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<体験記>心の聖域を全力で守れ!幼い本能ができること!2021年夏の探求トートタロット✖️ダイナミック瞑想5日目:遊び心でフラワリング🌸

無くなると、あったことに気づく
ポカンんと広がった無の空間

“そっか、気負ってたんだなぁ・・・“
と ふっと軽くなっている自分を感じた午後


今日も朝活☆ダイナミック瞑想

1stカード

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Prince of Swards  実際的、現実的な考えを覆っている雲を払い除ける


人生に実際何が起こっているのかをみようとマインドのモヤを払い除けようとしている


マインドのモヤ・・・
ダイナミック瞑想で思考の無駄なおしゃべりが静かになっていて
&毎日進化してる気分のちょっとした充足感に結構ご機嫌な朝

モヤ? 不安なマインド? 払う?
そんなものあるん???

と、その投げかけすら払い除けたい衝動を抑え
慎重に感じてみる

そうね、プログラムされたパターンは常に無意識のレベルで精妙に発動されていて
“周りの反応“の感知のためのアンテナが研ぎ澄まされている!
そして、雑音を感知すると モヤっが生まれる

それって、半世紀を超える時間 モヤッモヤッを生み出し続けてきたってこと(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

毎日工場から出る黒い雲が空を覆っていても
お天気や風向きで変化する空の明るさや光の入り具合に心躍らせ
日々の暮らしはごく当然に過ぎゆく   

黒い雲の上に、あの青く澄み切った高く広がる空があることを知らない時はね

ムラ気を払いのけ、何が起こっているのか観察できる明晰性を得るには・・・



2nd カード 

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Queen of cup ハートのオープンさ 受容性 繊細さ 傷つきやすさ
依存 犠牲者 パワーを明け渡す


瞑想直前にこのカードを見た瞬間

“傷つきやすい“
という言葉が心に留まった 

繊細で傷つきやすいハート
ようやく素直に受け取り感じていくようになった

繊細で傷つきやすくあっては困る
そうではない

と自分に言い聞かせてきた・・・のだろう

書きながら思い出したエピソードがある
小学校低学年の時 毎朝ミツバチハッチを見てから登校していた

ハッチは離れ離れになってしまったお母さんを探す旅に出て
様々な困難に遭遇しながらもあたたかさに勇気もらい乗り越えていく感動のお話


幼い“女の子“の私は、毎朝テレビの前に仁王立ちになって見入り
そして、溢れる涙を“男らしく“両腕で腕で拭っていた・・・

それはまるで戦いに負けた戦士が悔し涙を拭っている光景そのもの

笑い話で語られてきたエピソードだけど
当時の私を感じると 至って真剣だった感覚がある

“傷ついてない”“泣いてない” 
という自分であることに
真摯に正しくあったように思う

瞑想中“傷つきやすさ“にフォーカスし全身で激しく動き踊った

どれだけ自分が傷つきやすいか
どれだけ自分が傷ついてきたか

そりゃそうだよ
傷つかない訳がない

勿論、何でもかんでも傷ついてる訳ではなくて
反応するのは自分が大事にしている聖域に触れる時

瞬時にシェルターを発動するから
傷ついてないことになってるけど

シェルター発動寸前にすでに刺さってるからね
実はシェルターの中泣いてる自分がいたりしてね

それにずっとずっと気づかず生きてたら
そして、それがどんどん増幅してたら

そのシェルターを内側から破壊しかねない

生々しく生きてる生身の人間が
傷つかないはずがない

自己防衛を落とし、湧き上がってきたものを感じるに任せていく
思考でなんとかしようとせず
ただただ出てくるものを感じるまま 
受け取っていく


今日も1時間の汗ダク瞑想を終え
3枚目のカートを開けてみた


3rd カード 

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Princess of wands   エネルギーとともに流れる 


エネルギー的に自分を守ったり操作する必要がなく
何がやって来ようともそれとともに流れていく 

起こっていることに ただ イエスと 
流れていく

ケ・セラ・セラ

高校の時に座右の名を聞かれ
これ以外浮かばなかった “ケ・セラ・セラ“

ただ、縛られたくない
自由でいたい そんな願いをこめた
ケ•セラ•セラ

いつしか遠ざかってしまっていたけど
その時とは違う感覚で“ケ・セラ・セラ“の深みを感じる

その開放感
その安心感
その芯からのくつろいだ感覚

自分を明け渡してしまうのではなく
完全なる自然の流れの中に身を委ねる

やっぱりサレンダーだわ

いつか来る
ありのままの空を味わえるその時を捉え

明日も踊り狂う〜っ

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