー)と(ホ)テルをくっつけただけの呼び名だ。怪しげだ。モーテルという場合もあった。
 生徒にこの時の話すると、「先生、そんな怪しいホテルに泊まったんですか?」などと揶揄される始末だ。当時の日本ではそのような感覚だったのだ。
 アメリカでは、安くて家族で泊まれるので特段の問題はない。妻とはナイアガラでもモーテルに泊まった。1泊10ドル程度だった。1ドルが250円位だったから安いものだ。
 3人でも4人でも寝ることができるような大きなベッドと広いバスルームが付いているから安くて十分だ。
 
 リムジンの話に戻すことにしよう。
 ロサンジェルスに着いてから、私は空港とホテルを結ぶリムジン・サービスを利用してみることにしていた。リムジンなら、タクシーよりも安く行けるし、他の客がいるので安心感がたっぷりあるような気がしたからだ。
 かと言って、リムジンは私たちが泊る予定のモーテルには運んではくれない。私はその近くにあるヒルトンホテルで降りる算段を考えていたのだ。そういうわけでヒルトン行のリムジンに無事乗り込んだ。
 
 なかなか快適なリムジンだった。何しろゆったりしたソファーが座席なのだ。しかもそのソファーが回転式になっているのだ。子供ならぐるぐる回って楽しめる。妻も楽しそうだ。2人とも大満足のバスの小旅行と相成なった ・・・はずだった。
 
 あちこちのホテルに停車して客が一人減り二人減りしていった。そして最後は私たち二人だけが残ってしまった。既に昼の時間はとっくの昔に過ぎていた。
 おかしいと思ってドライバーに聞いてみた。
 
 「君たちは、このリムジンとは違う方に乗らないといけなかったぜ」
 
 話を聞いてびっくりだ。
 私たちが乗ったリムジンは、ヒルトンホテル行きではあるのだが、アナハイムにあるヒルトンホテル行きだったのだ。パソコンもなければスマホもない時代のことだ。前もって調べるのには限界があったのだ。
 
 結局、途中で降りるわけにはいかず、そのリムジンに乗ってLA空港に舞い戻ることになってしまった。
 アナハイムから空港までは、あちこちのホテルに立ち寄って客を拾うのだ。つまり、私たちは朝空港を発ってから夕方少し前に空港に舞い戻るという時間の無駄をしてしまったのだ。
 空港で、今度は無事ダウンタウンロサンジェルスのヒルトンホテル行きのリムジンを見つけて乗り込んだ。私たち以外の乗客は2人だけだ。
 何車線もある高速道路をひた走るリムジン。さすがの私も気分がガタ落ちだ。最初からタクシーにしとけばよかった、などと反省しきりだ。途中で二人の客は下車して、またもや私たち二人だけが取り残された。
 
 不安になってドライバーにダウンタウンに向かっているんだろうね、などと聞いてしまう。それでも不安で、再度同じ質問をするとドライバーは腹を立ててしまった。
 
 「さっきからそうだと言っているだろう。信用できなければ車を止めるから、この高速道路で下車するかい?停めてやってもいいぜ」
 
 私は必死だ。
 いや、そんなつもりで聞いたわけではありませんよ。実は・・・と一日のリムジンでの乗り間違いの話をしてみた。
 ドライバーが笑い出した。そうだったのかい。そりゃぁ不安にもなるよな。どこのヒルトンか確認しなきゃダメじゃないか。
 そうなんですよね。
 
 「ダウンタウンロサンジェルスのヒルトンホテルに到着だ」
 
 ドライバーがうしろを向いて、笑いながら声をかけてくれた。
 
 高速道路を降りてからしばらくすると、無事にヒルトンホテルの玄関先に到着したのだ。
 
 近寄ってくるホテルのベルボーイを制して、私は妻を伴ってスーツケースをひきづりながら安ホテルを目指した。ストリートナンバーを見ながら、迷うこともなく無事にモーテルに着いたときは、あたりは真っ暗になりかける頃だった。
 ホテルの部屋は2階だ。1階よりも犯罪に会いにくいのではとの思いから、どの部屋がいいか聞かれたときに、フロントに2階にしてもらったのだ。
 
 このリムジンの「事件」は決して忘れることはできない。この記事を書きながら、久しぶりにあの時の恐怖をリアルに思い出している。海外旅行での怖い旅の3本指に入る出来事であった。指折りしてみたことはないのだが・・・。

 

           リムジンと言えば・・・(おまけ)

 1989年、中学生をコロラド州デンバーでのホームステイプログラムで1か月を過ごすことになった。
 このホームステイプログラムの詳細は「ワクワク ホームステイこぼれ話 1~4」のどこかに記録している。実はどこに書いたか思い出せないのだ。
滞在中、私のホストマザーが、ある日外から興奮して駆け込んできた。
 
 「ねぇねぇ、ちょっと来てっ。今お向かいさんところにリムジンが停まっているのよ。めったに見られないから一緒に見ようよ」
 
 私より少し若いホストマザーは、そういうなり、もう外に出てリムジンの所有者と交渉を始めに駆け出している。
 勿論私も見てみたいから、急いで外に出てみた。マンハッタンでよく見かけたのと同じような本格的なリムジンがデンと構えていた。かっこよいとはこのことだ。しかも、その車を運転する人がリムジンにぴったりのかっこよさだ。リムジンの胴体と同じくらいはあると思いたくなる足の長さだ。
 うしろのドアを開けてもらうと、長いソファーが片側の窓を背にある。その向かいにあるのは、バーカウンターだ。外とはまるで桁違いの別世界だ。
私たちはその長いソファーに少しの間座らせてもらった。
 外は40度になろうとする暑さだ。中はもちろんエアコンで快適だ。足長お兄さんがバーカウンターには似つかわしくないジュースを入れてくれた。胃に沁みるおいしさだった。
 わずか10分かそこらの快適空間体験だった。

3.ロンドンでのタクシー

 大学生を引率してロンドンに3年続けていくチャンスがあった。チャンスというよりも、教授会に提案して授業として受け入れられたのだ。授業名は何だったか覚えていない。ついでに、学生たちがホームステイしたロンドン近郊のエリア名も思い出せないでいる。認知症かもしれないなどと思いめぐらしている。もしかすると授業名やエリア名に関しては、「黄色いラッパ水仙」という私の記事の中で書いているような気がする。
 
 私が泊まった場所は、昔の貴族の館をB&Bとして作り直した宿泊施設だった。
 3階建ての大きな作りで、いかにも貴族が住んでいたらしいものだ。
 その玄関先には広い芝生の庭がある。庭というよりも、ミニサッカー場と言った方がいいかもしれない。その周りは木々に覆われていて、暇を持て余すときには散策に適していた。適度に彫像が置かれていて、貴族的な雰囲気がみなぎっていた。
 そこから集合場所の駅には、毎朝タクシーを利用した。
 
 初めての時には、イギリス流の交渉術を持ち合わせていないので戸惑ってしまったが、案外面白いものだった。
 
 そもそも電話してB&Bの玄関先に来た車に戸惑ったのだ。
 やってきたのは、普通の自家用車?と思うような車だったのである。
 フロントの人に教えてもらった通りに、まず運転手側に近づいた。すると、ドライバーが手動で窓を開けてくれる。私は目的地の駅名を告げる。すると、値段を教えてくれるのだ。イギリス(全体かどうかは知らないが)では、ブロックを超えると値段が上がるシステムらしい。
 教えてもらうと、うしろの扉を(自分で)開けて乗り込むのだ。そもそも日本のようにタクシーのドアが自動で開くなどと期待できないのだ。それは、少なくとも私が海外で経験したどのタクシーも同じだ。
 
 ドライバーは何も話してはくれないし、そんな雰囲気は皆無だ。私はどちらかというとドライバーに話しかけそうになることが多い。
 このタクシーに乗り込んだ時には、既に最低限必要な会話をドライバーと終えているので、沈黙するよりほかにすることはない。
 やがて目的地の駅に着いたとわかる雰囲気の場所に着くのだ。お金を払えば、タクシーはさっさといなくなる。
 こんなタクシー乗車のルーティーンが、私の滞在中毎朝を無機質に私を包み込む。
 
 そのうち、駅までのドライバーの通る道を覚えた気になったので、一度歩いてみることにした。
 なんと、タクシーに乗らなければならないほどの距離ではなかったのだ。

4.留学中に乗ったタクシー

  インディアナ州立大学に留学中、同じ法人内の短大生が短期留学してきた。夏休みを利用してきたのだ。4,5人だったと思う。
 彼らは時々私に声をかけてくれた。そしていろいろと誘ってくるのだ。
 
 私が初めてサーティーワンでアイスクリームを食べたのは、彼らが誘ってくれたからだ。彼らは自分たちでは買う勇気がなかっただけなのだ。英語に自信がなかったのだ。
 
 おかげで今でも私は近くのサーティーワンでアイスを買う。孫たちが喜んでくれるからだ。私が買うのは、留学中と同じ「コーヒーフレーバー」味のアイスだ。馬鹿の一つ覚えだ。

 子供たちが小さいとき、ファミレスに連れて行くと私はメニュー表をみもしないで、「ちゃんぽん」と同じものを注文していた。子供が大きくなると私は注意されてしまった。
 「おとうさん、せめてメニューを見て考えて何を食べたいか決めてよね。脳がなさすぎる」
 それでも私は今でもちゃんぽんを食べる。コーヒーフレーバー味のアイスを食べる。
 
 ところで、その女子学生たちが短期留学中にもう1か所誘ってきたことがある。
 どのようにして知ったのかわからないが、アメリカのホットケーキを食べたくなったんですよ、と話してきたのだ。自分たちではいけないから、一緒に行きませんか、というのだ。
 場所を聞いてみると、相当遠いのだった。
 私は日本では女子中高生を教えていたので、いい土産話が手に入るかもしれないと思い、勉強の都合を変更して同行することにした。
 タクシーに乗ることにしたのだ。ただし、一人定員オーバーの可能性があるという問題に気が付いた。
 
 その時に思い出したのが、大学1年生の時の出来事だ。
地元の港にアメリカの駆逐艦が停泊することがあった。ESSの先輩が、アメリカ兵と友達になって地元を英語で案内してこい、というのだ。友達3人と出かけた。
 米兵のお金でタクシーに乗ることになった。ところが5人乗りのタクシーに5人が乗るから、ドライバーには降りてもらわないといけない、などとわいわい言いながら、交渉をしてみた。
 
 「学生さん、一人身体を小さくして隠れてもらえるなら乗せてあげるよ」
 
 昔のことなので、違反乗車を告白することになった。私たちは米兵にさんざんおごらせて、先輩に報告することができた。私の人生でただ一度の違反乗車の経験だった。
 
 アメリカでは定員オーバーの乗車は山ほど見てきた。そのことを知っていたので、何とかなりそうな気がしていたのである。
 停まってくれたタクシーのドライバーに聞いてみた。
 「人数が多いですが、大丈夫ですか?」
 「ノープロブム!」
 後部座席に乗って驚いた。丸椅子の補助席が2つあったのだ。ドライバーが補助席をガシャンと音を立てて座れるようにしてくれた。少し狭いのだが、お互い足をぶつけ合いながら、ホットケーキ屋を目指すことになった。仕方ないので私のおごりだ。
 
 このホットケーキ屋がすごかった。
 いくらだったか覚えていない。安くて驚いたことは覚えている。
 大きな皿に高々と積み上げられたホットケーキにさすがの女性陣もびっくりだ。枚数を数えてみると、10枚だ。分厚いホットケーキが10枚積み上げられているのだ。食べてみるとおいしい。それでも、みんな食べきれないで残してしまった。
 
タクシー乗り場 その1 

         完


 
《予告》「 タクシー乗り場 その2」では、New Yorkのタクシーにまつわる話を書いてみたいと思っています。書くのに少し時間をください。
 
 
 
 
 
 

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