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【ショートエッセイ】フィクションと事実の「はざま」でつくるネタづくり「関西芸人冬の時代」

 松本人志関連で、話題になってる話がある。「人志松本のすべらない話」というトークバラエティ番組で放映されたある「お話」だ。「冷凍鶏肉 すべらない話」というワードでYoutubeでいくつか拡散されている。

 千原ジュニアが話した木村祐一を主人公にしたネタだ。千原は話し出す前に「これはもう時効だと思うんですけど」と一応エクスキューズをいれており、まったく無神経に話しているわけでもない。だけど、いつの話かもはっきりしないから、時効もくそもないのだがw

 詳しくはリンクをクリックして動画を見ていただきたいが、要するに、その話では女性に対する暴力が描かれており、「夜中に女性が男の部屋に来たら、当然セックスできるって思うやん。ことわるなんてありえへんよね」という女性蔑視的な勘違いが入り混じっている。そして男の部屋から出ていく女性に対して、木村祐一が冷凍された鶏肉を投げつけ、エレベーターまで追いかけるという話だ。その女性の慌てぶりをただの滑稽なものとして話している。

 そしてその話を聞いていた芸人(女性も含む)がみんなへらへらと笑っていて、座の中心にいた松本も笑っているのが、大きな問題だとされている。

 千原のこの話が放映されたのは、2010年ころらしい。そのころ、コラムニストの小田嶋隆は、「千原の話は少しも面白くないし、こんな話をゴールデンで垂れ流す神経が分からない」というような批判をしていた。

 芸人にくっついてくる、いわゆる「グルーピー」(古いかなw)みたいな女性とのやりとりをネタにしたのは、「オールナイトニッポン」のビートたけしがはじめてではないか。たぶん、多くの芸人が影響を受けている。でも、たけしは、女性とエッチしたことは匂わせたけど、ものを投げたなんて暴力めいたことは言わなかったと思う。

 そこが千原ジュニアとの決定的な差ではないだろうか。

 芸人なんかを目指す子は、自分が作った話を友達に聞かせて、げらげらと笑わせた「成功体験」がある。笑わせるためには、フィクションと事実の「はざま」でつくらなくてはならない。

 実際に起きたと思わせる出来事をフィクションで盛り、ネタとして提供するのだ。わたしは20歳まで関西で過ごしたが、こういうトークネタを持ってる奴は、重宝され、ちょっとしたスターだった。

 仲間内で話す「ネタ」にはたまに、ちょっとエッチな内容や暴力的な話も含まれていた。男子どうしだと、そうした部分に刺激されて聞き入り、最後は「最低やなあ」といいながらげらげらと笑っていた。もちろん、高校生あたりが入れるエッチや暴力ネタなんて大したことないのだが。

 別にその話がすべて本当のことなのか、なんて誰も確かめたりしない。たまに「それはほんとなのか」と聞かれたら、話してる本人が「いや、知らんけど」といって、また笑いを誘うのが定石だった。

 関西芸人の多くは、こういう空気の中で芸人への夢をはぐくんできたと思う。

 しかし千原ジュニアの「冷凍鶏肉」のネタは、仲間内限定で話すネタだ。テレビで話すネタではない。

 もし今「殴ったり蹴ったりしたわけやないやろ、ただ冷凍肉投げただけやんけ」と彼が思っていたら、もうテレビタレントとしては通用しないかもしれない。落語の才能も認められている彼がそれほど愚かな人とは思えないが。

 浜ちゃんが黒塗りメイクしたのが問題になったり、石橋貴明の保毛尾田ネタが炎上したり、と2017年、2018年あたりから、笑いのネタに対する解釈が変わってきている。たまたま一部の神経質な人が、騒いでるのではない。明らかに架空のキャラクターを演じていても、もう、許されないのだ。

 「夜中に女性が男の部屋に来たら、当然セックスできるって思うやん。ことわるなんてありえへんよね」という言い分は、仲間内なら大いにうなずいてしまう、かもしれないw 少なくとも仲間から「おいおいそれは女性蔑視発言だぞ」という声は出てこないだろう。

 しかし、そういう「仲間内モード」で芸人がテレビ等で過激な発言をし、人気ものになっていく時代は終わったのもしれない。

 「仲間内モード」から離れ、暴力・差別などを肯定していると判断されるネタはやらない、という世界でも生き残れる芸人は、何人いるのだろう。もしかしたら、しばらくは「関西芸人冬の時代」が続くのだろうか。

(おわり)敬称略


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