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天守閣がここに? 津軽富士と映る弘前城【鈍行みちのく旅 4日目-1】

鈍行で行く東北の旅も半分を過ぎた所。
この旅の目的地・竜飛崎に到達したのが前日のことでした。

その様子はコチラ…


この日の午前中は、電車には乗らず、のんびりと城めぐりでもしようと考えていました。

というのも、弘前と言えば、江戸時代以前の天守閣が現存する「弘前城」がある町。城好きなら、楽しみでないはずがない場所です。

弘前駅近くのホテルから、20分余り時間をかけて弘前城に到着です。


津軽為信像

この弘前城を建てたのは、津軽為信(つがるためのぶ)。
弘前城の東・弘前文化センター前に像が立っています。

戦国時代は、青森から岩手の北部にかけて、南部氏が領有していました。
その領地の広大さゆえに「三日月の丸くなるまで南部領」なんて言葉もあるくらいです。端まで歩いたらゆうに10日くらいはかかるという意味です。

戦国時代も末期に、その南部氏から独立して、津軽地方の一大名となったのが、津軽為信です。

最終的には、秀吉にも家康にも所領を認められ、江戸時代には、今の弘前城の場所に城を建てました。

弘前城の天守閣が建っているのは、本丸に向かう下乗橋から見える、天守台の上のはずです。

弘前城と言えば、この写真を撮った下乗橋からの光景…と言っても過言ではないのです。
しかし、これはどうも天守閣が沈み込んでいる感じがします。


それもそのはずで、現在弘前城の天守閣は本丸に移設されています。というのも、天守台の石垣が修復中なのです。
天守閣を載せたままの修復は難しいため、天守閣をそのまま動かしてこのようになっています。
本来の位置に戻るのは2025年(予定)になります。

その代わり、岩木山をバックに天守閣が撮れるのは今のうちだけです。


弘前城本丸の西側には、ご覧のとおり津軽富士こと岩木山が。
しばし、その姿を眺めていました。


弘前城の曲輪は結構な広さがあるため、隅まで歩くとなると、1時間以上は余裕でかかります。
ただ、この日は日差しが強く、午前中は意外に暑かったため、休憩をはさみつつ、城内を巡っていました。


午前中は弘前城を満喫してきました。
昼過ぎには、お目当ての列車があるため、この後、弘前駅に戻ります。


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