見出し画像

一定期間、地方で暮らすこと。 暮らしから開くということ。 自分にとって心地よい暮らしとは。

私と似たように重い荷物を抱えた単身者、単身赴任のサラリーマン、寮生活の高専生、自衛隊の兄ちゃんなどが乗り込む。人口8万人規模の小都市だけど、週末の特急電車や高速バスはそんな面子で埋まっている。

電車で都会に向かう度、都会から帰る度に感傷的な気持ちになる。
毎週毎週、単身赴任をしているかのような気持ちだ。(単身赴任は自分には無理だと思う。)

みんなどんな思いで窓を見つめているのだろう。同じような人がいる少しの安堵感もありつつ、どこか切ない。
「この人達が繋がればよいのに。」

珍しく今日はこの日本海側の地域も雲は多いものの晴れている。今年は暖冬らしい。心配していた雪もあまり降らない。

私は、地域に根付いて暮らしているのではない宙に浮いたような感覚を今の地域に半年前に引っ越してきてから持ち続けている。

今いる場所で、できることは何か問うと同時に、一定期間しかここにいないことが前提の中で、今いる場所だけで完結する生活を自分が望んでいないのも事実だ。

だから、そういう宙に浮いたような感覚をもった暮らしになる部分もやむを得ないのだけど、違和感の正体は何か。

それは多分「自分が選んだ場所」ではないからだ。自分がどう暮らしたいとか「暮らし」の部分は置いてきた。サラリーマンである以上、一定仕方のないことかもしれないが、言ってしまえば職場からの命令でこの地にきた。

思い入れがある場所でもなければ、知り合いが暮らす場所でもない。

移住して分かったことがある。近頃、漠然と今と違う場所に移住したいと考える人は、増えてきているが、どこでもいいわけではないということだ。どう働きたいのか、だけではなく、自分にとって幸せな生き方をするには、どういう暮らしをしたいのかを考えることが大事だ。

京都市内の職場にいた頃、実家から職場に通える距離だったが、途中から実家を出て、シェアハウスで暮らしていた。私の職業でシェアハウスで暮らすようなタイプの人間は珍しく、わざわざ実家を出て、お金もかかるのに引っ越す必要性が分からないという顔をされることもあった。

私は生きるために実家を出た。早く家を出た方がいいことくらい学生の頃から分かっていた。しかし、実行に移すまで時間がかかった。家を出ること以外にもやりたいことがある中、金銭面がネックで考え出すと動けなくなっていた。

あれは仕事の残業で遅く帰った日のことだった。父親から一方的な誤解で攻撃され、「嫌なら出ていけ」と言われたことで、それまでの積もり積もったものもあって、その瞬間、ぷつりと私の中で何かが切れた。

ずっと同じ家で生活していた近い人に、私は私という人間を何も理解されていないばかりか、誤解されてきた。

自分のことは棚にあげ、料理や家事など家のことをしないと、いきなりキレられることはこれまでもあったが、限界かなと思った。

真面目すぎるくらい真面目に生きてきたのに、遊んでいると誤解された。悔しいというより、呆然としてしまった。

反抗や反論することなく、静かに家を出ることを決意し、家を出た。分かり合おうとすることがナンセンスだった。明らかに離れた方がよかった。行動に移すのが随分遅くなってしまった。

仕事のストレスも半端なく、家でもストレスが強ければ、自分が潰れてしまう。昔から家族とは折り合いが悪く、実家は居心地のよい場所ではなかった。何より自分らしく生きれない。父親は私がいると反抗しない(できない)私に頼った。お互いのために、離れた方がよかった。

家を出たとして、なぜ一人暮らしを選ばなかったか。それは新卒での就職で一定の期間、大阪で一人暮らしをしていて、一人暮らしも合わないと感じていたからだ。一人暮らしだと、どんどん節約の意識が働き、質素で心が荒んだ生活になった。また、一人じゃ何も生まれないことを実感した。

私は多少神経質で潔癖症な面があったので、5年程前の自分なら、知らない人と暮らす生活は考えられなかったのだけど、数年前、ゲストハウスでの出会いに面白さと心地よさを覚え、一人旅をするようになってからは、知らない誰かと暮らすことへの抵抗は薄れていた。

シェアハウスに住む大きな理由は、家族と職場以外の広がりをもたせるためだった。仕事は今すぐに変えられそうにないから、変えられる部分、仕事以外の暮らしから変えることにしたのだ。

平日は何時に帰れるか分からない状況で、予定が立てられない。仕事から帰ったあとにどこかに出かけることは難しかった。シェアハウスなら、自分が動けない状況でも、出会いを広げることができると考えた。自分が動けずとも、適度に新しい風が入ってくる環境に身を置いていたかった。少しでも多様性ある環境に身を置いておきたかった。

ただ、仕事に影響があるような生活はできないので、シェアハウスといっても、どんなタイプでもいいわけではなく、ある程度プライベートが保てるような物件を探した。

結果、シェアハウスに住んで、正解だった。シェアハウスに住んでようやく心の自由を取り戻せた気がした。割と神経質(だけど大雑把な面もある)で人見知りな面をもつ自分だけど、シェアハウスの暮らしは、自分に合っていた。

不定期に国内外から新しい人が入り、程よい刺激があり、多様性が自分を癒してくれた。自分より遅く仕事で帰ってくる人がいると安心した。適度な距離感の中で、ご飯も孤独も喜びも分け合えた。色んな人がいて、ただただ楽しいという暮らしではないけれど、同世代の人が何かしら悩みながら、たくましく生きていることは励みだった。なんでもないことを誰かと共有できることは幸せだった。そんな安心感を感じたことがそれまであまりなかったかもしれない。シェアハウスに住んでいたから、辛い仕事に毎日足をひきづりながらも行くことができたといっても過言ではない。とても感謝している。

数年前まで「働き方」ばかり叫ばれていたし、私自身も心を豊かにすることよりも「仕事」ばかりに捉われていたように思う。今は働き方も含めて、誰とどう暮らすのか、どう生きるのか、にシフトしてきている。

私には多様な人がいる、ある程度の都会を拠点とする生活が合っていると感じている。人の価値観は変わっていくものだから、断言はできないけれど、数年後は、自分がしたい暮らしありきの生き方をしたいと今は考えている。

今の地域では、一人暮らしをしている。この地域では、シェアハウスというのは、需要がないらしく、探す限り、ないに等しかった。そのため、やむなくマンションで一人暮らしをしているのだが、隣に誰が住んでいるのかも分からない状態だ。 (一定期間のみ赴任してくる人が多いことを象徴してか、家具付きのレオパレスがやたら多い。)

この地域は、人がつながれる場所が圧倒的に都会と比べて少ない。

私が今住むまちは海軍のまちだけに、飲み屋はそれなりにあるが、それ以外に夜行けるような場が少ない。そのため、この街に暮らす同世代がどういう風に生活しているのか見えない。一定人がいるのに、つながる場がないのはもったいないと感じている。

外から一時的に単身などでくる人が多い地域では、何かこの地でやろうと思いをもった人は少なく、新しい誰かと繋がったり、新しいことを生み出そうという流れがない。そもそも誰かと出会う場がない。皆、それぞれがそれぞれの暮らしをしている印象だ。

今いる場所でどう過ごししていくのか、何を見つけるのか。おそらくあと1年はここで生活する、自分自身への課題だ。

長くなってしまったけれど、何が言いたいかといえば、この地域でも「繋がりたい」し、その可能性を探っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?