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生きててよかった

母はアルコールを入れて、深夜から明け方までマッチングアプリで男と話している。閉経も近づいて更年期も始まる頃だから、ホルモンバランスが乱れているのかもしれない。なんだろうな。なんというか、ただ疲れた。

2023/07/09

私の人生に一番影響を与えた人物は誰かと聞かれたら、間違いなく母だろう。憧れの人でも、友達でも、身内でもなく。

母が他の人と何かが違うと気づいたのは、小学校低学年の頃。祖母の家に、母と2人で暮らしていて、夜中によく知らない男が来ていた。ある時、腹痛で目が覚めて布団の中で泣いていると、気に障ったのか、その男が吸っていたタバコを押し当てようとしてきて、 …いいか、過去のことなんてどうでも。

母が男をとっかえひっかえするのが落ち着いて、今の不倫相手だけになった頃、この世に精神疾患なるものが存在すると知った。きっかけは、祖母の葬儀の時の、親族から母への視線というか扱いというか、多分そんなものだと思う。母が落ち着かないのはこれが理由なんじゃないかと思って、母のスマホで調べたが、よく分からなかった。当時7、8歳だった。

ある程度大きくなって、学校にも通わなくなり、自分で調べられる環境が出来た頃、色々と読み込んで、一通りの知識は得たが、結局それでどうすればいいのか分からなかった。どうやら、ああなったのには原因があるらしい、それは分かる。嫌という程あの人からも聞かされてきた。けれども「じゃあ『私は』どうすれば?」という質問に答えてくれる物は、何一つとして無かった。原因だけわかって、どうしようもないということが分かって、それなりに納得もし、それなりに絶望もした。

親のセックスの話だとか、私を産む前に3人堕ろしただとか、親族の愚痴だとか、少ししか知らない人達への被害妄想だとか、そんなの聞きたくないよ。家賃等の必要な物を払った後、月の収入の三分の一は、酒とタバコに消えていく。本や参考書が欲しい。


基本的に「死にたい」と思うことは無い。けれど、極々まれに、「生きてる事の方が死ぬより辛いかもしれないな」と思うことがある。そう思っても、普段なら次の日辺りにはケロッとしているのだが、最近、はじめて自分の中の針が生から死に振り切って、一週間ほど鬱々としていた。

一気に来たというよりも、一言で言えば、疲れた。「母に」疲れた。お金の管理はしないし、懐に余裕も無いので嗜好品の制限をしようとすると、私が悪者扱いされる。

アルコールが入ると、お小言か、武勇伝か、愚痴ぐらいしか話さないのだが、自分の思った通りの返答が返って来ないと、いつの間にやら私が悪い事になっている。「そういう態度を取られると辛いので改めるか、でなければお酒を今より控えて欲しい」と言うと、「私の方が辛いよ」と言われて終わる。こんな生活が17年。飛びたい。暴力を振るう程の悪酒でもないんだけどね。

昨日お酒を飲んだ時は、ずっと寂しい寂しいと言っていて、出会い系サイトの使い方を教えろと言ってきた。そんな事を言われても使ったことが無いので分かりませんよ。通話アプリで相手を探していたようだが「繋がらない」「通話が終了しましたってどういうこと?」「意味わかんない」などとLINEが来て、我が母ながら虚しくなった。

酒で失敗して、次の日、私の顔を見て少し罪悪感を感じているような、申し訳なさそうな顔をしながら「私ってワガママ?」と聞いてくる。これは選択肢があってないようなもので、ワガママだと言えば落ち込み酒を求め、ワガママじゃないと言えば私に本心を言わせていないので、母の勝利だ。いい加減、そういった神経症的策動は辞めてもらえないだろうか。

私が甘すぎるのかな。お酒やタバコをねだられて、最初はダメだと言うのだが、結局許してしまいがちだ。拒否すると、次に私が「いいよ」と言うまでずっと不機嫌でいて「お前のせいだ」と言われている気分になる。家庭内での親と子の立場が逆転している。自分が子どもだった事を忘れてしまったのは一体いつからだろう。世間ではこういう事もヤングケアラーと呼ぶのだろうか。最近、ある人が「ヤングケアラーなんかじゃなくて、もっと別のこと支援してほしいよね」と言っていて、柄にもなく傷ついていた。

野田先生からアドラーに入ったので「課題の分離」という物に、極端に苦手意識がある。常に「共通の課題に出来ないか」が先に来て、無理そうでもずっと探し続けてしまい、課題の分離まで考えが及ばなくなる事が多い。相手が相手なので、結末から学んでもらう事もできない。いや、そんなんじゃないな。親子の関係は、どうやっても理屈や理性の及ばない場面が出てくる。

母の苦労も過去も、全て知っているのは私ぐらいだ。だから、できるだけ楽をさせて、望んでいる事はその通りにさせてあげたいと思う。けれど最近、「煙草2箱で本一冊分か」というような事を考えてしまって、「ずっと我慢しているのは自分だけなんじゃないか」などと傲慢な事を思ってしまって、でも母の態度を見ているとそうとしか思えない事があって、「こんなところから逃げ出して、何処か遠くへ行きたいな~」と、漠然と思っていた。ボソッとこの事を呟いたら「私の方がどっか行きてえよ」と言われた。はぁ…


人によっては薄々お気づきかも知れないが、本当なら我が家は、児童相談所に引っ掛かるような家庭だ。実際、何度か家に来た事もある。あまり多く書くと色々と差し障りがありそうなので、詳しいことは控えるが、母にとっては、私が初めて成人まで面倒を見ることになった子どもなんだ。

昔は家出も考えたのだけれど、未成年で家出しようと、足も無いしどうせすぐ戻されるだろうなと思い、やらなかった。やればよかったかな~、でも、居候させてくれるような行く当てもないしね。


と、ここまで書いたのが今月の14日。


先日、いつも私のnoteを読んでくれているという、とある方から私信を頂いた。

彼の事は、今年の初めごろからずっと知っていて、彼の書く文章が好きで、彼のひととなりが好きで、私と似ているところが好きで、仲良くなりたいなとずっと思っていた。4月ごろに一度こちらから話しかけて、その後ちょっと間をおいて、先月の今頃に改めて挨拶を交わして、会話してからまだ一月しか経っていないのに、今や一蓮托生の仲に近い。

その彼から送られてきた私信を読んで、一文字一文字、丹念に目を通して、泣いてしまった。鬱々としていた物が、全て吹き飛んでしまった。あんな物を頂いたら、もう後ろなんて振り向ける訳ないじゃないですか。一生涯の宝物を頂いた。本当にそんな気分だった。

以前「私の人生には、ずっと自死の問題が付き纏っている」と何処かに書いた覚えがある。それは私が自死遺族でもあるからだし、身近な人の自殺という物が、残された人にどれだけ影響を与えるのか、親を観て、そして私を観て知っているからだし、何よりも、自殺なんてしてほしくないんだ。単純に。

だから死を望んでいる人を見ると常に両義的な思いで、相手の選択を尊重したい一方、深い深い悲しみがある。「死なないで」と、どうしても言いたくなってしまう。家族の二重写しなのかな。兎に角「その決断をするに至ったまでの過程」を勝手に想像して、それが走馬灯のように自分の中に流れ込んできて… 妄想的確信かもね。

きっと、まともな精神分析家が見れば、「過去の家族間での経験を相手に投影して、救済者願望に陥っている若人」とでも言われると思う。でも私信をくれた相手への思いは、なんというか「死なないで」じゃないんだ。「貴方を失いたくない」なんだ。あれ、私ってこんな事を書くようなタイプだったけ。死の方へと人生の針が振り切ったり、そこから一週間足らずで救われたりで、少々頭がおかしくなっているのかもしれない。いいや、それならそれで。


「人生で一番嬉しかった事は?」と聞かれると「相対的に見て」なら色々と答えられると思う。それは「マイナスだった時期から比べると」という話で、-10が0になったようなものだった。今回は違う。マイナスから、いきなり1000までぶっちぎりに上げてくれて、その後もどんどん記録が更新されている。「有頂天にのぼる」というのはこんな感じなのかな。

「生きててよかった」と噛みしめるというか、反芻する事は今まで一度もなかったのだけれど、人生で初めて「生きててよかった」と思っている。本当に、生きててよかった。


とりあえず、14日まで「はじめて死に振り切った」というタイトルだったこの記事を、こんな事にしてしまった彼には、「生きててよかった」と思ってもらえるまで、傍に居たいなと思う。もちろん、その後も。「いいよ」と言ってくれるだろうか。言ってくれるといいな。とにかく、彼には感謝を伝えたい。どうもありがとう。