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生と躁鬱と必死非死と

瞬時に冷めてゆくぬるま湯をどうか泳ぎきらねばと、こんな寒い日は死ぬか死なないかの消去法で死なずにいる。 膝と手のひらにこさえた元気印の傷はいつまでも塞がらずに矛盾だけを語る。 膿すら乾いてしまって治る見込みがないばかりか、喉も鼻孔もカラカラで不快な朝の21時半の、その前の夜はいつ始まったっけ? 頭痛に急かされて電気ケトルの冷水を煽り、風呂を沸かしながらやはり湯は嗜好品で水は必需品だなと思う。 人間の循環機能は鬱陶しいほどに早く、身体中が潤ってゆくのを自己回帰的に感じとる。 そのうちには再び湿り気を帯び始めた2つの傷口も当然含まれ、卑猥なのだなと下らない独り言ちにも死んでいない証明が巡りゆく。 風呂が沸く。 少々熱すぎる湯に文句を言うのはおこがましいと、体を沈めればやっと生きているのを実感する。 調子に乗って明日は遠出をしようかと考えたりもすれば、脳の反対側の極が前の夜が始まる前に死ぬか死なないかの消去法が反対側に傾いたことを想起する。 生きたくないと死にたいはほぼ一致するのに、生きていると死んでいないはどうしてこうも遠いのか。 自慢の自転車で遠出をしている時間は、生きていると感じたっけ。 転んだ瞬間には生きていたい、死にたくない、生きていなくなりたくない? それより先に酷く痛んだっけ。 湯は瞬時に冷めてゆく。 傷口は滾々と体液を垂らす。 体表面積はひたむきに熱を吸収し、その次に汗をかく。 水の巡りを巡る馬鹿馬鹿しい一人芝居を、身体が演じて心が見つめる。 身体はいつだって我武者羅に生を追いかけ、心はそれにお世辞を言うことしか赦されていない。 今だってほら、不味い水道水を脳は旨いと錯覚し、受け止めきれずに胸を伝った冷水に危機を感じて跳ね避けんとしたよね。 急騰する生活コストの行き先は一人芝居。 ぬるま湯は惰性で温かい。 能動的に生と死とを嗅ぎ分ける品種に生まれたことで苦しんでいる。 もう5分だけ、いいか? 受動的でもいいから、生きていなくなりたくないんだよ。

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