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楢葉の風①

神保です。「旅するたたき場」という舞台芸術ユニットを組みました。メンバーはせんがわコンクール以降ずっと仲良しの星さん、ずっと演助をお願いしている朋佳、『虫の瞳』で知り合った史織さん、エリアメンバーの中野、そして僕の5人です。先日、最初の旅があったので、その様子を書き残していきます。他メンバーのもそのうち上がると思うので、楽しみです。

お邪魔したのは、福島県・楢葉町(ならはまち)。海と山の広々とした町だ。楢葉町へは、史織さん、朋佳、僕の3人でいきました。現地で学習塾「燈 -tomoshibi-」を立ち上げたばかりだという堺亮裕さんに案内していただきました。堺さんはもともと星さんのお知り合いで、出身は大阪で数年前に楢葉町に移住したとのこと。アーティストとのお仕事も多く、現地のコーディネートをしていらっしゃるようで、今回案内をお願いしました。ご自身もサーフィンから楽器演奏と超多趣味、実行力に溢れたマルチでパワフルすぎるお方。さらに写真までお上手で、旅の様子をバンバン撮ってくださったので、堺さんのお写真(ときおりメンバーが撮影した写真)とともにご覧ください。

※当記事は、まだ震災の爪痕が一部残る福島県双葉郡の街中の写真を含んでいます。写真を見てお気持ちを悪くしてしまう方もいらっしゃるかもしれませんので、もし該当すると感じた方はブラウザバックをお願いします。


散歩中に見つけた天然芝。撮影:堺亮裕

車という、走る川

2023年11月18日。史織さんが早朝から車を走らせてくれて、僕は三郷駅のファミマで酔い止めの薬を買い、合流を待った。ついでにコーヒーを買って、イートインで飲んでいたら史織さんが朋佳を助手席に乗せて到着。2人も降りて何か買うかなと思い、とりあえず顔を出そうと何も持たずに店を出ると、まさか手ぶらで来たのかと驚かれた。でも確かに、それくらい身軽な旅だという感覚はあったような気がする。

車中では、「旅するたたき場」としてどんな活動をしていくか、話していた。というのも、楢葉町に旅する理由の一つとして、来年の冬に作品発表を予定しているからだ。何を題材にするか、どこで発表するかなどの概要はまったく決まっていない。でも、やりたいことのぼんやりとしたイメージや、どんな場所で作品発表をしたいか、については、メンバー間で意見交換を重ねてきた。でもオンライン会議やグループLINEのチャットでのやりとりが多かったので、僕はこの車中の時間をすごく楽しみにしていた。

車中の会話には、すごくいいグルーヴ感がある、と発見したのは今年の1月、福井県・池田町に滞在制作の下見に行ったときだった。このときは星さんと史織さんが交代で8時間も車をとばしてくれた。僕も一応、免許をもっているが、とりたてのころに軽い事故(事故に軽いも重いもない)をおこしてからハンドルを握っていない。

ハンドルを握るのが本当に苦手だ。演劇づくりにおいてもそうで、自分がハンドル操作すること自体がもう、怖い。本当は誰もハンドルせずに作品づくりができるようになるのがもっとも望ましいが、それはつまり自動運転ということになるんだろうか。うーん、それは不本意だったりもする。自分だけがそれを避けて、2人にハンドルを任せることは、申し訳なかったりもして、悩ましい。そんな悩ましさも、高速に乗るあたりで下道に置いてきて、会話に没頭していった。景色の中を移動していきながら、会話も移ろっていく。

中野に、ソフトクリームを食べてきてねと言われたので、食べて、写真を送った。朋佳の指が写っている。福島県・四倉SAにて。

そんな車中で今回も、「旅」というワードがこのチームにおいて重要になったことの必然性を思い知る。今、旅してるなあ、という実感が粘土をこねるようにして形づくられていく。東京という、ひとたび作品を作ろうとすれば、「上演」という怪物にすべてのエネルギーが吸い込まれていく魔法陣、そこから逃げるように、僕たちを示すGPSの点は北へ北へと移動していった。この「移動」が、僕たちのやりたいことの本質とさえ言える。移動してくれない稽古場、移動してくれない劇場、移動してくれない権威、移動してくれない上演、移動してくれない不動産や大資本、それらに対し、僕たちは仲間とともに移動できる。移動(または移動可能であること)は、舞台芸術においてたくさんの新たな可能性を持っていると僕は思う。

(スピードを上げる車、のことを思い出しながら今これを書いていると、むかし合唱コンクールで聞いた「走る川」を思い出した。)

岩をかみ しぶきをあげ
魚を押し 風をさき
ふり返らず 水は 走る
もどれない命を
もどれない命を
いっしんに 走る 走る

詩:金沢智恵子

ヨソモノのジレンマ

車中で話したことは僕にとって、冬の池田町での話題の「その先」の問いだった。それはつまり、外と内の問題ーーー外からやってくる私たちはいつでも「ヨソモノ」であるということについてのジレンマだ。そこから僕は、「風の又三郎」を題材にしてはどうかと提案したこともあった。又三郎と名乗る謎の転校生をめぐる、社会と自然の物語。

いま「小さな演劇」の界隈では、アーティスト・イン・レジデンスが流行している。いや、流行は前からあったものの、本流(自然な選択肢)になってきた、のかもしれない。地方の演劇祭に東京から参加するケースも前より増えた感じがする。東京での創作と持続化がやはり難しくなり、創作と上演の機会を「地方」で探すのは、民族移動的な観点から見ても自然なことだ。しかしそこに、「なぜ地方なのか」についての積極的な主体性を見出せる例はきっと多くないだろう。

何が言いたいかというと、僕もそうだが、「東京で厳しいから地方へ」というのは、ムシが良すぎるということだ。単に、都市で暮らす人にとって「大きな自然」が非日常で刺激になりうるというシンプルな理由も大きいだろうが、それはそれで、他者の暮らしをエンタメとして搾取することにもつながりかねないので、これを「シンプル」に片付けることはあってはならないと僕は自警する。

今回の旅のテーマを探る話し合いの中で、「リサーチ搾取」というギョッとすることばに出会った。私たちはどこかで作品づくりをする場合、その土地のこと、そこの空気や歴史、人々の雰囲気など、さまざまな情報を収集しようとする。それはもちろん、都内でもどこでもそうなのだけど。しかしそれは一方で、リサーチされる側からすれば、ヨソモノが何かをしにやってきて、生活におけるさまざまな情報を盗み取られるようなものでもある。それに「リサーチ搾取」と名前がついていることに、往復ビンタをくらった。

さらに、こうした上演の機会は、地方の「地域興し」と複雑に関連してしまうことの不条理さがつきまといがちだ。そこには地域の行政の資金が関わっていたり、人が集まってほしいというねらいがあったり、さまざまな因果がすれ違ったり絡み合っていたりする。僕らが今回むかった楢葉町にも、もちろん、地域の人々の暮らしがあり、つまり歴史があり、傷があり、願いがあり、希望があり、すなわち葛藤がある。それらは、税金や投票という政治的かつ歴史的なかたちで町に育まれ、すみずみまで息づいている。

この旅は、そうした息づかい、土のいろ、吹く風、すべてに五感を働かせる旅となった。僕はこの旅で五感がよみがえった。まず最初によびさまされたのは、味覚だった。

刺身が分厚くて美味しすぎるだろ!

堺さんと、塾「燈 -tomoshibi-」の前で合流し、軽く挨拶するとすぐに、竜田駅前の海鮮料理店「海・鮮 ・料理 よしだ」に案内してもらった。僕はブリとタイの刺身定食を頼んだ。

わたまで美味しかった。
これは朋佳が頼んだまぐろ丼。

刺身とは思えないほどもっちりとした肉感で、食べごたえが半端じゃない。しかも、量も多め。お米もふっくらしていて美味しかった。楢葉町で過ごす間、「水がいい」というのをよく耳にした。楢葉町には木戸川と井出川、ふたつの清流がある。海も含めて、どれも底砂が見える澄んだ水だった。

マームとジプシーの「Light house Dialogue」を読んで、沖縄の水について思いを馳せて以降、暮らしと水のかかわり合いについて感じたり考えることが多くなった。それからいろいろ調べるうちに、江戸が井戸のネットワークの構築を起点に隆盛したことや、関東大震災後の伝染病対策から水の安全性が向上したこと、などを知った。東京にも当然ながら水が流れていて、(地下のパイプを通ってて見えなかったりするけど)、東京を水の町だと認識するようになった。すると、走る車に川を連想することにも直感以上の縁を感じてくる。

井出川の流水音、しんとした町で遠くまで聞こえた。撮影:堺亮裕

水の話をしていて、風呂とかトイレとか、水の流れるところはアイデアが浮かぶよね、という話題にもなった。水って、否応なしに上から下に流れるじゃない? でも人の暮らしには水が不可欠なので、その「流れ」に逆らって暮らすことってできないから、人の文化も、その流れに沿って生まれるんだと思うのよ。

堺さんは確かに、と黒目を天井に投げながら、そういえば神社も川に沿って建てらているかもしれない、と続けた。

食後に、車で双葉町役場まで移動して、町を散策した。

2階部分によくある看板ってこんなに大きかったんだ。撮影:堺亮裕

静かな町

音がしない。遠くを走る車が、近くに感じる。多分それは、人がいないからだ、と気づくには時間がかかった。振り返っている今もまだ、実感するにはほど遠い。また、「避難」ということばに隠れたさまざまな情景も、この時はまだ知らない。

バスは来るのだろうか。

双葉町役場に車をとめ、てくてく散歩をした。僕はカリンバを持って、たまに鳴らしたりして、町のリズムを探っていた。感覚として、ひっかかるものがない感じというか、跳ね返ってくる感じがないというか、不思議な感じだった。音は、すべるように林や川、残された家屋のすき間に入っていって、行ったきり帰ってこないような感じがした。音が、次鳴る音を予感させないような感じ。

投げ込まれたり、持ち出されたりして、残っているもの。
地震で、というよりも、人がいないことによる劣化の痕が多いとのこと。

商店街や住宅地だが、住んでいる人はほぼいないという。空気がとにかく澄んでいて、遠くと近くが一緒くたになっているようだった。ふと神社を見かけたので、入ってみた。

秋葉神社、入り口の階段を登る。撮影:堺亮𥙿

そこは新山城の跡で、火の神が祀られているとのことだった。第二次世界大戦の戦没者の碑も刻まれていた。

一番高いところに本殿と思しき建物。
中央が堺さんです。

竹がいっぱい生えていた。朋佳や堺さんが、生き物の動く音などに反応していたけど、僕はあまり気づかなかった。

ざわざわ、ぱきっ、ぞわああ。
このへんで一番高い場所だったと思う。
役場に戻る。

ぐるっと辺りを一周して車に戻ると、今度は、堺さんが「伝承館」と呼ぶ施設へ向かった。東日本大震災・原子力災害伝承館だ。

つづく

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