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【登山記】日蓮聖人が眠る仏の里~桜満開の身延山中を行く その2

身延山久遠寺奥の院への東回りコースへ

 日蓮宗総本山、身延山久遠寺。桜の名所としても有名だ。ここにはロープウェイや長い登山道を経てたどり着けるの奥の院が存在する。
 今回は、その奥の院へ向かう登山道を行く。
 前回の記事はこちら。

 道は整備されており、普通のシューズでも十分登ることができる。一部木の根などが露出しているので、登山靴であったほうが無難であるとはいえるが、雨の翌日でもなければ、滑って難儀するということはないだろう。
 しかし、2時間半以上の行程、それなりにきついところもあった。
 総括すれば、登りやすく時折眺めの良い場所があり、途中にある宿坊がよい息抜きとなる、万人向きのおすすめコースだ。
 神聖な信仰の山の懐にいるのだという高揚感も随所で感じることができよう。
 コースの全容、そしてロープウエイについては下記リンクを参照。

十如坊と瘡守稲荷大明神

写真上部中央に見えるのが目指す思親閣

 登山道はしばらく上の写真のようなところが続いていく。舗装された道が多く、時折郵便車などとすれ違った。
 途中にいくつか坊と呼ばれる寺がある。そこを小目的地として歩いていくと苦が少ない。
 最初のは、十如坊(鬼子母神堂)と呼ばれるところで、登山道から少し脇に逸れた場所にあった。

十如坊は登山道から少し脇に逸れたところにある民家のようなところだった

 鬼子母神にお参りを済ませ、次の丈六堂へ向かう。
 桜の咲くころの気候にしては暑いのだが、ここは標高約1000mであり、古木が木陰を作っている。山間の涼やかな道をゆっくり登っていくので、気持ちよい。ところどころに白い花が咲いていた。時期によっては、山の花も楽しめるだろうと思った。
 丈六堂の少し手前に、こぶのついた大きなイチョウの大木があり、奥に桜が見えた。その傍らには稲荷神社あった。仏教寺院の中にひっそりと稲荷神社があるというのも、神仏混交の古い山ゆえなのだろうか。
 この稲荷は、疱瘡から身を守るご利益があるものらしい。こちらにも手を合わせた。

疱守稲荷大明神とある かつて天然痘が大流行した際に勧請されたのだろう

身の丈、一丈六尺の仏を祀る丈六堂

 丈六堂に着いた。
 一丈六尺はM単位に直すと、約4.8メートルになる。このお堂内には、巨大な釈尊像が祀られている。
 お参りしながら堂内を覗き見ると、金色の巨大な仏像と目が合った。

高さ一丈六尺の釈尊がいらっしゃる

 お堂は質素だが堅実なつくりのように見える。
 丈六堂を離れた。
 その近くに住職の住むところだろうか、住居兼茶屋のようなところがあり、道沿いにお茶と干菓子が置いてあった。干菓子はタッパに入っており、「ご自由にどうぞ」「参拝お疲れ様です」とある。
 こういう心遣いはとてもうれしい。長い間、この信仰の山を訪れる参拝者を温かく出迎えてきた、その雰囲気が今も続いている。
 そうした信仰と人間本来の善性が感じられ、そういう意味でも気持ちがよいと思った。

大光坊へ 日蓮上人自作の大黒天に見守られ一服

 大光坊が見えてきた。看板には、登り60分 下り30分とある。単純計算でここは頂上までの3分の1ということ。
 一息つきたいところだ。

登り60分 下り30分とある まだ行程は1/3ほどだ

 大光坊の境内地は思いのほか広かった。
 休憩できる簡易なテーブルや椅子が用意されており、かなりの人数が収容できる。団体客などもここでゆっくり弁当を使わせていただくのだろう。
 私たちもここで、軽食やトイレなどの用事を済ました。

 境内を見て回ると、日蓮上人ご自作と伝わる大黒天を祀る大黒堂や太陽・月・金星の三光天子をまつる三光堂、金色の釈尊、相輪塔などが並んでいる。
 三光天子は、インド発祥の信仰で、法華経の守護神のようだ。明けの明星たる金星が信仰の対象になっている。仏教においては、昔から特別視されている天体だ。
 ゆっくり休息をとった後、次の坊を目的地として向かった。ここからは60分。少し気合を入れて、一歩を踏み出した。
 道は、少し登山道っぽくなってきた。

日蓮上人が手ずから作った大黒天が納められている
太陽・月・金星の三つの光を三光天子として奉る三光堂

法明坊へ 不思議な井戸がある場所

 この身延山自体を、坐した上人(聖人)の姿に見立て、奥の院を目指す参拝者は、その膝元から、胸元、頭と登っていくという考え方があるらしい。

身延山は、宗祖日蓮聖人の御神が永遠にすまわれるところであるから、山そのものが聖人のお姿であるとも考えられます。
したがって昔から山内の諸堂宇は皆そろぞれの位置に意味があるとみられてきた。
すなわち聖人の御頭は奥之院思親閣、御眼の場所には三光堂(大光坊)があって三光天子を祭り眼光になぞらえ、ちょうど御胸のあたりに丈六の釈迦牟尼仏があって、聖人が釈尊の御心を奉帯していることを表し、一切教蔵(焼失して今はない)と鬼子母神堂とで両手に経巻と笏を持っていることを表します。
そして祖師堂その他の諸堂のある山復の平地は聖人の御膝の上。
山全体に茂っている杉松の常磐木は聖人の墨染めの御衣。
季節になるとみごとに色づく紅葉樹は御袈裟ともみられます。

『身延山久遠寺史研究より』

 大光坊はどうやら目に当たるようだ。奥の院が頭なら、次の法名坊までの距離と勘定が合わない気もするのだが、まあそれもよし。
 大光坊を出た後の道は、舗装路がなくなり、また勾配もきつくなった。
 それでも、途中途中の〇丁目の石柱を頼りに、あと少し、あと少し、と言い聞かせ登る。太い杉の古木の中を、一足一足踏みしめるように登っていくと、途中にぱっと開けたところがあった。
 北東に開けたそこからは、思わず富士川沿いの山越しの富士を見ることもできた。富士山はすぐ近くのはずなのだが、手前に毛無山などが聳えているため、少し除く程度。でも富士山が見えるのは、やはりうれしかった。

眺めの良い場所だった 将来的には展望所になるのだろう
大光坊に比べると簡素な坊
写真右手には、少し開けた場所がありレジャーシートを広げている人もいた

 やっと法明坊についた。表示には、奥の院まで後30分とある。まだ意外とあるものだと正直に思った。同行者に「意外ときついですね」と漏らす。無言で首肯した。もう一人の同行者は、少し遅れて登ってきている。ここでしばらく待つことにした。
 閑かな山間で深呼吸をした。

日蓮上人の喉の渇き癒すため弟子が、この井戸を見つけ給仕した伝説がある日朗上人井戸

続きはこちら。

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