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「車でお遍路」第57番札所 栄福寺(海中より阿弥陀如来が出現)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、57番目のお寺は、

府頭山ふとうざん 無量寿院むりょうじゅいん 栄福寺えいふくじ


56番札所の泰山寺から約3.1㎞、車で約10分の場所、

56番札所泰山寺から3㎞強とほど近く、今治市内の6ヶ寺のそれぞれの所要時間は最大20分とほどよく点在。車だと心地良いペースでお参りできる。

弘法大師は、56番札所泰山寺では蒼社川の氾濫という水難から村人を守ったという札所だったが、この栄福寺では瀬戸内海沿岸の絶えず起きる海難事故から守ったという札所。

寺院は小高い山裾ののどかな場所、石清水八幡宮の隣にこじんまりと佇んでいる。

では、大師が海難事故から守ったという札所「栄福寺」へ参りましょう。

境内に入るとすぐ左手に大師がお出迎え その先にお願い地蔵が立っている
階段を上ると右手に大師堂、そしてもう一段上ると正面に本堂


ご詠歌

この世には 弓矢を守る 八幡なり 来世は人を すくう弥陀仏


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 弘仁年間(810-824年)、この地を巡錫中の弘法大師は、嵯峨天皇の勅願により海上安全の祈願をして護摩供を修したところ阿弥陀如来が出現、堂宇を建立し、阿弥陀如来像を彫って御本尊として安置して開基

  • 貞観元年(859年)大和・大安寺の行教上人が大分の宇佐八幡宮の分社を京都山城の男山に石清水八幡宮として創建する際に暴風雨に遭いこの地に漂着
    その時、行教上人は、府頭山の山容が男山に似ていること、山頂に本地仏である阿弥陀如来が安置されていたことに驚き、八幡神を祀る神仏習合勝岡八幡宮創建

  • その後、荒廃したが、勝岡八幡宮を勝岡から現在地に移転、石清水八幡宮と号した

  • 明治時代初期神仏分離令により、寺院は隣りに分離独立、現在に至る


大師伝説

大師は、周辺で多発する海難事故を嘆き、府頭山山頂で海の平穏を祈り護摩供を修した
そうすると、満願の日に海上に後光が差し海中より阿弥陀如来が出現したという


寺号について

  • 山号について
    ・・・府頭山から名付けた

  • 院号について
    ・・・無量寿院は、「無量寿」は阿弥陀の別称であり阿弥陀如来は無量寿如来ともいう 2番札所極楽寺も同じ「無量寿院」


ご利益

  • 御本尊の阿弥陀如来
    ・・・「南無阿弥陀仏」と唱えることで迷いや苦しみから救いを求める全ての人を、悟りへと導く来世利益らいせいりえきの仏さま(極楽浄土へ迎え入れてくれる)


御本尊・ご真言

本尊:阿弥陀如来
真言:おん あみりた ていぜい からうん


見どころ

  • 本堂
    ・・・御本尊に阿弥陀如来(秘仏)を祀る 飾り瓦は必見

  • お願い地蔵
    ・・・境内入口に立つお地蔵さんはふっくらして穏やかな表情で見守って下さる

  • 納経帳
    ・・・寛政12年(1806年)に九州から来た人の納経帳が保存されている

  • 大師堂の十二支彫刻 
    ・・・大師堂の素晴らしい彫刻、外周に十二支が彫られている

  • 箱車
    ・・・お遍路中で足の難病が平癒した少年が残した箱車が奉納されている

  • 伊予の石清水八幡宮
    ・・・現在は奥の院であり、旧勝岡八幡宮

参拝後、山の中腹にある境内からの見晴らし
(ご参考:京都山城男山の石清水八幡宮)


写真


次は、第58番札所仙遊寺せんゆうじへ参ります。

2022年6月28日投稿
2022年10月9日改訂

合掌

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