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息子の版画

こんばんは。

本日、月曜日は朝から夕方まで仕事をしていましたが、帰って晩酌をしながら書いています。

今朝、1階に借りている部屋に(現在、自分は古い木造2階建てアパートの、1階と2階の1部屋ずつを借りていて、主に、自分の母親と息子が1階の部屋、妻と僕が2階の部屋で暮らしていて、必要に応じて、1階と2階を行き来する、そんな、ちょっと変わった生活をしている)。出勤前の朝飯を食べに下りると、小学校4年生の息子が、学校で作ったであろう、この画像の版画が、見えにくいところに置いてあったのを見付けた。

いつ、持って帰ったのか。

なかなか上手に出来ている様だし、一生懸命描いて彫ったのだという事が分かって、嬉しかったし誇らしかった。

ありがとう、朝から感動したよ。

俺の宝物がひとつ増えた。今度、額縁を買いに行って飾っておこう。

集中して線を描いたり彫ったという所を褒めてあげたい。

でも、僕はここで自分の息子のこの作品が上手で素晴らしいという事を言いたいのではなく、上手下手で言えば、上には上がいるし、絵に上手下手はあまり関係ないと思っている。

何が言いたいのかというと、僕は元々自分の息子以外でも、子供が好きなような気がする。

子供の純粋だなと思う、そんな漠然とした感覚だけど、そんなところが好きなのだ。

と言っても、学校の先生でもないし子供と接触してお給料を頂いたり、ボランティア、そういう生活をしてはいない。

でも、革新的に思っている事があって、殆どの子供が、この一生懸命さや、努力を出来る気持ちがあるんだと思っている。

何故好きなのかというと、それが垣間見える時が子供には多くある様な気がして、それが凄く好きなんだと思う。

それは、スポーツ、絵、音楽、食べる事、読む事、それ以外にも、勉強や、計算、挨拶、ゲーム、遊び、はたまた、それ以外でも。

そして、その一人一人の子が、大人や他人(ヒト)が言う、上手でなくても、例えば、野球が苦手な子が、投げられたボールを一生懸命見て、打とうとするその思いや、動作が凄く好きなんだと思う。

殆どの子供は、その心や、動作を出来る気持ちがあると思うし、薄いなら薄い状態を大人は優しく見守ってあげる時間を作ってあげないといけない。

児童虐待のニュースが多い昨今、僕の別れた2人目嫁さんも、幼い頃に実母に、とても酷い虐待を受けた過去があったようで精神を病んでいた。その辺の事についてはタイミングがあれば、また、その時に書く事にしよう。

お酒もすすんできて、文章も纏まらず、眠気がやってきたので、今日はこの辺でパソコンを閉じよう。。。

お疲れさまでした。

おやすみなさい



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