Intellectual Giftedness - 才能についての科学 #3

ギフテッドはどこにいるのか? - ギフテッドの定義

 ターマンが定義していたように、20世紀初めの古典的な研究では、ギフテッドは高いIQと同義であると考えられていた。今でもそう考えている人も多いかもしれない。しかしながら、スティーブン・J・グールドが「人間の測りまちがい-差別の科学史」で痛烈に批判したように、IQ神話はしばしば人種差別や階級支配に利用されるような、政治の道具といった一面も持ち合わせていた。

 そもそも、単に数理的なパズルがうまく解けることをもって、ある人の頭脳が他の人のそれよりも優れていると結論することも、考えてみれば短絡的である。ターマンは、この落とし穴に嵌ったのだ。

 実は、数々の実験は、IQテストがまるであてにならないことを繰り返し証明してきた。普遍であるはずのIQは、測定に使われるテストの種類によって大きく変動し、驚くべきことに、チョコレートといったちょっとした報酬があるかないかでも大きく変わってしまった。何より、フリン効果と呼ばれる魔訶不思議な現象がある。ジェームズ・フリン教授によると、IQの平均値が、30年で約10も上昇している。とすれば、私たちの祖父母の世代の平均が100であるとして、私たちの世代の平均は130相当であるということだ。人類の頭脳はそれほどまでに劇的に進化しているのだろうか?フリン効果がそのまま当てはまるとすれば、私たちの孫は皆、アインシュタイン並みの頭脳になっているかもしれない。鋭いあなたはもうお気づきだろう。IQは、どこか不自然で、不十分な尺度なのだ。

 現在では、多くの教育に関わる専門家が、IQのような単一の尺度ではギフテッドの選定には不十分であると考えている。ハワード・ガードナーが提唱したように、知能はたった一つのテストで測れるような単純なものではなく、複雑で多面的なものなのだ。

 しかしながら、生まれながらに平均よりも著しく高い能力を持っている子供たちが現実に存在する。そうした能力は、幼少期のみならず、成長したのちにも認められる。このような、先天的に高い学習能力を持ったギフテッドを発見するためには、どういった判別法がふさわしいのだろう。

 ギフテッドの「行動」に注目した考え方に、「三つの輪モデル (Three-ring model)」がある。ギフテッドとは、平均以上の能力と、タスクに対する取り組み、そして創造性の三つの要素が相互に、絶え間なく開発しあって成り立つものだという考え方だ。このモデルは当初多くの研究者に受け入れられたが、問題もあった。例えば、ギフテッドにありがちな気質として、自分自身に対して非常に高い水準の目標を課し、それに達していなければ厳しく自己を批判するといった特性がある。つまり、ギフテッドとしての特徴を強く持つ子供ほど、自分自身の取り組みや、成果のオリジナリティを過小評価し、「自分などとてもギフテッドとは言えない」と卑下してしまうのである。

 また、リーダーシップや人望といった特質を重要視する学者もいる。例えば、ジョン・F・ケネディの高校時代の成績は必ずしも抜群に優秀というものではなかった。しかし、常に数多くの友人に囲まれるような、類まれな人望の持ち主であった。その点をハーバード大学の入試係に見いだされたことで、入学が許可されたという逸話がある。更に言えば、ジョン・F・ケネディのように他人から見いだされるような「チャンス」、そうした環境的な要因もギフテッドの能力の開発に必要だという捉え方もできる。よく言われるように、ジョン・F・ケネディが日本に生まれていたとしたら、恐らくは東大には入れず、政治家としても大成しなかっただろう、ということだ。

 しかしながら、こうした枠組みも「結果」に注目し過ぎており、十分ではない。特に、努力によって高学力を身に着けた優等生の中から、生まれながらに高い学習能力を持ったギフテッドを見つけることには全く役に立たない。

 ポーランドの心理学者であるドンブロフスキは、高知能の子供がしばしば示す、刺激に対する激しい反応や繊細さ、自己批判能力やモラル意識こそが、その子供たちを「普通」と分ける最も特徴的なポイントであると考えた。そして、激しく、深い内的な葛藤こそが、より高い人格へと成長するための潜在力となり、ギフテッドの一風変わった振る舞いの根本となっていることを見出した。

 ― ギフテッドは、高度な知的能力と、強烈な内的体験を持つ。そして、自分自身が「普通」とは質的に異なっていることを自覚している。こうした三つの要素は、互いに関連しあいながら発達していくが、その発達の程度は必ずしも同期しているとは言えない。むしろ、それぞれの要素がアンバランスに発達することによって生じる内的な葛藤、ストレスこそがギフテッドの知能をさらに高める動因となる。

 ドンブロフスキの視点からは、ギフテッドの定義はこのように記述される。本書でも、主にこの考え方に立脚して、ギフテッドを捉えていこう。しかし、あなたには腑に落ちただろうか?これだけでギフテッドの何たるかを理解できたあなたは、ギフテッドそのものかもしれない。そうでない私たちは、ギフテッドとは何ものであるかをもっと掘り下げてみていくことにしよう。


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