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続けていくその先に見える希望の道

 1月11日の登録説明会や15日の採用連絡の後の緊張や疲労も冷めやらぬまま、また一人静かな半月に突入。今までと同じルーティーンを続けつつ、登録説明会で感じ取ったことを多少は反映してアレンジしようと試みる日々だ。

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【1月17日(水)】休日
寿司打、筋トレ、ヨガ、滑舌。喉の痛み。

【1月18日(木)】休日
寿司打、筋トレ、ヨガ、滑舌。喉の痛み。

【1月19日(金)】病院デー
加湿器代わりに無印のアロマディフューザーを設置。
寿司打、筋トレ、滑舌。
夕方、パートナーと心療内科へ。通常の薬の処方や通院頻度の相談に加え、発達検査が三月になりそうで、それを踏まえてカウンセリングを始めたらどうかという話になった。発達検査の空きが出たら連絡がもらえることになった。

【1月20日(土)】休日
寿司打、滑舌。夕方、友人と会う。

【1月21日(日)】休日
一月に入ってからずっと便秘気味だったのにこの日から急に下痢。
入社説明会が十日後に迫ってきたことによる緊張感が原因か。
瞑想、筋トレ、滑舌、ヨガ。姉の誕生日プレゼントを買う。

【1月22日(月)】休日
郵便局でスマートレターを買い、姉へのプレゼント(ドリップ珈琲、チャイ、リップバーム)と手紙を入れてポストに投函。寿司打、滑舌。

【1月23日(火)】病院デー
下痢のため、筋トレやヨガができない。寿司打はなんとかできた。
滑舌練習の内容に飽きてきたので、新たな原稿の作成(好きな小説から抜粋)。
夕方、消化器内科受診。一月に入ってからずっと便秘気味だったのでイリボーを止めてもらおうかと思っていたが、二日前から下痢なのでどうしようか迷っていると伝える。主治医は飲む日と飲まない日を調整してもいいと言うが、下痢が始まったばかりで判断しかねるので、とりあえず継続して、一週間後に再度受診させてもらうことにする。二月から仕事が始まるのでそれで緊張しているのだと思うと伝える。

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 登録説明会で感じたことというのは、一言で言うと拍子抜けである。バイトとはいえ、私にとっては五年ぶりくらいのオフィスワークである。子宮内膜症、IBS、持続性気分障害、さらには坐骨神経痛の一歩手前の状態を抱える私である。履歴書や職務経歴書には、上記の事情から週三回しか働けないことを明記した。休養をしっかり取って体調をコントロールするため、家事との両立、通院日の確保が目的である。繁忙期でも増やせないと伝えた。
 その代わり、自分の能力と努力とやる気をアピールした。一年前からコールセンターで働く準備をしてきたこと、リワークセンターで学んだこと、タッチタイピングもできて滑舌の練習もしていること、恐喝に耐えられるよう勉強していることなど。
 条件や体調について正直に伝えたため、面接に落ちたのではないかという思いもよぎった。だから19日と聞いていた採用連絡が四日も早くきたことによって、安心や有難みだけでなく不安や戸惑いも覚えた。

 面接の時にこちらからもたくさん質問をさせてもらえた。休憩の取り方やロッカーの有無、シフトの決め方、トイレには自由に行っていいのかなど。電話を掛けてくる人の年齢層については、ちょっと意外だった。高齢者が多いと思っていたが、60代が多いそうである。私は高齢者の話がうまく聞き取れないのではないか(特に電話だと聞こえづらい)という不安を抱えていて、どうやって練習しようかと悩んでいたのだが、それは杞憂だったことになる。
 その後、また色々と疑問が湧いてきたので、面接の四日後に会社に電話して聞いた。昼食をとる場所はあるか、席は固定か、研修には書籍の購入が必要か、研修資料は家に持って帰って復習できるのか、など。さらに、三月後半の予定をはっきり聞いていなかったように思っていて、旅行でもしようかと考えていて、念のため確認したところ、端末の台数に限りがあるので毎日ではないが端末を使った研修があるとのことだった。
 二月と三月はみっちり研修、実際に働くのは四月から、とわかったことで、焦りはなくなった。一月中に「家以外の場所に通う」練習をしておかねばと意気込んでいたものの、研修で十分「通う」練習ができるので、自分にハッパをかける必要がなくなった。面接で「タッチタイピングができるのは素晴らしいですが、うちはそこまでのスキルは必要ないです」と言われたことから、そんなに無理して一日二時間も練習しなくてもいいのではと思えてきた。

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 とはいえ、リワークセンターをクリスマスに辞めてから、タイピング練習と滑舌練習と筋トレとヨガで生活リズムを作ってきたのは事実であり、無理に変える必要もない。同じことを繰り返すのは精神の安定にもつながる。ほどほどに、今までのルーティーンを、強迫観念からではなく、心身の安定のために続けていこうと、思った次第である。
 滑舌の練習は、色々なものを原稿にしているが、恐喝の言葉や仁義なき戦いの名セリフなどは腹から声を出すとストレス発散になるし、好きな小説は文章を味わいながら、登場人物を想像しながら演技するのが楽しい。実用書はただ読むより声を出した方が頭に入る。マスクをつけてみたり、アロマディフューザーをつけてみたり、のど飴を舐めながら喋ってみたり、喉のケアについて試行錯誤する時間もたっぷりある。毎日顔の筋肉を動かして大きな声を出していると顔も太らないだろうし、だんだん自分の声が安定してきて、自分の声が好きになってくる

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 私は社会人になってからずっと、自分の声や話し方に自信が持てなかった。初めて就いた仕事で、顧客から「声が暗い」「ちゃんと自分の話が伝わったのか」とクレームを受けたことを上司から聞かされた。三番目の職場では、先輩に「話し方が冷たすぎる」「もっと演技して」と日々言われた。
 六番目の仕事では、声が小さすぎて先輩や顧客から聞き返されることが多かった。自分の声にも話す内容にも自信が持てなくて、ちゃんと喋らなきゃと思えば思うほど、もそもそとしか声が出なかった
 友人知人がどれだけ「温かい」「優しい」声だと褒めてくれても、「丁寧」な話し方だと励ましてくれても、職場での反応が私の実力の全てだった。本当は凛とした声ではきはきと話したかった。聞き返されない日が一日くらい欲しかった。

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 それが訓練で改善できるとしたらどうだろうか。最初は北原白秋五十音、次は外郎売。最初は六分も喋り続けるなんて無理だと思っていたのに、今ではこれをやらないと一日が始まらない。
 お詫びの言葉、恐喝の言葉、カスタマーハラスメント対応文例集。
 小川洋子の作品に出てくる、日々を丁寧に慎ましく生きている人たち。村上春樹や梨木香歩の描く、両親との相克に苦しみながらも乗り越えようとする人たち。原田マハが見せてくれる、アートに没入する人たちの世界。『みどりのゆび』や『モモ』など、フランスやドイツの美しい文学。
 
 いつの間にか私は、声を出すことに夢中になっていた。相手もいない、映像もない、小道具も舞台演出もない。そこには私の声しかないのだ。最初は自分の貧相な声でしか上記の世界を表現できないのが悔しく、もどかしかった。それでもいつかはましな声が出せると信じて毎日続けた。時間を計ってエクセルに記録した。だんだん、ヤクザになりきれるようになってきた。心から詫びたり、毅然とした態度を取ったりできるようになってきた。だんだん、地の文とそれぞれの登場人物との声や話し方を切り替えられるようになってきた。だんだん、自分の思い描く世界を、自分の声で表現できるようになってきた。少しずつ、自分の声が豊かになってきた。自分の声が好きになってきた。これから先、どんな道が続いているのだろう。


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