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カンボジアで年越し、そして台湾へ!弾丸移動の果てに行き着いた台北ホテルとは

シェムリアップから台北へのハードな経路

Hatです!

それは数年前の年末

シェムリアップで集合しよう!

というエキサイティングな計画を旅仲間たちと立ち上げ、その年の年末に5人が集結した。

集合場所のカンボジア・シェムリアップにそれぞれ別々の場所から集まってくるのだ。

12月30日

タイやベトナム、仕事納めの後に日本から来る友人もいる。

まずはシェムリアップまでのお話を少し。

二度目の挑戦!ホーチミンからバスでシェムリアップ

僕はベトナム・ホーチミンから、懲りずに二回目のバスで向っていた。ホーチミン→シェムリアップ、初のバス移動の模様はこちら↓

ホーチミンからアンコールワットへ行こう!さてバスで何時間?

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このときは12時間と言われて乗ったバスだったが、22時間を要した。とんだ時間ぼったくりバスだった。

こんな失敗は二度としないと、今回はベトナムでも安定の旅行会社「シンカフェ」に行ってバスの予約をしようとした。

12月29日

年末の雰囲気ゼロ、暑い中シンカフェに行きました。

シェムリアップ行きのバスを予約できますか?

カウンターで尋ねると即答でした。

「満席です!」

といわけで、また22時間コースの再来におびえながらバスチケット探しに。

ふらっと入った旅行会社にシェムリアップに行きたいと伝えて、所要時間も確認。

すると

「12~16時間」

この4時間の幅はなんなんだろうか?

まあいいや、ということで予約。

翌日の朝に僕はホーチミンを発った。

そしてバスに乗り込み、朝の清々しいホーチミンをあとに。

しかし車内のクーラーの寒さしか覚えていない。

そしてプノンペンでマイクロバンに乗り換えてシェムリアップに向かった。

覚えているのは、車内はクーラーでめちゃくちゃ寒くて、僕はTシャツ、パーカー、ウィンドブレーカーの3枚も着込んだうえにマフラーをぐるぐる巻きにして耐えていた。

ちなみに外は30度ぐらいあるが、車内はこの装備でも寒いぐらいの室温、おそらく10℃前後かと。

それでも我慢できなくなった僕は運転手に、「クーラーを止めてくれ!」とお願いしたこと覚えている。

同乗していたヒゲ面の欧米人の一人は、短パン半そでを着てはしゃいでいたのが信じられなかった。

あのヒゲ面もシェムリアップで今ごろ体調を崩していただろう。

それはさておき、ホーチミン→シェムリアップ間

今回の所要時間は17時間かかった。

またもオーバーしてるぞ!

しかしシェムリアップで泊まったホテルのコスパが凄まじく良かったのでわりと満足だった。

シェムリアップのホテル。清潔&綺麗で広い!最高でした。

大みそかのベンメリア遺跡

翌朝仲間たちと合流。みんな近くのホテルを予約していたのだ。こういうときの、旅人精神豊富な仲間の段取りの良さは半端ない。

5人中4人が合流し、最後の一人T君は大みそかの21時にシェムリアップの空港に到着予定だ。

なのでこの日は一日アンコールワット遺跡群を観光。

満場一致で行ってみたい場所、「ベンメリア」へ。

ここへはアンコールワット遺跡の中心からタクシーで1時間ほど。

天気は晴れ、すごく気持ちが良い日だった。

観光客もそれほどいなくてゆっくり自分たちのペースで見れた。

さてここ、ベンメリア。

宮殿が崩れたそのままの姿で残っている遺跡なのだ。

天空の城ラピュタのモデルとも言われている、そのくらい崩れた石段が多く、冒険心をくすぐられる場所だ。

しかも、この遺跡が荒廃してしまった原因もいまだ不明だという、神秘的な部分にも惹かれてしまう。

そしてこの遺跡で忘れてはならないのは、ベンメリアに住む少年少女が現れるのだ。

彼女らは、「ガイドするから$1くれ!」とどこまでも付いてくる。

8割おじさんならぬ1ドル少女

僕らは仲間同士、お金持ちだからあの人にお願いしてごらんよ、とたらいまわしにしながらかわした。

その後はアンコールワット遺跡に戻り夕暮れの静かな時をそこで過ごした。

壮大な遺跡の中で、まさに至福の時間だった。

夕暮れ時のアンコールワット

日が落ちてからいったんホテルに戻り、装備を整えて街中に向かった。

カウントダウンが始まった!全員でニューイヤーを迎えられるのか?

街中はすでに世界中からここで年を越そうと集まってきた観光客で溢れていた。

レストランやバーなどの店内に入ると、残る一人と合流が難しいと判断した僕ら。

比較的わかりやすい目印のある近くのオープンカフェのようなレストランで待つことに。

しかし人が多いし道も大渋滞。

みんなテンションが高く、お祭り騒ぎの様相。

密です!

日本とは2時間の時差があり、日本時間の年越しをカウントダウンしている人も。

僕らもまずは日本の年越しを祝いながら、そろそろ最後の旅仲間が到着する頃だと、その場を動かずに待ち続けた。

そうこうしているうちに23時、連絡はつくもののまだ合流できない。

周辺の写真を送るなどしてもお互いの居場所がまだつかめない。

23時30分

おそらく近くにはいるはずなのだが、僕らも人が多すぎて動けない。たぶん彼もまた自由に動き回れないのだろう。

こんな通りが張り巡らされている

23時50分

T君、どうやらカフェにいるようだが、僕らの居場所がつかめないらしい。

そしてカウントダウンに向けてお祭り騒ぎは一層盛り上がってきていた。

花火も打ちあがっている。

もう電話でも声が聞き取れない。

23時55分

僕はあきらめて彼にメッセージを入れた

「よいお年を!!!」

彼もまた

「良いお年を~!」

と返信をくれた。

こうして5人が揃わないまま、僕ら4人で乾杯そして年を越した。(笑)

年越しカウントダウンが過ぎると街中が落ち着き、移動ができるようになったのであらためて彼を探すことに。

0時10分

なんと100m先の店にいた彼を発見!

なんていうニアミス。

こんな形でみんな再会を果たし、軽くみんなで飲んで速やかにホテルへ…。

というのも、朝5時にトゥクトゥクのドライバーが迎えに来るのだ。

そう、すでに今は2時。

さらに

僕と、最後に合流したT君は7時のフライトで台北に向かうスケジュールになっていた。

初日の出を拝んだらすぐにアンコールワットを発ち空港へ向かわなければならないのである。

弾丸スケジュールである。

急げトゥクトゥクのお兄ちゃん!

眠たい中みんな時間通りに朝日を見るべく、まだ暗い中トゥクトゥクでアンコールワットへ。

もうあまり覚えていないが、初日の出の瞬間だけは覚えている。

時間は6時ごろだ。

国際線に乗るのに、フライト1時間前に空港にいないどころか、アンコールワットにいるという状況だ。

アンコールワットで初日の出を拝む。

初日の出をありがたく拝み、他の3人とはここでお別れ。

僕とT君は荷物もまとめて見てもらっていたトゥクトゥクのお兄さんに、空港へ向かってもらう。

飛ばしに飛ばしてもらった。

天気がとてもよくて風がすごく気持ちよかった記憶がある。

幸いアンコールワットから空港までは近く20分ぐらいで到着したと思う。

空港には人があまりおらず、放送で僕ら2人の名前が呼び出されていた。

事前にウェブチェックインをしていたのでギリギリ間に合ったのだった。

そして向かうは、、、

台北の前に

クアラルンプール

そう、お察しつくだろう。

フライトはエアアジア。

多くの便は一旦クアラルンプールに引き寄せられてから、目的地へ向かう旅程となる。

僕らはクアラルンプールに到着後、再チェックインして台北へ向かう。

クアラルンプールでは4時間の待ち時間があった。

ところが僕は、ハノイからずっと熱っぽかったため、エアアジア機内のガンガンに冷やすクーラーにやられて発熱。

ベンチでずっと眠る羽目になった。

T君は読書家&心の広い男ということもあり、嫌な顔一つせず「本読んでるから大丈夫」と悠々と時間を過ごしていた。

着いたぞ台北!ホテルはどこだ?

クアラルンプールで何やら効果がありそうな中国語の薬を買って台北行きのフライトへ。

頭がもうろうとしていたので台北到着後のことしか記憶にないが、宿はagodaで予約済みだ。

空港でレートが悪い中タクシー代ぐらいの両替を済ませ、タクシーに乗り込む。

ホテルの住所が記載されたスマホ画面を見せる。

「ここに行くの…?」

みたいな反応。

僕らは予約したんだ!ここはホテルだと思うんだけど。と説得。

「いや、これはねぇ、、ホテルというかね、、何かの間違いじゃないか?」

と言われる。

僕らは、agodaで予約したんだ!と熱弁して、とりあえず向かってもらうことに。

運転手さんも途中で何度か人に尋ねていた。

1時間ぐらいたったころ、どうやらもうすぐ到着のようだが。

ゲートのような場所で運転手さんが窓を開けて何かを説明している。

僕らも外を見て驚いた。

ここは…!?

ラブホテルではないか!(笑)

清掃のおばちゃんからニヤニヤとした目で見られながら部屋へ。

もちろん僕らはそういう関係でもなくその気も無い(笑)

ちゃんとagodaで予約したんだ!

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