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091.サルに戻る楽しさと賢明さ

2003.11.11
【連載小説91/260】


島の東西海岸に小さなツリーハウスが完成した。

場所はSEヴィレッジとSWヴィレッジ。
ともに見晴らしのいい椰子の木上に組み立てられたもので、ふたりが座れる小さな小屋。
遊泳地によくあるライフセーバーの監視台のようだ。

幹の高い部分に対して十字に据え付けられた横木に、2座席が天秤のように乗っている。

高さは10m近くあるだろうか?

海に向けて少し斜めに傾いて伸びる椰子の木だから、小屋から幹をつたってぶらさがるロープを使えば簡単に登ることができる。

このパームツリーハウスを作ったのは島の子供たち。
その首謀者?である海野灯(トモル)君に招かれて、SWヴィレッジのほうへ行ってきた。

トモル君はトランスアイランドの社会エージェントで文化人類学者、ドクター海野氏の長男で13歳。
(親子のことは第17話で紹介した)

「冒険する学者」の血をひく少年は、父親の長期留守中も着実に独自の活動を展開しているようだ。
(ミクロネシアのポンペイでフィールドワークを続けるドクターのことは第56話を)
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トモル君がパームツリーハウスの作るに至った動機というのがおもしろい。

「水平線までの距離を伸ばしたかった」

というのである。

マーシャルからカヌーでやってきたジョンとの交流以降、子供たちの中に海からの訪問者を期待する思いが強まったらしく、遠来の友を少しでも早く見つけるために、または、外敵に備えるため?に、一種の見張り櫓が必要だと子供同士の会議で決定したらしい。
(カヌー少年ジョンのことは第22話以降で長く紹介した)

シーカヤッカーでもある彼は、水平線までの距離を測る計算式でその効果を説明してくれた。

L=3.5√h

これは海上におけるシーカヤッカーの視線の高さh(メートル)に対する水平線までの距離L(キロメートル)を示すもので、陸上に適用すると、身長1メートル強の子供が海岸線から見る水平線までの距離が4キロメートル弱であるのに対して、10メートル近い木上の小屋から見える水平線は10キロメートル以上先になる。

確かにここからなら、誰よりも早く水平線の向こうから現れる船の帆を確認できるだろう。

加えて、トモル君はこんなことも言っていた。

「島の東西にひとつずつハウスを作ったのは、朝陽と夕陽を誰よりも長く見ていたいからなんだ」

彼は冒険家にして、なかなかのロマンチストでもある。

彼に限らず、逞しく感性豊かな島の子供たちを見ていると島の行く末に安心できるものがある。

トランスプロジェクトの大きな課題であった教育プログラムは、ひとまずの成功を収めているといっていい。
離島教育のモデル事業として導入されたオンラインプログラムでは、子供たちが自宅のパソコンを相手に学習を重ねる。

一部の集中講義はリアルタイム通信で行われるが、その他は生徒個々の希望や志向にあわせてパッケージソフトをダウンロードする形式だ。
その内容はムービー集であったり、RPG形式の体験ソフトであったりする。

自主性と個性を重んじる学習は集中力とスピードをもたらすから、結果として自由な時間が生まれ、子供たちは自然の中へ飛び出して行く。

島内の探検による動植物観察や、漁業の手伝い、椰子の実とパンの実収集…、といった具合。

つまり、彼らは自発的に課外授業を生み出し、さらには、その中で生まれた好奇心や疑問に対する解答をオンラインに求めることで、オンとオフ、知性と感性の循環効果をも獲得しているのだ。

今日、夕暮れのSWのツリーハウスで、僕はトモル君と様々なことを語り合った。

彼が興味を持った僕の旅のあれこれや、彼の夢や少しの悩みまで…

もちろん、それらはふたりだけの秘密だが、日常から少し距離をおいた木上での会話がとてもいいものであることだけは報告しておこう。
子供はより素直になり、大人は童心に帰ることができるからだ。

ある意味で、彼らは優れた学びの場を自ら作ってしまったということなのだろう。

きっと、この小屋からなら、島の未来がより遠くまで見渡すことができる。

トモル君によると、このツリーハウスは子供だけでなく、大人にも開放してくれるらしい。
時々訪れて、童心を取り戻すことで視野を拡げることにしよう。

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“ラハイナ・ヌーン”で、ある作家が提示したクジラのUターン現象のことを思い出した。
進化論的には海から陸へ上がった哺乳類の中で、クジラやイルカが再び海へとそのフィールドを戻したことの意味である。

彼いわく、クジラたちは加速度的な進化に対する抑制の使命をもって海へと戻り、過去と現在を結ぶ中に、陸上の哺乳類たちにメッセージを送っているらしい。

過去とは全ての生物に宿る命を原点から育んだ海の世界の記憶であり、クジラが放つメッセージとは万物の創造主からの伝言なのだそうだ。

人類の文明化のみならず生命の進化においても、ひたすら前を目指すベクトルに対して抑制のパワーが求められるという発想には含蓄がある。

いかなる生命も絶対的な進歩に対して、時には立ち止まり辿ってきた道を少し引き返してみることで見えてくる未来というものがあるはずだ。

木から降りてサルから進化したのが人類。

ならば、我々は時に高い木の上に戻って、サルの記憶を取り戻してみるのも悪くない。

そこから見える景色は、当たり前の日常とは違った楽しく美しいものであるし、そこで自身と向き合うことで発見できることが多々あるから。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

先週、大学生を連れてのフィールドワークで青森県の三内丸山遺跡を訪問しました。
約1万2~3千年前に始まり、約2千3百年前に終わったとされる「縄文時代」を今に伝える施設で、北海道から北東北に点在する縄文遺跡群のひとつです。
広大なエリアに多様な遺跡を見ることができる素晴らしい場所でした。

その中で僕が最も興味を持ったのは「大型掘立柱建物」。
発掘された直径と深さが共に2mの6つの穴をもとに復元された高さ約15mの建物で、その用途は神殿や物見櫓であったと推察されています。

少年たちがトランスアイランドにつくったツリーハウスに触れた91話をアップした今回、あまりにもタイミングの良い内容に驚くばかりですが、トモル君の「水平線までの距離を伸ばしたかった」という動機を太古の縄文人に置き換えるなら「地平性までの距離を伸ばしたかった」にならないでしょうか?

「L=3.5√h」の数式では、三内丸山遺跡の櫓の上から見える地平線は15kmほど遠くなります。

定住生活が基本だった当時、点在する村間を人々がまめに行き来することはなかったはずながら、時折行われた往来で物々交換の歴史が残っていると専属ガイドの方から聞きました。

後世に移って戦国の時代になると、物見櫓の役割は敵を監視する軍事目的施設ですが、縄文時代は遠来の友を待ち侘びる「友好親善の砦」だったような気がします。

ガイドさんの語りの中で聞き逃さなかったのは「縄文時代に戦争はありませんでした」という一説。

戦争が絶えない現代。
争いのない1万年の循環型社会跡を訪れる意味は大きいと感じた次第。
旅こそが過去から未来を体系的に見渡す物見櫓の役割を持つのだと思います。
/江藤誠晃

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