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楢葉の風②

神保です。福島県・楢葉町にお邪魔した旅の記録です。バックナンバーはこちら。続きで読んでも、これだけ読んでいただいても大丈夫です。

※当記事は、まだ震災の爪痕が一部残る福島県双葉郡の街中の写真を含んでいます。写真を見てお気持ちを悪くしてしまう方もいらっしゃるかもしれませんので、もし該当すると感じた方はブラウザバックをお願いします。

2023年11月18日。旅の1日目、お昼過ぎ。現地の堺さんの案内で、旅するたたき場メンバーの神保治暉・山本史織・山田朋佳の3人は美味しい昼食と双葉町役場周辺の散策を終え、車で「東日本大震災・原子力災害伝承館」へ向かいました。


線量計

双葉町への車内で、線量を見る。

「1マイクロシーベルトあると、まあ多いかな、という感じ。」

とハンドルを滑らせながら堺さんは言った。通過したり多少滞在するくらいなら問題ないと思う、と語る。「この線量を何年、何十年ずっと浴び続ければ違ってくるとは思うけど。」

デジタルの表示は、福島第一原発に近づく瞬間上昇し、通り過ぎると下がっていった。風ぐるまを持って、扇風機の前を通ったみたいだった。

僕はやっぱり、放射線に対する距離感がまだ掴めない。近くに住む人々が感じている放射線との距離感というものがあるし、離れて暮らす人々の感じる距離感(感じない距離感)もある。僕が感じる、この距離感って何だろう。東京に届くころには、この風は。

風景

ということばが、まさに、そこにあった。

伝承館の窓から見えた風景。

この日は風がとても強く、特に日暮れの後は、外を歩くと体が縮まった。伝承館から見えた景色も、どこまでも風が吹き抜けるような光景で、室内なのに冷たい風を感じた。これはきっと、海まで続いている風景だと直感した。

伝承館では、その過去のことを「複合災害」と呼んでいた。複雑に絡み合った、さまざまな困難があったことを非常に丁寧にひとつずつ説明しながら、未来に残そうとしていると僕は感じた。

非常にみやすく設計された館内。撮影:堺亮裕

指定箇所を除き撮影可能とのことで、たくさん収めさせていただいた。

エントランスすぐの円筒状に吹き抜けた映像室で、大迫力のムービーを見た。原子力発電が日本の発展をエネルギーの面で支えてきたこと、多くの雇用を生んだこと、そして震災と事故、廃炉とこれからについての物語だった。

映像室の螺旋階段に、原子力発電をめぐる歴史のタイムラインが壁画のように記されており、僕たちはそれを辿りながら登っていった。スリーマイル島、チェルノービリ。身体の疲労感が上がっていくとの並行して、歴史は複雑になっていった。タイムライン終盤の、避難にまつわる事柄のほとんどは、僕はテレビでもSNSでも知ることのなかったことばかりだった。危険区域、避難区域、一部解除、聞いたことはあるけれど意味まで深く考えてこなかったことばが、僕の中でリアルさを増していく。

登りきると、資料展示スペースへ。僕が最初に関心を奪われたのは、映像資料の中から聞こえてきた「帰る」ということばだった。「海は変わらない」「人がいない」「寂しい」。そう語る人の背景で、太平洋がしぶいている。

さまざまな展示。撮影:堺亮裕

「知りたい」と足をはこぶ来館者たちに、展示品たちは黙々とそこで未来を待っている。

その未来で、今の僕たちができることは何だろう。撮影:堺亮裕

戻せるならば戻したい

僕は展示の総合的な演出として「時間」というテーマがあったのではないかと思った。時間は、水が上から下に進むのと同じように、過去から未来へ進む。戻ることは原則、ない。でも、ここに「もとあったものたち」は、過去に片足を引っ張られているようだった。「止まっている」のとは少し違う感じがした。

ダメージは、ダメージのまま。

最近、金属の「錆び」について考える機会があった。錆びは、人間にとっては扱いにくくなるため劣化だけど、自然現象としては、空気中の酸素と結びつき、酸化して発生するもので、むしろ金属にとっては安定状態にあるともいうらしい。

劣化ってなんだろう。ダメージって、なんだろう。

福島第一原発のジオラマ。

ジオラマが大好きなので見入ってしまった。どこまで忠実なのかは分からないが、吹き飛んだ建屋の天井の様子から、「爆発」があったことが想像できた。また、崖を削って、給水用に標高を下げて建設したことがよく分かった(奥の方が高くなっている)。人間って、すごいものを作るなあと思った。

安全と信じられてきた原子力。

建設経緯、政治とまちづくり、事故発生、その時に起こったさまざまなこと、現場の仕事、避難、その後の暮らしにかけて。羅的に解説した大量の資料。ものすごい情報量だった。記録をのこしたい、伝えたいという気迫と意思を感じた。中盤くらいで頭、パンク状態。

この時見てた映像資料の内容、2割くらいしか覚えてない。

戻る。戻るだろうか。戻す。戻せるだろうか。戻したい。戻したいのだろうか。

戻るならば。戻せるならば。戻したいならば。戻りたいならば。

戻っていいだろうか。戻していいだろうか。

戻るってなんだっけ? 戻すってなんだっけ?

過去、今、そして未来。

ぐるぐる考えるうちに17時。閉館ギリギリまで見学して、車に戻った。

風がすごかった。

湯煙

なんと、堺さんが温泉に連れて行ってくれた!最高!!

宿泊施設の日帰り温泉だ。

その名の通り、露天風呂からは太平洋が一望できる。日没後なので景色はほぼ見えず。ぜひ夕方か、早朝にまた来たい。

堺さんとゆっくり話した。これまでの僕の演劇のことや、音楽作りなどについても、いろいろ質問してもらった。来年の冬に予定している発表の話題になった。お祭りみたいに、どんな人でも混ざれる楽しいものになるといいですね、と盛り上がった。

「祭」というキーワードは確かに、メンバー間でも上がっていた。ただ、現地に「すでにある祭」を大事にしている誰かにとって、「新しくソトからやってきた祭」は、どう受け取られるのだろう。これこそがまさに、旅するたたき場が考えていきたい問題だ。舞台芸術は、ウチとソトをはっきりと可視化してしまう一面を持っている。舞台のウチ・ソト。作品のウチ・ソト。観客席のウチ・ソト。関係者のウチ・ソト。劇場のウチ・ソト。芸術祭のウチ・ソト。管轄のウチ・ソト。尚且つ、我々はヨソからやってくるものでさえある。ヨソから来て、土地を仕切り、空間をコントロールする。これは、極論でいえば侵略だ。

常磐線舞台芸術祭のチラシを見かけた。そこには「私たちは線を引く」から始まるステートメントが書かれていた。そのジレンマに共感した。

僕たちは、この境界を、いかにしてぼんやりさせられるか、考えていきたい。改めて、そう考える機会になった。水面から湯気が立つ。湯気はどこまでが湯気だろう。その境界は、微粒子のゆらぎで絶えず明滅していた。自然は自然のままであれば線が生まれない。でも僕たちは常に人工物を生み出して生活している。ではこの、生まれた線をどうしよう。

帰り道は、体の芯が温まっていて、風の寒さが和らいで感じた。それでも僕たちは、体を縮こめて、手を手でさすって車内に逃げ込んだ。

夕食の食材を買いにスーパーへ出かけた。鍋に使えそうなものを探して買った。堺さんは地酒を一瓶、かごに入れた。そこには「楢葉の風」と書いてあった。

ちょっと見づらいけど、「楢葉の風」を抱えてピースする、朋佳。

つづく

次回、激闘!!!アツアツ鍋つつき合戦!!!!

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