見出し画像

ラジオで聴いた「高杉晋作」を追いかけて「萩」に行った話。

ラジオを聴いた。

実家に帰る車の中で、行きに3時間、帰りにも3時間。

「COTEN RADIO | 歴史を面白く学ぶコテンラジオ」というインターネットラジオ。

以前読んだ「視点という教養」の著者である「深井龍之介さん」がされているというので興味が湧き聞いてみた。

高杉晋作

その時に聴いたのが「吉田松陰のDNAを受け継ぎし幕末風雲児」と称される「高杉晋作」の回。(YouTubeでも公開されています)

「高杉晋作」というと「松下村塾」の塾生で、破天荒なイメージ。それしかない。あ、あと「奇兵隊」を組織し、倒幕を目指していた、と。

大河ドラマ「新選組!」がきっかけで幕末に興味をもち、京都にも、函館にも、そして萩にも行ったことがある、が高杉晋作のことは詳しく知らなかった。

「人間臭い」ふるまいに親近感

ラジオを聴くと高杉晋作に、もの凄く「人間臭さ」を感じ、親近感が湧いた。

歴史上の偉人というと、誰もが聖人というか、真面目でしっかりとした人、というイメージがあった。たぶん高杉晋作も「松下村塾」で勤勉に学び、颯爽と明治維新を進めていく、あえての破天荒、そんな感じだと思っていた。

が、まるで違った。

思ったよりもフラフラしていたり、公費を使いこんで逆切れしたり、人間味がある。

そして意外なことだが、最期に長州を復活させるまで、とくに目立った実績がなかったという事実に驚いた。(「英国公使館」を焼き討ちにした話には度肝を抜かされたけど。)

ただ、世の中をどうにか変えようとした気持ちというか、信念、志のようなものは感じた。端的に言うと「ファン」になったと思う。

高杉晋作を追い「萩」へ

ラジオを聴いた翌週。たまたま北九州へ行く用事があった。

北九州市は、福岡市と萩市の中間地点にある(意外と近い)。ここまで来たからという理由で、高杉晋作がいた「萩」に向かうことにした。

近いと言っても片道2時間はかかる(しかも1泊する必要あり)。思いのほか高杉晋作の話に感銘を受けたのだと思う。

まず向かったのは高杉晋作の生家。

萩には3,4回行ったことがある。高杉晋作の生家にも実は行ったことがあるのだが、あまり記憶になかった。

庭から家の中を眺める。高杉晋作ゆかりに品が並べられている。その経歴も。頭のなかでは、ラジオで聴いた高杉晋作の姿を思い描いている。

前にも思ったが「萩」の空気感が好きだ。何か特別なものがあるという訳ではないのだが、空気感が好きだ。

高杉晋作の家も、どこにでもある民家という感じ。おばあちゃん家みたい。ただ歴史を知っていると、その場所が特別なものに見える。

松下村塾にも行った。小さな小さな部屋。

高杉晋作だけでなく、吉田松陰、桂小五郎、伊藤博文、久坂玄瑞。幕末を駆け抜けた志士たちがここにいたと思うと、心が動かされる。

この場所で何を考えていたのか。
当時の日本がどのように見えていたのか。
どうして日本を変えようと考えたのか。

日本のことを考えている人がどれだけいるだろうか?

高杉晋作は「27歳」で亡くなったらしい。あまりにも若い。

自分が27歳の頃は何をしていただろう?
何を考えて生きていたのだろう?

日本を変えよう、日本を良くしよう、という考えは微塵もなかったことだけはわかる。

いま、この日本で、国を変えようと考えている人はどれだけいるのだろう。どれだけの人が日本のことを本気で考えているのだろうか。

300年近く続いた徳川幕府を倒す、つまりは世の中をひっくり返すということ。現代だと、トヨタを越える企業を作るようなものだろうか。そのエネルギーは想像を絶する。

高杉晋作の生家、松下村塾、その空気に触れることで、背筋が少し伸びた気がした。

ここから先は

0字

35歳から目指す豊かな人生。

¥500 / 月 初月無料

「豊かな人生」を送るために模索していくことを書き連ねていきます。[旅行エッセイ/読書感想文/模索したこと]などなど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?