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大人ってヤツは。

今日のBGM

いやぁ。
書くのってやっぱり、面白い。

最近、noteを書くようになって、
その気持ちがより強くなりました。




まぁ。
とは言え。






何気なくデザインの勉強もしてしまう自分もいて、
結局何がしたいねん!!!

という気持ちでいっぱいの今日この頃です。





身の上話はこの辺で。

こうやってせっかく朝に書くので、
なんか色々ね。
これから書いていきたいと思います。



今日のテーマ

「大人とは、裏切られた青年の姿である」



という言葉をね、ちょっとだけ掘り下げたい。
いきなりで申し訳ない。いつものことなので諦めてほしい。









我らが大先輩(こんなこと書いていいかは知らない)の、
太宰治氏の言葉である。





そう。
大人ってやつは、
いろんなものに裏切られた末にたどり着く、
人間の終末最終形態を指す。



僕はもう、
この言葉がすごい好きっていうか、
なんかもう全部好きだ。







だからぶっちゃけると、
ハッピーエンドの映画とか物語が、
あんまり好きじゃない。


そういう物語を見ると、
心穏やかに見る時と、
「てやんでぃ!このご都合主義野郎が!」
というやさぐれた感じで捉える時と、
大体どっちかになる。

主にその瞬間のメンタルによって。



で。
そんな僕なのだが、
どうしてもね。
あるシリーズが嫌いだったんだよね。























それは。






















みんな大好き、
XxXニー。
(敵を作りたくないのでご想像にお任せします)










あれってもうね。
なんか色々困難はあるけども、
大体ハッピーエンドやん。



大体救われるやん。報われるわけじゃん。








そういうものを信じて育った子どもたちが、
社会に出て「あっ……現実はアレと違うんや」ってなるのがね。

どうにも好きになれなくて。



めっちゃくちゃ
害悪な文化ではなかろうか、と思っていた。
数年前までは。










大事なことなので繰り返します。
数年前までは、でございます。













今は違うのよね。

なんでかっていうと、

まずキラキラした世界を子どもの頃に知るってことは、
めちゃくちゃ大事なことだと思うの。

そういうものに夢を抱かないで育つことは、
今は割と当たり前なのかもしれないけれど、

できれば僕は、
そうあるべきなんじゃないかと思う。











そんで。
社会に出たり、学生生活のどこかで、現実を知るのさ。










「なんだよ!話がちげーじゃねーかよ!!!」って。













僕は、このプロセスを経て大人になることが
今とても大切なんじゃないかと考えている。






じゃないとさ。

なんかよくわからんけど
社会って簡単じゃないんでしょ?
大人って汚いんでしょ?

みたいな思いで生きていくことになる。
そして、
そういう前提で、ものを考えながら育つことになる。



これがね。
なんか面白くないんじゃないかな、って思うのよ。









確かにそう。
大人ってやつはたいがい汚い。


だけど、
カリッカリに焼いた鮭の皮みたいにさ、
見た目は悪いかも知んないけど、
実は「思ったより悪くないな」って部分があるのよ。


それを味わえる大人になれるのは、
夢を持ってて、
だけど「そうじゃないんだな」って実感したヤツだけだと思ってる。






端から期待してないヤツは、
焦げた鮭の皮なんて、
ポイとゴミ箱に捨てるのだ。





だから僕は、
ディXXーのことを見直したというわけだ。





あのシリーズを「人生の必要悪」だ、と見るような人間は
そんなに多くはないと思うけど。


僕はそんなふうに思う。

えぇ。



あんまり書くと止まらないので、
今日はこの辺にて。



よしなに。
TACK

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