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BLを読む

消耗性うつ状態は続いていて何をやるにも億劫なので、エロスとバイオレンスの力を借りようとBLを読んでいた。「愛する価値もない」という作品で、昨日も書いた物だ。野暮な事を言う人はいないと思うのだけれど、念の為お断りを入れておくが、創作物の成人指定に法的拘束力は無い。悪しからず。

恋愛モノは、ドラマにしても、映画にしても、小説にしても、音楽にしても、どうにも苦手で唯一、詩だけは好きだった。けれども最近は少しずつ克服してきて、こういう物にも触れるようになれてきた。

どうして苦手だったのかだが、多分、あまりにものめりこんで共感してしまうので、そういう自分が感傷的で弱い感じがして、恥ずかしかったのかもしれない。これは今日読み終えて気づいた事だ。

物語の内容は書かないが、少しだけ説明する。主人公は「千春」という、声優志望の夢追い人と、「昌平」という実家暮らしの大学生の2人だ。基本的に登場人物はこの2人だけで、他は殆ど出てこない。見せられるのは、終始2人だけの世界だ。成人指定なので性行為などの描写もあるが、裸体の描き方が凄く印象的で、どちらかと言えばそっちの方に見入ってしまった。

一応作者の方のコメントだと「夢見がちメサコン大学生×依存体質無職のCP」と書いてあるのだが、「実家暮らし哲学拗らせ私大生×アルコール由来ふわふわメンヘラ無職お兄さん」とも書いてあるので、大学生(昌平)の方は、哲学専攻か何かかもしれない。愛読書に「八本脚の蝶」と書いてあったし。

若者の恋愛なんて支配性を帯びた物でしかない事は、わざわざ書くことでも無いので書かないが、物語全体として描かれているのは、結局のところ「政治」からの逃走のお話だ。

人間には二つの生き方があって、ひとつが「政治」で、ひとつが「愛」だ。ここで「政治」というのは「老後は働けなくなるから就職して貯金を貯めておく」というような人間の活動のことだ。つまり、未来のために現在を決める生き方だ。そういうこともいくらかは必要なのだが、現代は政治過剰の時代だと思う。

たとえば、千春と昌平のような恋人たちは、後先のことを考えないので愛の世界に生きているが、ふとした瞬間、或いは5年か10年後には先のことを考えざるをえなくなって、政治が入り込んでくる。「うっとりとした2人だけの恋愛生活」が、いつの間にか「悪夢の共同生活」に変貌してしまうことになる。

なぜ政治は悪夢を生むのか。それは「死んでいる」からだ。未来のために計画する。その計画は、頭の中に描かれた地図であって、現場そのものではない。政治に夢中になると、人は現場で生きることをやめて、地図の中で生きはじめる。地図は死んでいる。死んでいる地図が生きている人間を支配する。地図に支配された人間が、現場で生きている人間を支配しようとするのだから、現場で生きている人間たちは不自由になって苦しむことになる。

モラルや道徳倫理と呼ばれている物も「これをするとこうなるからやめなさい」という「未来」の為の話なので、政治の一つだ。現場を見ずに地図を見て喋る事は、時に現場で生きている人々の居場所を奪うことになる。自己の否定からODや自傷行為、覚醒剤なども含めて「現場」で生きるための行いであって、そういう時に地図の話を持ち出されても、窮屈になる。

思考(脳)はいつも保守的で、未来が安全であるように工夫する。情熱(心)はいつも無鉄砲で、瞬間の欲求の充足を求める。良識的な人は、思考でもって情熱を制御せよと言う。それもいい考えで、否定はしないのだけれど、じゃあ、その生き方が、死ぬときに後悔しない生き方か、現場で実行できる生き方か、つまり本当の幸福を約束する生き方かというと、そうでもないかもしれないと思う。

思考による情熱の制御を説く殆どの人々は、「しかし、情熱に任せたのでは、社会秩序が乱れる」と言うだろう。それはたしかにそうだ。それはそれとして、それが人間の幸福な生き方(あるいは死に方)を保証するものでないことは、認めるべきだと思う。政治も道徳も「安全に長生きすること」は保証できても、「幸福に生きる(死ぬ)こと」は保証できない。

しかして、一切の計画を捨てて生きるのは難しい。みんなが将来に不安を添えず、心から「なるようになるさ」と思って生きることはできないから。だから、最低限の政治は必要なんだと思うが、このごろ社会情勢から人間関係まで、政治的な判断ばかりになってしまっている気がする。なのでときどき、こういうものを読み「愛(情熱、現場)」による生き方を思い出して、深呼吸するのがいい。

色々と書いたが、私も実際は「永遠に愛に生きていたいなぁ~」と時々思うことがある。昔はその方法は情死ぐらいしか無いと思っていたのだが、最近は、近所に住んでいる老夫婦なんかを見ていると、案外可能なのではないかと考える。社会との折り合いには工夫が必要だけどね。

いずれにしても、隔絶された二者関係の中での愛は、それが健全な物かどうか置いておいて、美しいと感じてしまう。それに、私の場合だと、決して起こりえない他人事ではないんですよね。自分で買って自分で読んだBLはこれが始めてだし、まだ咀嚼しきれていない部分もあるので、また何度か読み返したいと思う。

もっと登場人物の内面のようなものを掘り下げたかったのだけれど、そうなるとどうしてもネタバレ必須なので、こういう感じになってしまった。どうしてこんな話をしているかは、読めばよく分かると思います。

素晴らしき裏表紙

同人誌で思い出したのだけれど、野田先生の娘さんは、まだ書いているのかな。そもそもジャンルや媒体どころか、二次創作なのか何なのかすら分からないのだけれど。何かの拍子で作品に出会えたら、間違いなく運命だね。


余談だが、私が投影してしまうのはどちらかと言えば昌平の方だ。あそこまで愚直ではないのだが。読むときはご参考までに。