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僕とビートルズと今と昔

 土曜日の午後。待ち望んだ親父との二人時間。先週は忙しくて全然構ってくれなかったので、「仕事終わったよ」とのメールが母宛てに来てから、僕はずっとソワソワしていた。
 なんて書くとまるで母と仲が悪いみたいだが、全くそういうことではなくて…家族三人の今と昔の円満に感謝しつつ、そもそも父親ですら今回の主役ではない。彼と密室に過ごす数時間のドライブで、僕はいかに幸運な体験をしたかという話である。

 Ladies and Gentlemen... the Beatles!!!

 レースカーらしくない不思議な型のスバル・インプレッサ・スポーツワゴン。無精な父のタバコやらこぼしたコーヒーやらで中々酷い匂いがしていて、その被害は助手席足元にまとめてあるCDとて、免れていなかった。茶色くシミのついたライナーノーツを開けばペリペリと音を発する。これでディスクのほうは無事なのだから不思議なものである。

 時は2005年、丁度CDバブルがはじけ切り、音楽業界というか日本全体が真っ暗で何も見えないながらも世界がそれを愛と呼ぶならまぁそれもそうか、と騙し騙しで人生色々の色々を手探りしていた頃。昼過ぎのワイドショー、司会さんが深刻気に語る言葉も、砂嵐のせいで聞き取れない。日本海側の風の強い田舎町では、本当はもっと深刻な問題を、それでも誰もが他人事みたいに、よく言えばどこ吹く風で暮らしていた。そんな時代。
 この年結成したAKB48よりも前から、親父の勤務先での「会えるアイドル」稼業に大忙しだった僕は、北海道の田舎じゃ珍しくない二台持ちの車の、母のにも乗ったが、父のにもよく乗っていた。それがインプレッサである。
 当時はBluetoothなんて便利なものはなく、父との間で剥き出しにせり出すだけの、武骨なオーディオシステム。僕が毎回のようにリクエストするのは2002年のヒット…「それいけ!アンパンマン ベストヒット’02」である。そこでは不況なぞ何のその、てんどんまんやらドキンちゃんやらが競うように、余念なく自分をアピールしていくのだ。僕のチャートでは案外、ナガネギマンなんかが上位にいた気がする。

 ある週末、「仕事終わったよ」のメールから30分後のことである。ゴキゲンで助手席に乗り込んだ4歳児は運命的な出会いを迎える。
 ビートルズの大名盤、Abbey Roadのトラック5とは、リンゴ・スターの朗らかな歌声に美しいコーラスワークが被さる名トラック『オクトパス・ガーデン』である。
 つまりそれは、親父の入れ替え忘れなのだ。多分、その後「ゴメン、アンパンマンに替えようか?」とか言ってくれてたと思う。
 正直、そんなの一瞬で忘れてしまうぐらいの衝撃で、釘付けだった。
 僕にとっての「ブリティッシュ・インベージョン」。実に40年越し。優し気ながら太い声に、南国みたいに綺麗な(カワイイ、とすら思っていた)コーラス。楽しい景色を塗りたくるような人懐っこいギターと、江差で慣れ親しんだ海辺のような水音のSE。
 アンパンマンが替えるべきは自身の顔であって、今僕はこれを聴きたいんだ!
 当時より四半世紀前、凶弾に倒れた永遠の幼児に感じるシンパシーは、その瞬間どんな児童向けコンテンツをも上回っていた。いや実際、ジョン・レノンは、ワーキングクラスよりもキッズたちのヒーローだったのではないか。空前絶後の大物ロックバンドが奏でる音世界は、おもちゃ箱のようにブクブク、ブーブー、コケコッコー…4歳児の感性をくすぐり倒す。新しいおもちゃ箱を開けるたびに、僕のヒットチャートは信じられない勢いで塗り替わっていった。(そして「このトンカチの音は何?」とか訊いては困らせた。まさか、歌詞に出てくるシリアルキラーという存在を1から説明するわけにはいかないので…おぶらでぃ、おぶらーと。)

 当然、最初はそういう音遊びに魅せられただけだったから、Abbey Roadに始まり、Yellow Submarine、Magical Mystery Tour、The Beatles、SGT…って感じで聴き拡げていった。「幸運な体験」とは、父がCDを入れ替え忘れたことと、助手席の床にはビートルズの全アルバムが揃っていたことである。
 ビートルズの活動を初期、中期、後期で分けると、リバプールっ子の青年4人がメジャーデビューしてから勢いをつけ、アメリカを制覇したライブ全盛期までが初期(1962-65)、スタジオワークに凝っていた、グループとしての音楽性の円熟期が中期(65-68)、各々の持つ世界観に入り込んで、大きく結晶しつつ決定的に離れていくのが後期(68-70)、といったところか。さっき挙げたアルバム群は、主に中~後期、バンドサウンド以外の要素を多分に含む時期のものだ。『ハロー&グッドバイ』とか、聴いたことあるでしょう?
 やがて初期も初期でハーモニカを使っていたり、某古物鑑定番組のオープニングテーマだったりと食指が動いていったのだが、「ビートルズ」への興味を決定的に高めたのは日本語版の歌詞カードとライナーノーツだ。父が(恐らくは安全な部類の曲から)歌詞の和訳を呼んでご覧、と言ってくれたのだ。ペリペリと開いてみた。ペリペリと。
 カビ臭さと一緒に広がったのは、左半分には訳してもなおイキイキとした200通りの夢の世界と、右半分にはその成功が不思議なぐらい安直で馬鹿げた若者たちの滑稽な人間模様(時々制作秘話)。
 なぜ彼らはインドに旅立ったの?幼稚園で習った神様よりも、有名って言っちゃったの?この楽しい曲を作ったとき、ほんとに喧嘩してたの?
 猛烈なビートルマニアというわけではない親父にとっては些細なことだろうに、僕は1から10まで気になって仕方なかった。子供の世界にはいないけど、大人の世界ほど離れていないようにも思えた。4人の名前を覚えて、顔を覚えて、声を覚えて、パートを覚えた。ポールに腹を立てたり、ジョージがかわいそうと思ったり、ジョンが面白かったり、リンゴは優しいだろうとわかっていたりした。またある時は全然違ったりもした(リンゴが優しいのだけは変わらなかった、一回も。)
 結局、1から10まで気になったのは、1から10までが面白かったからだろう。何も難しくなく、「天才なだけの」若者4人が、面白いこと探しをする物語。40年経っていたって、一体その何が色あせるだろうか?

 40が50に、そして60になろうとしている。
 忌まわしきテロ事件の様子をお腹の中で聞いていた僕だが、生まれてすぐにビートルズファンにとって残念なジョージの死が訪れたので、ビートルマニアとしては生きたメンバーを二人しか知らないわけだ。
 そうして2023年11月、ポールの指揮のもと「最後の曲」が発表された。『ナウ&ゼン』である。
 1990年代に未発表音源と2つの新曲を収録・発売されたAnthologyを、中学生の頃聴いたこともあって、メンバー死後のプロジェクトとして受け取るのは割とスムーズだった。だが、200超を数えた愛聴の楽曲群に、改めてピリオドを打たれたことには複雑な思いを抱かず居られなかった。
 勿論、ビートルズ現役時代からのファンだったり、ジョンの死を経験した世代だったりとは違った捉え方だと思う。ただ、21世紀生まれのファンにとっても、ビートルズって不思議と昔のような気がしなくて。いや、紛れもなく半世紀も前に解散したバンドなのだけれど、いざ「ビートルズは正式に終わります。」と言われると、ちょっと待てと思ってしまうのだ。本当に不思議な感覚である。
 でも、聴く。最後の新曲を。心して。ポールを憎んでしまうかもしれない、それを。

 一回目、違和感しかない。それは「終わり」と言っているのに、どこか「復活」を求めていた自分との軋轢だった。
 二回目、ディテールを読みながら。ポールの作りたかった終わりなのかな。彼にはそういうところがあるから、突っ走っちゃったのかも。
 三回目、全体像が掴めて、細部を観察するようになる…お、ここのベース、ビートルズのポールだ。このギター、ソロ時代のジョージっぽい!コーラスはあの日初めて聴いたのと変わりなくて…そして全部を包み込んでる、今のリンゴと、昔のジョン。
 23時の公開から夜明けまで、そして翌日(文化の日)の昼間もずっと、リピートして聴いていた。なんだか、リピートを止めたら、本当に僕の中で、ビートルズが終わってしまう気がして。それだけの迫力と、印象と、覚悟が込められていて、それらは聴くごとに増していった。
 感想が湧くごとに、母に送る…という迷惑なことをしていたら、「二曲目、安心するよね」と返ってきた。二曲目?

 『ラブ・ミー・ドゥ』の明朗なハーモニカに、僕は再度ビートルマニアであることを赦された。ポールやリンゴだって、終わってほしくないはずだ。後ろめたいはずだ。その手はずは、彼らがちゃんと調えていたのである!

 かくして、単純なもので、僕はまた狂ったようにビートルズを聴いている。
 幼少期の記憶って曖昧で、そこから途切れることなくビートルズや音楽を聴いてきたものだから、もう一度焼き直すには丁度いい頃だったのだろう。時代の力も借りて、ファブ・フォーの遺産をもう一度巡るマジカル・ミステリー・ツアーが始まったのだ。だからってわけじゃないけど、最近は『アイ・アム・ザ・ウォルラス』の無秩序と秩序とに舌を巻いている。
 僕にとってはビートルズの、そして音楽のファン歴18年位でのスターティング・オーヴァー。当然ビートルズだけでなく彼らのソロ、影響を受けたミュージシャンや受けてないミュージシャン、彼らのルーツ、洋楽に邦楽…広く聴いてきたつもりだ。そのうえで、凄く陳腐な言葉だけど。
 ビートルズは誰よりも凄いと再確認した。
 色んな音楽を聴いてるから、色んな音楽に色んな魅力があって、聴いた限り全部に貴賤がないと、心から思っている。思っているんだけど、あえて言おう。
 初めて手に取ったアーティストが、他ではなくビートルズでよかった!

 ビートルズという乗車券は、不思議なもので、過去も未来も概ねどこへだって行けるのに、気づいたら元いた駅へ、忘れ物でもしたかのように戻っている。
 番号違いだね、ハハと笑われて、別のほうに乗る。すっごく楽しい旅行の先で、やっぱり戻ってきている。
 ビートルズ自身ですら同じだよ、安心しな。世界に向けて、ジョンの声がハッキリ歌ってくれている。"I want you to be there for me, always to return to me."思いっきり暗い曲に仕上げて、『ラブ・ミー・ドゥ』に連れ戻す。いたずらが過ぎるよ~!というのは、過度な勘ぐりだろうか。
 だいたい、半世紀前に解散して、メンバーの半分が鬼籍に入ったバンドの出す新曲なんて、もっと派手に叩かれてもいいはずなんだ。もっと下らない理由で。「金儲けでしょう?」「ついに"遺産"にまで手を付けたか」…罵倒の言葉なんていくらでも思いつく。
 それをみんな大真面目に、とりあえず受け取っている。ある人は感動で涙を流し、またある人は身の毛もよだつ思いで跳ねのけたかもしれない。そんなセンセーショナルな受け取り方を個人個人がしていること自体、ビートルズの偉大さを更に裏付けているのだ。

 北海道江差町にて、風の強い国道227号の坂をぐんぐん上る。『ポリシーン・パム』のアホに思えるほど威勢のいいギターとスカウス・シャウトに、湧き上がる万能感が胸を突っつく。
 そんないつかの休日は…残念だな、ジョン。アナザーデイなんかじゃないって思えてくるよ。インプレッサや江差でのことは、ストロベリーフィールズみたいに存在が覚束ない過去になってしまったけど、『イン・マイ・ライフ』なんて聴きながら、時々立ち止まっては思い出したりしてる。
 彼らが去ったアビイ・ロード・スタジオの方へ、横断歩道を渡り直してみたい。デビュー50周年のニュースで見たように、リヴァプールで『ラブ・ミー・ドゥ』を歌い合ってみたい!
 何者でもないながら、"It was 18 years ago today..."なんて思い浮かべて、笑ってしまう、そんな今夜である。

 最後に、三つほど感謝を。
 ひとつは、両親。普段の日常への感謝は直接伝えるとして、あなたたち二人が学生の頃、せっせとビートルズを買い集めたことに。そのおかげあって、僕は人生が凄く楽しいです。
 ふたつめ、昔習っていたピアノの先生。バイエルからでなく、ビートルズの曲を弾きたいんだって楽譜集を持ち込んでから、快く教えてくれてありがとうございます。発表会で『サムシング』を弾き終えたときの達成感ったらなかった。
 みっつめ。
 同じ小学校のT君、僕の熱烈なビートルズ推しに興味を持ってくれて、数日後君が「買ってもらった」と学校に隠し持ってきたのは、ベスト盤でもオリジナルでもなく「アンソロジー」でしたね。びっくりしたよ。「そこに『恋を抱きしめよう』は無いよ!?」って呆れたよ。でも、同時に悔しくて、ずっと覚えていて、中学に入って中古で買いそろえたよ。おかげでビートルズの楽しみがより深く、広く、尽きない泉としてそこにあるよ。ありがとう。

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