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真田信吉の菩提寺へ~天空のグンマー編その8

前回、休日おでかけパスを握りしめて南関東を東奔西走してから間もなく。
今度はド平日に北に向かいました。
向かう先は再びのグンマー。
ぐんまワンデーローカルパスの旅、今回は8回目です。
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上越線の沼田駅にやって来ました。
バスで街中に移動すると、あちこちに城下町の遺構が残っていました。
城下町時代からの用水路をみつけて撮影。
用水路を追って行こうと思ったら、すぐ側にあるものを見つけました。

この近くに信幸の息子の墓所があるみたい。

ほほう。
信吉は信之が上田に移った後、この地を城主として治めてますね。
ただ、信之があまりにも長生きだった上に、幕府も信之の隠居を意地でも認めてくれなかったので、信吉の方が先に亡くなってしまい、結局真田家当主を継承できなかったんですね。
なんで幕府が信之を隠居させてくれなかったかというと、大坂の陣が終わってからの時代、信之は貴重な人材だったんです。
徳川幕府成立から十年、二十年と経つと、戦国時代をリアルでくぐり抜けてきた実績ある武将たちは次々と鬼籍に入っていきました。
家光の時代になると、そろそろ信之は当時を知る数少ない生き残りになっていたのです。
武士の生き様を知るホンモノの武将を、なるべく出仕させておきたい。
ある意味大事にされすぎて、信之は90歳を過ぎてようやく隠居を許される……という事態になったのでした。
いくらなんでも引き延ばしすぎですけどもw
同様に、亡くなる間際まで隠居できなかった武将に、伊達成実公なんかもいらっしゃいます。

さて、そんなわけで。
これはせっかくなのでちょっと訪れていって見ましょう。

先程の看板のすぐ脇から、その菩提寺が見えます。

立派な佇まいのお寺です。
ちょっとお邪魔していきましょう。

天桂寺というらしいです。禅宗のお寺さんですね。
境内の様子。
本殿の左側にももう一つ建物が。床下の骨組みも良い感じ。
豊川稲荷……こっちは神社ですね……。

お寺と神社が同居してますね……。
外国とかじゃこういうの考えられないですよね……。
さすが、宗教人口が総人口を超える国、日本。
でも、日本だとわりと普通に昔からこういうスタイル多かったんですよね。

書院造の様式が色濃く感じられる。
お寺の方はわりと新しい現代建築。見た目は古い建物に合わせてますが。

何気にスロープも設置してあって、バリアフリーにも対応。
これはこれで良いですね。
雰囲気と現代に求められる機能とを両立させてるあたり。

お寺の本殿の右側には石仏が幾つか。台座に真田家の六連銭が彫られています。

でも、これはお墓ではないですね。
境内の案内板によると、ここからもう少し奥に墓所があるようです。
そこへ向かおうとさらに奥方向に足を向けようとすると。

あ、水路だ。この向こう側のお城方向に向かってます。
これが前回見つけた水路のところに繋がっているわけですね。

整備した水路のすぐ脇に城主の菩提寺。
絶妙な配置ですね。
それだけ思い入れもあったんでしょうか。
せっかくなので、墓所にご挨拶していくとしましょう。
お寺の後ろ側に回り込む必要があるみたいです。

というわけで、今日のところはこの辺で。
続きはまた。

よろしければ、この先もお付き合いくださいませ。

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