Microbiome - 生態系としての人体 2. 微小な世界の発見 #1

― ガリレイが天体へと望遠鏡を向けたのは1610年のことである。それから彼は望遠鏡をひっくり返し、接眼レンズを眼に見えないものに近づけて、対物レンズを覗いてみた。すると、きわめて小さいものが巨大になっていた。同じ器機で二つの無限を推定することが可能で、世界のすべての境界は吹っ飛んでしまったのである ― ピエール・ダルモン

魔術的世界と顕微鏡

 かつて、人々は「魔術」が支配する世界に住んでいた。

 誤解を招きかねないことは承知で、こう書きだしてみよう。

 「魔術」とは、古代から中世まで人々の自然観に強く根を張っていた魔術的思考である。皆様もご存知の、ヴォルデモート卿が肉体の復活を企んでハリー・ポッターから奪った「賢者の石」は、17世紀の大天才アイザック・ニュートンの錬金術における主要な目的でもあった。万有引力などの運動の法則を見出し、科学革命の礎を築いたアイザック・ニュートンは、その天才性と集中力を、鉛を金に変えると信じられていた賢者の石の発見にも同じように注いだ。一時期の精神錯乱状態は、「最後の魔術師」として錬金術に没頭しすぎたことによる水銀中毒と疑われているほどである。

 アイザック・ニュートンは極端な性格で有名であるが、魔術に対する信条は、同時代人から見ればそれほど行き過ぎていた訳ではなかったかもしれない。金の価値の暴落を恐れたイギリス王室が、賢者の石の研究を躍起になって取り締まったように、わずか400年前の我々は、自然界で起こる現象の因果関係を、超自然的な力によって説明し、納得していた。潰瘍や近視を治すためにサファイヤを用いたり、ダイヤモンドによって磁石の作用を打ち消したり、磁石によって妻の不貞を暴こうとしたり、動物の死骸を煮込んだスープからネズミを生み出したり、蛙や鰻を泥から発生させる方法を教えあうということは、超自然的な力を信じていた人々にとっては日常的なことであった。「小麦を含んだスープを含んだ壺の口を汚れた布で包めば、布から発せられる酵素が小麦の香りによって変質し、3週間程度で小麦が鼠に変身するだろう」といった具合だ。残念ながら、石油と情報化の時代に生きる我々にとってはとても理解できないが、これが当時の感性であった。錬金術師のパラケルススに至っては、霊的世界から魂を取り出し、ホムンクルスと呼ばれる人工生命の作成方法を見出したと主張するほどだ。

 そんな魔術に支配されていた世界に、二つの無限をもたらしたのが17世紀の科学革命だ。

 ひとつは望遠鏡を覗くことによって拡張された、無限大の世界である。地球の外側には遠大な宇宙空間が広がっていて、地球は無数の天体の中のひとつに過ぎないという観察は、人間は宇宙の中心に位置していると信じられていた当時の世界観に激震を与えた。その衝撃の度合いは、きっと現代の世で宇宙人の存在が証明されるのと同じくらい強烈だったはずだ。あるいは、天国と地獄の存在が判明し、それぞれの人の行き先が告げられるのと同じくらいに、でも良い。とにかく衝撃的でとんでもないことだった。とりわけ憤怒したのが、カトリック教会であった。聖書の教えが失墜すると危惧した聖職者の怒りは、宇宙の無限性を支持したジョルダーノ・ブルーノを7年間の投獄の後に火炙りにし、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイを監視つきの自宅に軟禁し、その著書「天文対話」を焚書にしても収まらないほどであった。

 そんな慄きが収まらないうちに、人々はもう一方の極の無限に直面することになる。それが、顕微鏡を通して広がる無限小の世界であった。レンズによって拡大された、わたしたちの目から隠されていた極微の次元において、自然はいっそう繊細さと精緻さを持って顕れた。きっとあなたも、何かの図鑑で見たことがあるはずだ。宝石が秩序立ってぎっしりと敷き詰められたようなハエの複眼や、大都市の水路のような葉の葉脈を思い浮かべて欲しい。今度は、教会は寛容であった。初めてマイクロスケールの世界に出会った人々は、その精緻さを神による世界の設計の完璧さの現れと捉えたのだ。

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