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アウトローすぎる僧侶たち

参考文献:水上勉(1988)『禅とは何か ーそれは達磨から始まったー』、新潮社


達磨

単語1つで、皇帝の質問に答える男

中国禅の始祖である「達磨」。

達磨

おそらく、誰でも名前ぐらいは聞いたことのある有名な人物だ。

そんな達磨には、2つのぶっ飛んだエピソードがある。

まず、梁国の武帝との会話を紹介しよう。

武帝「朕は、即位以来、寺を建て、人を救い、写経もし、仏像もつくったが、いかなる功徳があるだろうか」

達磨「無功徳」

達磨「それらのことは、みな形にあらわれた有為の善行ではあるが、真の功徳とはいえません」

武帝「真の功徳とはどういうものか」

達磨「廓然無聖」

廓然とは、からりとして何もないことをいう。無聖とは、聖(ひじり)なんていうものはない、ということである。からりとして、聖も銭もないところに、真の功徳がある、という解釈がなされている。

武帝「朕に対する者は誰だ」

達磨「不識」

不識は、そのまま訳すと「そんなものは、しらない」という意味になる。これは、武帝を突き放したのではなく、「対立」などに捉われず、不識になれという達磨の教えである※。

※『Vol.02 菩提達磨「不識」 | 公益財団法人仏教伝道協会 Society for the Promotion of Buddhism』(https://www.bdk.or.jp/read/zenpriest/bodaidaruma.html) より引用

寺を建て、人を救い、写経もし、仏像もつくるほど熱心な仏教徒である武帝に対し、達磨は「それらは真の功徳ではない」ときっぱり言い放つ。

さらに、「朕に対する者は誰だ」と聞かれると、「そんなことは、しらない」という、冷たい返事をする。

達磨の発言をよく見てみると、「無功徳」「廓然無聖」「不識」など、ものすごく短い言葉で返している。

皇帝を一切恐れないこの態度は、さすが禅の始祖と言ったところか。こんな舐めた口をきいて、よく処刑されなかったな、と読みながら思った。

弟子入りするため、左腕を切り落とす

では続いて、2つめのエピソードを紹介する。

武帝が仏教を何も理解していないことを知った達磨は、梁を離れ魏の洛陽へと向かう。

洛陽に着くと、近くの嵩山少林寺に入り、終日壁に向かって座禅をしていた。ほとんどの人は、達磨をおかしな人だと思っていたが、「神光」という人物は、達磨のすごさに気づいた。

達磨に教えを乞うため、神光は少林寺へと向かう。しかし、達磨は壁に向って座るだけで何も言わない。

そこで、神光は刀を取り出し、自分の左臂(さひ)を断った。つまり、左ひじを切り落としたのである。雪に血が散った。

それを見た達磨は、

「諸仏ははじめに道を求めるにあたって、真理のためには身命をわすれられた。今、お前さんは私に臂(ひじ)を斬ってみせて道を求めている。その求道心は正しい。」

と言い、神光を弟子にする。

達磨が黙って壁に向っているので、いきなり左ひじを切り落とす神光の凶行もさることながら、それを見て弟子入りを認める達磨も中々に狂っている。これで達磨がドン引きしたら、どうするつもりだったのだろうか。

ちなみに、弟子入りのために自分の身体を傷つける僧侶は、これ以降ひとりも登場しない。なぜ神光だけが、ここまで大胆な行動をしたのか。永遠の謎である。

臨済

無言で弟子を殴る師匠

次に、臨済という人物のエピソードを紹介する。

臨済は、達磨ほど有名ではないが、達磨禅を受け継ぎ、臨済宗の源流を作った重要な人物である。

臨済 ちょっとこわい顔

彼は兄弟子の勧めで、師である黄檗の隠寮(住まい)へ向かう。

すると、臨済が何も言わないうちに、黄檗から棒で30回殴られた。

いきなり殴られたので、臨済は退散するしかなかった。しかし、「もう一度入堂してこい」と言われたので、再び師のもとへ向かうことになる。

そして3回入堂し、3度とも同じように棒で殴られた。

臨済は、自分に禅をやる資格がないと判断し、黄檗に別れの挨拶をする。

すると、黄檗は

「出てゆくのもよいが、高安の灘に大愚和尚がおられる。そこへゆくがよい」

と言ったので、臨済は大愚和尚のもとへと向かった。

別れの挨拶は、棒で脇の下を3回

大愚和尚にいきさつを話し、自分のどこが間違っているのか聞くと、

「黄檗和尚は親切なお方だ。まるで婆さんが孫をかわいがっているようだ。お前のために、そんなにまで心をつくしておられるのに、お前さんはどこがまちがっているのかなんぞといっておる。ばかなヤツだ。」

と返ってきた。

この言葉を聞いて、臨済は悟り、

「黄檗の仏法とは、こんなことだったのか」

と言う。

それを聞いた大愚は、臨済の胸ぐらをつかんで、

「この寝小便たれめが。さっきは自分のやり方がわからない、といっておきながら、いまは、黄檗の仏法などはこんなものだったかとは何だ。いったい何がわかったのか、いうてみい。」

と言う。

すると、臨済は大愚の脇の下をコツコツと三度たたく(なぜ?)。

大愚は臨済を突き放して、

「お前の師匠は黄檗だ。わしの知ったことか」

と言った。

そこで、臨済はふたたび黄檗のもとへと戻る。

まだ続くのだが、一度止めよう。

いきなり知らない人が来たならまだしも、弟子である臨済に対し、何も言わず棒で叩く黄檗の異常さは、突っ込まずにはいられない。

大愚は、黄檗の行動を「まるで婆さんが孫をかわいがっているようだ。」と称賛しているが、どこの世界に無言で孫を叩く婆さんがいるというのか。

ただ、ここまでは体育会系特有の(禅が体育会系なのか、ということは聞かないでほしい)理不尽として受け入れられるが、問題はその後の臨済の行動である。

大愚の脇の下を叩くという意味不明な行動に、おもわず「なぜ?」と書いてしまった。その後も、臨済の意味不明な行動は続く。

師匠をひっぱたいて入堂

以下は、大愚和尚のもとから戻ったあとの、臨済と黄檗の会話である。

黄檗「どこへ行ってきたのか」
臨済「先日、老師さまからいわれた大愚老師のところへ行ってきました」
黄檗「大愚はお前に何といった」

臨済が子細を話すと、

黄檗「馬鹿なヤツだ。何とかして、大愚のヤツをひっつかまえて一発喰わせてやりたいものだ」
臨済「老師、一発喰わせてやりたいなどというお暇がありますなら、これでも喰われたらどうですか」

臨済は、師の横っ面をひっぱたいた。

黄檗「こやつ、もどりやがって、よくも虎のヒゲをなでおったな」
臨済「喝ーーーッ」
黄檗「この狂ったやつを坐禅堂へつれてゆけ」

こうして、臨済は入門をゆるされる。

さて、あなたは臨済の行動を理解できただろうか。

「何とかして、大愚のヤツをひっつかまえて一発喰わせてやりたいものだ」と言った黄檗を、「これでも喰われたらどうですか」と言い、横っ面をひっぱたく。

それだけでなく、怒った師に対して「喝ーーーッ」と喝を入れる。いや、逆だろ。

こんな無礼をはたらいては、当然追い出されるだろう。否、この行動を見て黄檗は臨済を入堂させるのだ。

少年漫画などで、「とんでもない無礼をはたらくキャラクターが、なぜか高く評価される」といった展開を見かけることはあるが、臨済ほどの意味不明な人物はめったに見かけることはない。

ちなみに、この話は中学を卒業して禅堂に入る小僧たちが、暗誦するぐらいに読まされる話だそう。しかし、この本を書いた筆者も、

「日本禅宗では小僧も雲水もこの文章をバイブルのように暗記するのである。バイブルのようにしたしみ読んでも、それはどうということもないのだけれど。」

と評価している。やはり、仏教を深く学んでいる人でも、臨済の行動は理解できないらしい。

まだまだいるよ、アウトローな僧侶たち

師匠に認められたあと、乞食と一緒に10年生活をした「大橙」や、尺八を吹くことで普化宗の始祖となった「普化」など、まだまだアウトローな僧侶は山ほど登場する。

だが、思ったより長くなってしまったので、今回はここで終わりにする。


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