土方歳三の愛刀「和泉守兼定」を観て歴史を学ぶ大切さを知った日。
2024年3月。ふと、意味もなく「X」を見ていたら、「土方歳三資料館 ✕ 肥後熊本藩」という文字が飛び込んできた。
なんということだ。
土方歳三資料館が、熊本にやってくるらしい。
新選組と出会ったのは、2004年の大河ドラマ「新選組!」。そこから興味を持ち、幕末、戦国、そして歴史全体に興味は広がっていった。
京都にある新選組のゆかりの地、八木家や前川邸、蛤御門にも行き、函館にある五稜郭、一本木関門(土方歳三が亡くなった場所)にも行った。
そして、この「土方歳三資料館が熊本に来ること」を知ったのは、たまたま司馬遼󠄁太郎の「燃えよ剣」を読んでいる途中だった。
土方歳三資料館が、東京にあることは知っていたが「いつか行ければ」という気持ちだった。
ただ、熊本に来るとなると話は別だ。私の住む福岡市から熊本市までは高速で2時間ほど。全然日帰りで行くことのできる距離だ。
しかも、予定があり、行けるのはこのことを見つけた次の日のみ。
次の日、熊本へ。
土方歳三資料館 ✕ 肥後熊本藩
ちょうど熊本城の「春のくまもとお城まつり」というイベント(たこ焼きが美味しかった)が行われていて、駐車場は満車。
が、近くのコインパーキングにたまたま空きを見つけ、「土方歳三展」が開催される熊本県立美術館へと向かった。
美術館に入ると、石田散薬や天然理心流の木刀、新選組の名が入った手紙や資料など、土方歳三のゆかりの物が飾られていた。
どれも初めて見るもので、ひとつひとつに興奮したが、今回の展示で、どうしても見たいものが、ひとつだけあった。
土方歳三の愛刀「和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)」だ。
土方歳三の愛刀「和泉守兼定」を前にして…
背筋がゾッとする感覚だった。この刀で自分の人生を、というより時代を切り拓いたのだと思うと感慨深い。
偽物みたいに綺麗だ。
本物なのだろうか、と疑うほどに綺麗な印象を受けた。
本当に、この、目の前にある「これ」を振り回していたのか?京の街で?
不思議な感覚。
土方歳三の志には憧れるが、目の前にあるのは人を殺す道具だ。
時代が違えば、人の倫理観は合わないのだろう。
これを振り回していた時代があったことに恐怖を覚える。と、同時に現代の日本ではそれが無くなったことに安心感も覚えた。
少し冷静になって、1つの疑問が浮かび上がった。
「函館の戦いの中で亡くなったのに、なぜ愛刀がこの場に?」
と思っていたが、その答えを教えてくれたのは司馬遼󠄁太郎だった。亡くなる少し前、小姓であった市村鉄之助に預けたのだそうだ。
そして、それを土方歳三の地元の佐藤彦五郎にまで届けたのだそう。
後の世で、この様に展示されることを考えていたのだろうか?
新選組の、土方歳三の生き様を伝えようとしたのだろうか?
正しい、間違いでは語れない
実在した人物だとわかってはいたが、遺品などを見ていると、本当にいたのだと改めて思う。
展示されている資料に出てくる名前も知っている名前ばかり。
大事に残してくれているから、日本で何が起こったのかわかる。何が今の日本を創り上げたのか。
歴史を知ることは重要だ。
土方歳三が亡くなったのは35歳。自分と同い年。
土方歳三は幕府の為に戦った。ただ幕末のことを知れば知るほど、徳川幕府は限界だったと感じる。
その行動が「正しかった」のか「間違っていた」のか、それは分からない。
「正しかった」や「間違っていた」のような、簡単な2択で括れるほど単純な話ではないと思う。
ただ、何が起こったのか、なぜ起こったのかを知ることは重要だと思う。
数えきれない出来事や、数えきれいない人の思いがあり、歴史となり、「今」が、そしてその先に「未来」があるから。
歴史を学ぶことの大切さを、また知った日だった。
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35歳から目指す豊かな人生。
「豊かな人生」を送るために模索していくことを書き連ねていきます。[旅行エッセイ/読書感想文/模索したこと]などなど。
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