見出し画像

有名人に会うとなぜ嬉しくなるんだろう

元NBA選手に会った。地元のチームでしばらく前に活躍していた、よく知っている選手だ。今はリタイアして、そのチームのマネジメントオフィスで働いていると、ニュースで見て知っていた。

そのチームのTシャツを着た背の高い二人組に、娘が最初に気づいた。顔を見たら、すぐにあの選手だと私は気づいて、一緒にいた夫に伝えた。夫は「思ったより背が高くないな」とだけ言って、普通にしていたけど(十分大きくて目立ってたのに)、娘と私はバスケが大好きな息子に教えてあげよう!と騒いだ。娘は、サインをもらおう、写真を撮ろう、と言っていた。

結局、二人とも恥ずかしくて声をかけられず、でもそばを通り過ぎるときに、思わずじーっと顔を見つめてしまったから、こっちに気づいて「Hi」と言ってちょっと笑顔を見せてくれた。私も笑顔を返したつもりだけど、ただ顔がひきつっただけだったかもしれない。

隣にいた娘に、写真を撮ったか聞くと、近過ぎてバレバレだから撮れなかったらしい。なので、通り過ぎた後の後ろ姿を撮って、息子に送った。ママにHiって言った、と言って。息子からすぐに、すごいね!と返事が来た。

そう言えば、息子は数年前、別の現役NBA選手に街中で会って話しかけ、一緒にドーナツショップに行き、ドーナツをおごってもらったことがある。その話以来、私と娘は、その選手のことを勝手に「息子の友達」と呼んでいる。今でもチーム現役の選手で、私には全く関係ないのに勝手に親近感を持っている。

なぜ有名人に会うと、嬉しくなってしまうのだろう。自分の好きなスポーツのプロ選手に憧れて、息子がNBA選手に、娘がプロテニス選手に会って喜ぶのは分かる。でも、私まで嬉しくなるのはなぜなんだろう。全く喜ぶこともなく、さっさとその場を離れた夫を見たら、余計に不思議になった。私より、よっぽど夫の方が小さい頃からバスケを好きなのに。私は昔からミーハーだけれど、それはなぜ?

年とともに、ミーハーさ加減は落ち着いて来て、有名人のサインや一緒に撮る写真はいらないと思うようになって来たけれど、まだ有名人に会う(というか見かける)だけでも嬉しくなる。知り合いに自慢したりもしてしまう。

好きなスポーツのプロ選手やミュージシャンならまだしも、俳優やテレビに出ているだけの人なんて、憧れる意味がよく分からない。いや、それは失礼かな。プロのスポーツ選手やミュージシャンと同様に、何らかの才能があって有名になっているわけだから。ということは、何であれ才能ある人に会えて嬉しいということなのだろうか。

何の才能も取り柄もない私は、自分にないものへの憧れが強いのかもしれない。その点、夫は自分にないものに憧れたり、嫉妬したりすることが全くない(彼にとりわけ才能や取り柄があるわけでもないけれど)。そう言えば、彼は人の成功や幸せをいつも自然に心から祝福する。全く妬まない、その潔さにはいつも感動し、少し妬んでしまう自分を恥ずかしく思うけれど、有名人に会った時の反応も、これに通じるものがあるのかもしれない。成功している才能ある人を自然に受け入れている感じ。私ももう少し自然に受け入れて、せめてひきつらずに笑顔を返せるくらいになりたいものだけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?