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【Day5 スリランカ】女子部屋での悲劇


2024年1月14日、スリランカ5日目


この宿でさいごの朝ごはん。

ミルクで煮た米(甘いわけじゃなく、しっとりコクのあるおかゆのよう)と、
いつもの豆カレーと玉ねぎとスパイスの甘辛炒め。



2回も延泊して長めに滞在してよかったと思える最高のお宿だった。
The Lavina Hostel

みんなで記念撮影し宿を出た。

重たいバックパックを背負って
宿から電車の駅まで歩いているときに声をかけられた。

自分も駅まで行くからと、
無料で乗せてくれたトゥクトゥクドライバーのアントニー。

アントニーにお礼を言い
電車でコロンボへ。

駅の中に生えていたバナナの木



コロンボの宿はバックパッカー向けのゲストハウス。

宿の責任者のサニーさんという人は日本語が話せて、日本に住んでいた時のことを教えてくれたり世間話をしたりした。

日本に働きに来ているスリランカ人は結構いるそうだ。

コロンボの港に続く海沿いの道を歩いた。
すごく人で賑わっている。

海鮮の焼き物やおもちゃの屋台、
波打ち際で遊ぶ人たち、家族連れも多かった。



サンセットはビビッドオレンジの太陽。



最終日の夜なので、
ちょっといいBarで乾杯した。

久しぶりのルームシェア

コロンボで泊まる宿はドミトリー
(2段ベットが一部屋に何台か置いてあり、
それを他の宿泊者とシェアする)。

いわゆる個室ではない大部屋。

かといって最近は綺麗なところが多く、
ベットにカーテンが付いて個室っぽくなっていたりと、居心地の良いドミトリーも多い。

男女混合のドミトリー部屋のベッドが一つしか取れなかったため私は女子部屋へ。


基本的に女子部屋は安心するので好きだか、
部屋の居心地の良さっていうのは
設備の他にルームメイトのメンツも関わってくる。

部屋のメンバーには二人連れの日本人、
ドイツ人の女の子、
あとアジアの顔立ちと西洋の顔立ちをした2人がいた。

ドイツの子とはチェックインの時に少し話をしたが、

日本人の女の子たちとは荷物を取りに部屋に行った際軽く会釈する程度。

何かたわいもないことをきっかけに話しかけようかとも思ったが、

向こう2 対 こちら1

この場合向こうから話しかけてきてくれるのを待とう、と考えこちらからは特に話しかけなかった。

これが後に苦い思い出となる。

夜に部屋へ戻ると、
自分以外の女の子たちが全員仲良くなっていた。

そしてガールズトークに華を咲かせていた。

(同じ日本人がいるのなら話題ふってくれるかな)

と話しかけられ待ちの期待を高めてしまったことから、意固地になっていたかと思う。

話に入り込むチャンスはなさそうだ、と早々に諦め寝ることにした。

しばらく目を瞑りながら、別のベッドで盛り上がる会話。
明日早いし、寝るなら電気も消したいし、
朝までトークが続いたらやだな…とだんだん心配になってきた。

これまで泊まってきたドミトリーでは、
パリピ宿だったとしても大概が22時以降には静かにするというルールがあった。
ルームシェアしてる以上、
睡眠を確保する権利は私にもあるはずだ(キリッ)

そこで女子たちの会話が途切れたところで、

「23時には電気消していいですか?」

と聞くと一瞬シン…となるガールズたち。

一層気まずくなってしまった。

例えるなら、
チャイムが鳴っても先生が来ずみんなが浮かれ騒ぎ出した教室で、
「先生呼んでくる」
と言ってみんなの白けた顔を向けられた生徒になった気分だった。

ただ自分の中の正義を守りたかっただけなんだ…

画像は無関係


ドミトリーに泊まったからこそ出来た縁もたくさんあるし、色々な旅人に出会える素敵な場であるとは思う。

だけど多少の我慢と思いやりが必要。

寝たい人、交流したい人、色々な人がいる。
だれに合わせるかなんて正解はない。
すきなように過ごせばいいことだ。

だけど今後また相部屋に泊まることがあったら、私は寝たい人に寄り添おう。

そんなバックパッカーしか共感できないようなトピックについて真剣に考えた夜だった。


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