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063.環太平洋ネットワーク

2003.4.29
【連載小説63/260】


第2回のクロスミーティングに、遥か遠方アラスカからの参加者があった。
カヌーイストのブルース・ロペスがその人。

トランスアイランドも1年を重ね、迎えるツーリストの出発地も世界各地へと広がってきているが、同じ遠方でも北米太平洋岸の民と、太平洋島嶼国家の民はそのルーツにおいて心理的に近いところにいる。

地球儀を回して、陸地が最も少ない場所でストップさせたなら、そこに現れるのが環太平洋ネットワークだ。
このポジションで地球儀を見る度に、僕の中で「地球」というネーミングのリアリティが薄くなる。
表面積からすれば、この星は「海球」だ。

「自らの暮らす陸地が主役で、それらを繋ぐ海が脇役」という関係性の認識が人類の驕りを生み出してきたのなら、「大いなる海の周囲に点在する島でささやかに暮らす」というポジションは、人類に謙虚さをもたらすような気がして心地良い…

そんな風に語るブルースの参加は「楽園の可能性」を模索するクロスミーティングを充実したものにしてくれた。

たとえ陸地で繋がってはいなくても、循環する海流や風で互いの心は結ばれている…

遠来の友と過ごす時間の中で、常に圧倒的な海を意識して生きる者同士の魂レベルの共感を得たのは、僕だけではなかったはずだ。

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基調講演などというと大袈裟だが、第2回のクロスミーティングは文化人類学者であるドクター海野の太平洋文化史解説でスタートした。

島形の円卓周囲に参加者が着座する。
ドクター海野が自身の「nesia」をモニターシステムに無線でネットして、ジオラマチャンネルからトランスアイランドを中心とする太平洋地図をテーブル上に呼び出す。
(全島民が持つマルチメディア端末「nesia」に関しては第5・45話。クロスミーティングが開催されるコミッティハウスのプレゼンテーションシステムについては第57話に記した)

続けて、日付変更線のやや東、北緯18度あたりにあるトランスアイランドと日本を結ぶラインがモニター上に登場すると、ドクターは掌上の「nesia」をタップしながらこう語る。

「このラインを半径とする円を描いてみよう」

すると、ゆっくりと時計方向に回るラインが大きな円を描いていく。

まずはカムチャッカ半島を経て、アリューシャン列島。

続けてアラスカ~カナダ~アメリカ西海岸と繋がる北米大陸西岸をトレースしたラインの先端は広大な太平洋へ入る。

ポリネシアトライアングルと呼ばれるエリアに入ったラインは、マルケサス諸島、タヒチ、サモアなどを巻き込んでニュージーランド北部をかすめる。

そこからは、ソロモン諸島、ニューギニア、カロリン諸島、パラオ、グアム、サイパン…、とメラネシア、ミクロネシアの国々を取り込んで、日本へと戻る。

「さあ、ここに集う皆さんのルーツがネットワークできた…」

そんなパフォーマンスからスタートしたドクターの講演は、アジア大陸から東へ進出し、広大な海域に拡散していった民や、ベーリング海峡を渡った民などのモンゴロイド史をテーブル上にできあがったループに絡めて解説する知的で楽しいものだった。

参加者は、まだ1年強の歴史しか持たないこの島の背後に蓄積されてきた悠久の時間を1時間程度に凝縮して体験することになったのだ。

そしてミーティングの後半テーマが「カヌー・ルネッサンス」。
南東アラスカのハイダ族インディアンの末裔であるブルースの訪島ということもあり、カヌーを通じた太平洋上の大きな交流を振り返ることになった。

トランスアイランドにおいても、マーシャルとの交流プロジェクトにより、ミクロネシアとポリネシアを結ぶ絆として盛り上がりを見せるカヌー文化だが、有史以来、この文化は南のものだけではなかった。

北米大陸西部太平洋岸は、その背後に豊かな森林地帯を抱える環境から、そこに暮らす先住民族たちが木製カヌーによる文化を早くから築いていたのだ。
考古学的には、このエリアの民族が遠くポリネシアまで進出していた記録さえあるという。

20世紀の文明化や森林破壊が彼らの民族的基盤をも脅かすことになったが、そのアイデンティティを取り戻すべく沸き起こった80年代から90年代にかけての「カヌー・ルネッサンス」は、ちょうどハワイを中心とするポリネシア先住民族復権運動とシンクロすることで、海の民の絆を深める効果をもたらすことになった。

有名なのが1993年にハワイで完成した伝統的カヌーの「ハワイロア号」に関する両地域の交流だ。

材料までを古式にのっとった遠洋カヌーを建造するポリネシア航海協会のプロジェクトに対して、船体にふさわしい樹齢400年の大木を南東アラスカに住むインディアン3部族が寄贈したことや、
数年後にこのハワイロア号が表権訪問のかたちでアラスカへ航行したことによって、大木が太平洋上をひと巡り循環したこと等、その詳細がブルースによって解説された。

クロスミーティングの後、僕とドクター海野はブルースと食事を共にし、さらに多くを語り合い、近い将来、新たな交流で繋がり合おうと誓い合った。

僕らの環太平洋ネットワークは着実に広がりつつある。

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太古、海の民には旅する民の血が流れていた。

彼らは島という小空間に暮らすが故に、その想像力を行動力へと直結させ、見えない「点」を結んで「線」とし、それらを組み合わせて「面」へと広げてきた。
ポリネシアやミクロネシアにおいても、遠い北米大陸西岸においても、そのパワーは同様だ。

大陸の民は、かつて夜空に浮かぶ星たちを結んで幾つもの星座をつくり、その関係性の中にフィクションとしての神話を創造した。

これに対して、海の民は、遠く輝く星の下にある別の島へと旅に出ることで、自らを物語へと高めてきた。

そう、人類の知性と感性は、海を前にして行動を選ぶのだ。

21世紀が求めているのは、優れたノンフィクションとしてのグローバルシナリオ。
太平洋上に暮らす僕たちは、古の海の民に習って、自らの物語をこつこつと紡いでいけばいい。
あとは、それを地球大へと広げてくれる海流や風の存在を信じていればいいのだから。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

僕の海外渡航歴は最初が香港とマカオで、その次がカナダのバンクーバー。
続いてニュージーランド、タイ、韓国で、そこからハワイに足繁く通うようになり、アセアン諸国を転々としました。
これらの国を地図の上にドットすれば、環太平洋地区に分散していることがわかります。

21世紀に入って訪れる国はさらに広がったものの、太平洋から離れた場所はスリランカやデンマーク、グリーンランドといったあたりで、ヨーロッパで最も多く訪問したのはロシアながらハバロフスク1回とウラジオストック3回だから、これも環太平洋地域です。

坂の町・神戸で育った少年は常に眼前の南方に海を意識し、そのベクトルは太平洋に向かっていたのですが、行動圏はそこに延伸していきました。

そんな僕の「丸い」グローバル行動圏内のコンパスポイントはどこにあるだろう?とGoogle Mapを見てみるとハワイ諸島と西側に位置する日付変更線の間あたり…
つまりはトランスアイランドという空想の島になるわけですが、このネットワーク小説はこの起点に対する求心力の物語から、次第に遠心力で世界を目指す物語に変容していきます。
/江藤誠晃


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