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ニューヨーク見物

 私が紹介したい本には、V.E.フランクル著の「夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録」(みすず書房)もある。この書物も生徒から紹介された数多くの本のうちの1冊である。
 人間が死に直面した時に取るべき進路を暗示させてくれる読み物である。
ナチ収容所を転々とした心理学者の目から書かれた名作と言える。私が紹介する名作は私の目をらんらんと輝かせ、鼻息荒く走り回る姿は鬼気迫るものがあったのであろう。その時の自分の姿を思い出す。全てが興奮剤みたいなものだった。
 ところが、それから数年して訪れたニューヨークは、私に落ち着きを与えていた。同行した妻を見ていると、最初の訪問時の自分の姿をみているようだ。彼女にとっても全てが麻薬の効果をもたらしていた。自由の女神の島に渡る船着き場のあるバッテリーパークでの朝食も、まだテロ以前のワ―ルド・トレード・センターからの素晴らしい眺望も、国連ビルまでの市バスから眺める超高層ビルの林も、果てしなく続くかに思えるほどの美術館の小室群(現代美術館)も、セントラルパークでの昼寝も、全てが興奮剤になっている。
 一方、私は7月末のニューヨークの蒸し暑さにいささか参っていた。ハンカチで汗を拭きながら、汗も出ぬ気なアメリカ人にただただ驚くばかりだ。冷房の効いていない狭いスーパーマーケットなどに入ると、酸欠になりそうなほどムッとした空気だ。それなのに誰一人「アツイ」などと口走っている者はいない。
 2日目だったか、3日目だったか、私たち2人はセントラルパークの中を走る市バスに乗り込んだ。猛暑で動きたくないような気分の日だった。
 「ハ~イ」
 1ドル払って乗り込む私たち2人に気軽に声をかけてくれる大柄な黒人の運転手。市バスは私たち2人の貸し切りバスだ。市バスには冷房も入っていない。走る勢いで車内に吹き込む風だけが頼りだ。
 「暑いですね」
 「うん。ニューヨークの夏はいつも蒸し暑いんだよ」
 私は他に客がいないうちに、不思議に思っていたことを聞いてみることにする。
 「こんなに蒸し暑いのに、誰も暑いなんて文句や不平を言う人もいなければ、ハンカチで汗を拭く人もいないのはどうしてなんですか」
 考えてみればつまらない質問だったのだが、私にはどうしてもそのことが不思議に思えたのだ。そう言えば、留学していた場所も暑かったな、と思い出していた。でもあれは乾燥した場所だから、自分もハンカチなど持たずに過ごしていたっけ、と自分に話かけている。
 「なに、これも神様の恵みさ。熱さも寒さも、雨も雪も全て神様の恵みなんだよ。神様に対して暑いだの寒いだのなんて誰も文句を言わないのは、それが神様の恵みだからさ。神様の恵みに文句は言わないものさ」
 私はこの黒人ドライバーの返事に恐れ入ってしまった。返す言葉もなかった。
 「神の恵みを知りたければ教会に行ってくださいよ。きっと文句も不平もなくなっていくさ。全てが神の恵みだってことが分かってくるから」
 彼は片手でハンドルを握りながら、前方に向けた顔には笑顔一杯に、空いた方の手で私たち二人に教会のパンフレットを渡してくれた。そのパンフレットには教会の名前が書いてあって、「神の恵み」と表題のついた短いメッセージが印刷されてあった。
 バスを降りてセントラルパークを散策する。日差しが強い午後になっていた。芝生に寝そべってみると、緑の香りがことのほか心地よい。顔に帽子を乗せると睡魔が襲う。
 ぼんやりした意識の中で、あの黒人ドライバーの「神の恵み」という言葉がふっと現れてはすっと消えていく。そして、いつの間にかヨナの物語(旧約聖書:「ヨナ書」を思い出す。
 神がヨナに対してニネベに行って人々を神に帰るように話すことを命じる。ニネベの人々は彼の話に耳を傾けることをしない。そこにとんでもない暑さが彼を襲う。暑さに怒るヨナに対して、神は太陽を避けるためにとうごまを生やさせ、彼の頭上につるを伸ばさせる。ヨナはそのとうごまを喜び、しばしの涼しさを満喫する。自分のメッセージに耳を傾けようともしないニネベの人たちへの怒りを思い起す。あんな所になんか絶対に戻ってやるものかと怒りをぶつける。
 神の命令に何度も逆らったあげくの果てのヨナの姿だ。神に対する不信感すら隠そうとはしない。神がニネベの人たちに説教をするようにと言われたからには、神が必ずニネベの人たちに救いの手を伸ばすはずだということにすらヨナは気づかない。ただ、自分の話に耳を貸そうとしないことに腹を立てているのだ。
 自分が神に耳を貸そうとしなかったことなど、どこかの棚の中に仕舞い込んでいる。
 その怒りが収まらないうちに、せっかく伸びたとうごまは太陽の強い暑さのためにあっという間に枯れてしまう。ヨナの怒りは倍増する。神に対する不平へと発展する。それは何の正当性もないものだ。ただ暑いことに対する腹いせだ。自分の生き方から生じたものに過ぎない。物理的な不満を心の不満に置き換えてしまっていることに気づくほどの余裕が残っていない。
神の言葉はそんなヨナに対して冷静だ。
 「お前は、・・・一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。」
 黒人ドライバーの言った「神の恵み」という言葉が再び消えていくように、セントラルパークでのうたた寝は深い深いものとなっていった。
そのうたた寝も神の恵みだったのだろうか。眠りから覚めた時、私たち2人は生き返ったように元気を取り戻していた。


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