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【上御霊神社】都の怨霊を鎮める神社 

京都に都ができたのは、1200年以上前の話。

その当時の考え方だと、天変地異や疫病、動乱といった悪しき出来事は、「怨霊」の仕業だと考えられていました。

その「怨霊」を丁重に祀ることで、その怒りをなだめることができ、悪しき出来事が収まると考えられていました。

それ故に、怨霊を鎮めるための「御霊会」(ごりょうえ)というものが、平安時代には、度々催されていたのです。
その流れを組む京都の祭の1つが、夏の疫病平癒を願う「祇園祭」です。


京都御所から少し北にある、地下鉄の鞍馬口駅から2分ほど歩いたところに「上御霊神社」があります。

ここは、そんな「怨霊」をなだめるために建てられた神社の1つです。

平安京に遷都した桓武天皇により、「上御霊神社」が建てられました。

新しい土地に都を建てる訳ですから、無事を願うために「怨霊」たちをなだめることで、都が平穏に続くよう願った訳です。

この上御霊神社に、建てられた当時に祀られたのは、以下の六柱

  • 崇道天皇(=早良親王)

  • 井上大皇后

  • 他戸親王(おさべしんのう)

  • 藤原大夫人

  • 橘逸勢(たちばなのはやなり)

  • 文室 宮田麻呂

いずれも奈良時代以降に、無実の罪で殺害されたり、地位を追われた人たちの名前が並びます。

この中でも崇道天皇(=早良親王)は、平安京に遷る前の長岡京の時代に、藤原種継の暗殺事件に関わったとされ、処刑されました。

それ以後、疫病や洪水などが立て続けに起こり、長岡京を放棄して、平安京に遷るきっかけになったのです。

疫病や洪水が「怨霊」の仕業だと信じる当時の人たちにすれば、天皇として丁重に扱い、お祀りしてその怒りを鎮めようとしたのです。

後に火雷神・吉備大臣が合祀され、現在は八柱が祀られています。


古代日本の歴史を見ると、「怨霊」への恐れがあちこちで見え隠れするのです。そんな場所が、京都市内でもいくつかあります。

菅原道真を祀る「北野天満宮」
祇園祭の舞台となる「八坂神社」
二条城近くにある「神泉苑」

怨霊を鎮めるために神社が建てたり、御霊会が開いたりして、何とかして災厄を鎮めようとしていた訳ですから。


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