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おやじの裏側 x (10.生徒に助けられ)

おやじの教訓「就職して7年は何があっても我慢せよ」
 
オレは中高とも、体育系の部活には入ったことがない。
入ったのは、テニス部くらいだ。
しかも中2の1学期のみだ。
いつまでたっても、球拾いだけで
ついにラケットを振らせてもらえなかったからやめた。
 
教師としては、文化部の顧問になるつもりだった。
ところが、オレの希望など聞かれもしない。
で、バスケットボール部の顧問になっていた。
 
部活経験はなかったが、
高校の昼休みは
友人と体育館でバスケットボールで遊んだ。
めがねのままなので、ボールが当たって割れたこともある。
 
親に言えずに、
友だちにお金を借りて
めがねを買ったこともある。
どんなにして返したか覚えていない。
 
大学時代も空き時間に友人とバスケで遊んだ。
 
そんな経験は何の役にも立たなかった。
オレは生徒に混じって、
部員に混じって練習をした。
おかげで、部員はオレを受け入れてくれた。
 
隣近所の学校との練習試合の時には
審判や記録の生徒の指導を受け持たされた。
おかげでルールブックを買って
必死で勉強する羽目になったりした。
 
バスケは兎に角ルールがしょっちゅう変わる。
バスケ部の顧問に指名されたことは
理不尽にも思えたが、
黙って努力することで
得ることが多かった。
 
おやじの「7年黙って・・・」は
オレにとって良い言葉だった。
 
バスケの次は、
卓球部顧問だ。
これも下手糞だったので、
生徒と一緒に練習づけだ。
 
例えば、100本連続スマッシュ。
生徒はオレは50本でいい、などとは言ってくれない。
98本目で不成功で、
また最初からやり直したこともある。
 
教師がダメなら
生徒は盛り上がるのである。
そして、100本達成の瞬間、
全員が大拍手だ。
 
学級担任としては、
最初の数日間の午前中は
学校生活を過ごすための
オリエンテーションという名の
時間がある。
 
「生徒手帳」にある
校則の徹底が、担任には任される。
オレはそのために
校則を読んでみた。
 
びっくりだ。
こんなことまで決められているとは・・・
と思うことが多かった。
それを真剣に真面目腐って説明する気になれなかった。
 
窓の締め方、駅周辺での飲食、傘の色などだ。
山ほどあって驚いた。
 
オレはその問題の規則をやり玉に挙げながら
面白おかしく説明して
言いたくない自分の気持ちをそらしていた。
 
おかげで、生徒からは好評価だ。
 
「先生のオリエンテーション、楽しくていい。
これまで、こんな悪口言いながらの校則説明は
聞いたことがない」
 
オレは、問題を感じる校則を
何とかしてやめる方法はないかと考えた。
 
「傘の色は、黒か濃紺」
 
《(オレ)「みんなはこれはどう思ってる?」》
〘(生徒)「他の明るい色にしたいです」〙
《「そうよね」》
〘「でも、制服に合うから黒か濃紺なんじゃないんですか?」〙
《「そうだろうね。 でも、考えてみたら、夜部活終わって、雨で、真っ暗な中を、真っ黒な傘では危ないんじゃない?」》
〘「そう、そうなんですよ、先生」〙

《「みんなが傘の色を変えたいって思っているなら、私は協力をするよ。ただし、みなも私に協力してくれないと困るよ。私に対する校則ではないんだから。」》
 
 私は教師をしている間、一度も自分のことを「先生は・・・」などと言ったことはない。小学校下学年くらいまでは仕方ないのかもしれないが、自分で自分を先生呼ばわりはしないことにしていたのだ。生徒が認めてくれて「先生」と言ってくれるのはありがたいと思っているのだ。
 
〘「先生、協力するって、私たちはどうしたらいいんですか?」〙
《「数年かかるからね。みんなが卒業した後にこの規則が変わるかもしれないってことになる」》
〘「後輩たちのためにそれでもいいんじゃないですか。」〙
〘「先生、協力するとしたら、どんなことをしたらいいんですか?」〙
などと、生徒たちが真剣モードに入ってきた。

《「協力してくれるなら、よそのクラスの人が違反していても、このクラスの人たちだけは、不満な校則でも、きちんと守ってほしいんです」》
〘「どうして何年もかかるんですか?」〙
《「私は新人教師。新米ってこと。そんなに簡単に長年の校則を変えることができるとは思えない。地道に説得するよりほかないでしょ?」》

 オレはいろいろな教師の顔を思い浮かべながら生徒たちと真剣に話し合った。
〘「確かにそうですね」〙

 生徒たちは、多分同じ顔を浮かべてその難しさを想像したに違いない。

 実際の場面では、何人かの教師の名前まで飛び出す始末だ。
《「学年が変わっても、今の気持ちで校則を守ってくれるとありがたいね。でないと、その先生たちは私が校則を守らせることができないから、そんなことを言っていると勘違いしてしまうから。」》
〘「分かりました。みんなで守ろう!」〙
 
 オレは生徒たちを信じることにしていた。
 教師になるということは、そういうことだと思ってのことだ。勿論、やみくもにに信じるわけではない。

 オレの真剣な校則改修工事が始まった。

 詳述は避けるが、この試みは完成を見ることができたのだ。それも3年か4年という時間がかかってしまった。
 
〘「先生、うちらあれからクラスが変わっても校則を守ってるんですよ。先生も頑張ってくださいね」〙

 何といううれしい情報だ。
 オレの担任でなくなった生徒たちがしばしばオレに声をかけてくれたのだ。
 
 彼らはそのうち卒業していった。
〘「先生、校則、お願いですからね!」〙

 卒業式の後、職員室に来てにっこり笑って小さな声で言った生徒の顔を忘れることができない。

 オレは会議で何度も、何年もかけてこの話題を出した。
 そんな時に透明の傘が出回るようになって、
傘問題の趨勢はオレに味方することになったのだ。


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