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声が大きいコンプレックスをもったあの日

声の大きさに愕然としたあの日

私は声が大きいと言われたことが、控えめに言っても他の人より10倍くらい多い。
なので、声が大きい自覚はあったものの、日常生活に支障をきたしたことがなかったので、そんなに気にしていなかった。そしてなにより自分でも実際そこまで大きいと思っていなかった。
ところが、オンライン会議やイベントが増えて、録音した音源をきくことがあり、耳に届いた自分の声を聞いて愕然とした。
いや、え、ちょっ、待て待て、私の声でか。
しかも、すごい気ぃ強そうな声してんな、まじか。
よく自分がきいている自分の声と相手がきいている自分の声は違うっていうけれど、びっくりするくらい違った。大きいだけならまだしも、気が強そうにきこえることがぜんぜん本意じゃない。
このできごとを相方に告げたら、もはや慣れてしまったけど、ずっと大きいと思っていた。直したほうがいいんじゃない。と正論でしかない答えが返ってきた。
ということで、27年間この声の音量音質で生きてきてしまったけれど、今更すぎるかもしれないけれど、コエデカイコンプレックスと向き合うことにした。

コエデカイコンプレックスが生まれたのは中学生

これまで、声の大きさを全く気にしてこなかったわけではない。たしか声が大きいと言われ始めたのは中学生で、うわさ話が多い思春期にうっかり大きな声で話してしまって、友達から怒られることが多かったように記憶している。
この頃、担任の先生だった敬愛するはぎちゃん(愛称)に「さくらいは話し声が大きいよ〜」と愛のお叱りを受けたことがある。この先生は指導が本当に上手で、「でもね」と続けた。「もともと声が大きい人は、声を小さくすることもできる。だけど、声が小さい人は声を大きくしようとしてもできない。俺は声が小さいからさくらいがうらまやましい」と言ってくれた。この言葉が3日煮込んだおでんの具くらいに染みた中学1年生のとき、小さい声で話す努力をしたことがある。
あの時はぎちゃんが伝えてくれた言葉をこんなに鮮明に覚えているのに、どうして本気で向き合おうとしてこなかったのだろうか.....
ああ......はぎちゃん......ごめんなさい......

27年間の懺悔

27年間私の声が大きくてお耳汚しをしたみなさまに対し大変に申し訳なく思っている。うるさかった方、気の強気さに辟易とした方、本当にすみません。
現状、相方と話をしているとき、1時間に1回程度うるさいポイント、通称ウルPが加算されている。でも少しずつ進歩はみせていて、一節によると人があることを習慣化するまでは3ヶ月かかるらしいので、9月が山場である。
声を小さくするのを意識するときは自分の声をききながらチューニングしないと調節できない。やはり27年間の音量を変えるのは難しい。そのため、外で話をするときは周りの音によって、このチューニングが上手くいかず、デフォルトの音量になってしまう。(先日ソーシャルディスタンスを保ちながら外で食事をした際に、実感した)
まだまだ壁は高いけれど、次にあなたに出会えた時は心地いい音量かつ音質でお届けできるように日々精進していかなければ。あとこの投稿を読んで、これから会う方がいたら容赦なく、うるさいと言ってほしい。

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