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オフコースと80年代 - 未発表原稿

この原稿は2019年12月に某媒体のために書いたのですが、編集部の意向とずれているということで大幅に改編されました。ただ、書き直す前の原稿も自分なりによくできていると思ったため、ここに残すことにしました。

オフコースと80年代

80年代の幕開けとともに花開いたアーティストは多数いるが、なかでもこの時代を象徴する代表的なアーティストがオフコースではないだろうか。

1979年末に発表したシングル「さよなら」がじわじわと売れていき、オリコンのシングルチャートでは最高位2位、1980年の年間チャートでも9位という記録を残した。いくつものヒットを飛ばし、日本武道館10日間連続公演を行うなど様々な伝説を生んだ彼らは1989年に解散したが、その後ソロとなった小田和正の今にいたる活躍ぶりはもはや説明するまでもない。

1970年にデビューしたオフコースがブレイクするまでの道のりは険しかったが、きっと80年代という時代の流れに上手く乗ることができたのだろう。コーラス・ワークの美しいアコースティックなフォーク系グループとして評価されていた彼らは、徐々にアメリカン・ロックやAORなどを取り入れたバンド・サウンドへ移行。「さよなら」でブレイクする直前には、サポートだったメンバーを正式に加入させて5人組バンドとして生まれ変わっている。そして、フォーク・グループでもロック・バンドでもない、ニューミュージック・バンドとして唯一無二のスタイルを確立したのだ。

ただ、オフコースが画期的だったのはサウンド面ばかりではない。小田和正が作る歌詞のインパクトも大きかった。彼の歌には強引な男は出てこない。例えば「さよなら」の主人公は、“思わず君を抱きしめたくなる”といいながらも、彼女からは“私は泣かないからこのままひとりにして”と言い放たれてしまう。そして、“さよなら”を連呼して別れを告げるのだ。

同様に、1980年の大ヒット曲「Yes-No」もまた、煮え切らない男を描いている。ここでは“君を抱いていいの”と大胆な問いかけをしているが、けっして“お前を抱いてやる”とは言わない。“好きになってもいいの”や“心は今何処にあるの”というように、とにかく相手の意志にすべてを委ねている。良く言えば女性を尊重しているが、逆に言うと押しの弱い草食系男子的な印象が強い。

しかも、1982年の「言葉にできない」に至っては、愛が終わると“ひとりでは生きてゆけなくてまた誰かを愛している”し、“自分がちいさすぎるから”と自身の弱さも認めている。同時代の吉田拓郎や長渕剛などが歌うマッチョな世界や、松山千春の女言葉で逆に強い男を演出した手法に比べると、小田和正は“抱く”という過激な言葉を頻繁に使いながらも、けっして強さは見せず、繊細な男の心を表出してみせ、共感を呼んだのだ。

ただそれが、有名なタモリの発言のように“女々しい”や“ネクラ”といった評価に繋がったことも確かで、当時は大きな声でオフコースが好きと言えない空気があった。ナイーブな男性隠れファンによって、オフコース人気は支えられていたとも言える。彼らが80年代的なのは、この歌詞に秘密があるのだ。

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後記

小田和正に関しては、下記のような記事も書いています。これらも合わせてお読みいただけると幸いです。


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