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086.パイナップル三線

2003.10.7
【連載小説86/260】


島の生活に新たな日課が加わった。
これが予想を遥かに超えてとても楽しい。

起床後と就寝前の1時間ほど、三線を弾いているのだ。

竹富島でそのシンプルかつ深い音色に魅せられて以来、旅先で仲良くなった奈津ちゃんのライヴ演奏や入手できる音源を「nesia」で聞いていたのだが、いよいよ自分でも弾いてみたくなった。
(竹富島での三線や奈津ちゃんとの出会いは第70・71話を)

そこでメールで彼女に相談したところ、かんから三線から始めるのがいいと言う。

かんから三線とは、胴の部分が空き缶で出来たシンプルな三線で、終戦後沖縄の物資なき貧しい生活の中から生まれた知恵と愛着の産物らしい。
今では入門器的三線として小中学校の学習にも導入されている。

早速、教えてもらった制作解説サイトを参考に作ってみることにした。

土台となる部分は、カフェアイルのマスターからハワイ産のパイナップル缶をもらい、木製の棹と糸巻き部分は、流木を削って作り、絃はウクレレの名手スタンからあまりをもらう。
(マーケティングエージェントであるスタンの音楽好きは第37話で紹介した)

数時間で完成したのがマイオリジナルのパイナップル三線だ。

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僕が三線に興味を持ったのは、その心癒してくれる音色はもちろんなのだが、その背景にある文化の部分に、作家としての探求心を誘うところがあったからだ。

何かと問われたなら、「言葉によって物語やメッセージを広く他者に伝える文芸的システム」の意味深さとでもいえばいいか…

沖縄、宮古、八重山地方に伝わる古典や民謡には「工工四(クンクンシイ)」と呼ばれる楽譜がある。

これは縦長のマス目に「中工七合・・・」等、漢字が並ぶ独自の譜面で、ひとつの漢字がひとつの音を表し、漢字の位置が弾くタイミングを示している。

記録によると、現存する最古の「工工四」は18世紀のもので、数々の歌はさらに古くから存在するから、それ以前は全てが文字によらず歌で受け継がれてきたと推測できる。
ハワイにおける西洋文明流入以前のフラの口承文化と同様である。

で、僕が着目するのが、東西の古典文芸に共通する口承を起源とするカルチャー。

文字という記録手段なき中から生まれたが故に、それらは簡潔で、リズミカルで覚え易く、親しみ易いという特徴を持つ。

古風な漢字の羅列である「工工四」を前に、誰もが一瞬難解な古文書と思うだろうが、よく見るとそこにある漢字は少ない。
三線で演奏される曲の大半は、10前後の音で成り立つという。

余談になるが、僕の練習曲のひとつがハワイを代表するあの『アロハオエ』だ。
弾いてみればわかるのだが、使われる音の種類と配置が沖縄民謡に非常に近い。

もうひとつ着目すべきが、歌々の背後にある広き世界。

簡潔で凝縮された歌という間口に対して、その行間や背景には様々な物語の世界が奥行きとして広がっている。
島歌に触れるということは、借景を背後に抱えた美しい庭の前に佇むに等しいのだ。

故に、民俗や風土に対する探求心を持つ者にとって、古典や民謡は考古学的ロマンへと誘う優れたガイドの役割を果たすといってもいいだろう。

文筆に携わる者に限定しても、そこには膨大なノンフィクションと壮大なフィクションの可能性が眠っているのだ。

さて、そんな三線の世界にまつわる私的見解を重ねた上での、自己の創作分析というのもおかしいのだが、この連載手記としての『儚き島』にも島歌に共通する三線的要素がある。

●同様の言い回しを繰り返し淡々と重ねていること。

●中身的には当地の生活に根ざしたものであること。

●自然描写が適度に配置されていること。

●その背景に様々な旅やヒトとの出会いがストーリーとしてあること。

といった具合だ。

加えて、作者が負荷なく自然体で演奏(=創作)していることも大きい。

三線を弾くようなリズムと精神状態で重ねる連載が、遠い未来から見て、ひとつの伝承作になればいいのだが…

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静かな早朝と夜、三線片手に浜辺に座り込む。

波音、風音とそれに混じって聞こえる木々や葉の揺れる音、魚のはねる音。

そこに遠慮がちな音量で爪弾く三線の音を馴染ませるように送り込んでいく。

レパートリーなどないに等しいが、幾つかのお気に入りのメロディーをゆっくりと追いかけて再現していく。

この時間がたまらなく心地良い。
仕事はもちろん、日常の些事も全て忘れ、三線を弾く時間は「無」になれる時間だ。

目覚めた後の1時間は、やがて活動を始める知性と感性のウォーミングアップタイムとなり、一日の終わりの1時間は双方のクールダウンタイムとなる。

そして多分、「無」であるふたつの時間が、その間に流れる「有」の一日を意味あるものにしてくれるのだ。

「無」は「有」の中にあり、「有」は「無」の中にある。

そんな哲学的実感が可能となるのは、島に暮らすことで、本物の「静寂」が「無音」の中ではなく、波や風の中にあることを日々体感しているからだろう。

そして、廃品と流木から出来たパイナップル三線も、そのセンサーとして充分に機能しているのだ。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

ハワイを何度も旅するひとの中に、気付けばウクレレを購入していたというひとは意外と多いと思います。
そして、都会に戻って覚えたいくつかのコードで入門曲を弾いて島の空気を思い出すことを繰り返しも、気付けばどこかに仕舞い込んでしまう…

そういえば25年ぐらい前に購入したウクレレをどこに閉まったのだろう?
コンパクトな4弦楽器は物置かどこかに隠れているはずです。

僕が八重山諸島に何度か通ったのは20年前で、この『儚き島』創作のための取材が縁でしたが、三線の音色に魅せられて買おうかなと思うも、蛇皮の胴を持つ3弦楽器にはどこか近づきがたい雰囲気がありました。

ところが、何かで知った「かんから三線」には妙なカジュアル感があって購入し、書斎に飾って時々爪弾いていました。

もちろん「工工四」を学ぶことなどせず、ドレミ・・の場所だけ覚えて簡単なメロディ演奏に挑戦したのですが、なんと「アロハオエ」を弾けるようになったという次第。

気付けば、その三線もどこかにいってしまいましたが、僕には旅に出て小さな楽器を買うという癖があるようで、書斎の書棚を見ると6年ほどにロシアで買ったオカリナのような笛が鎮座しています。
/江藤誠晃



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