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台湾でおばあさんから貰ったネズミが噛んだトマトを食べた話 台湾雑記②

大学3年の終わりが近づき、大学生活に慣れと飽きを感じていた。中国語でのレポート発表は今でも緊張する。初めてのプレゼンの時は心臓の鼓動音が、和太鼓の演奏並にやかましかった。話す内容が頭から飛び、原稿を飛ばしまくった。ディベートでは伝えたいことは準備してきているから言えるものの、相手の内容を聞き取り、意見を述べるのには未だに苦労する。

大学の先生は僕が留学生だからと、はじめのうちはテストをレポート提出に変更するなど何らかの措置を取ってくれた。ほっとする反面、今の状況に甘んじてはいけないと、毎日論文を読んでノートにまとめる等勉学に勤しんだ。しかし、そんな努力ははじめの1年だけで長くは続かなかった。頑張っても75点、疲れて少し手を抜いても75点。継続すれば、いつか良くなるとわかってはいたものの、次第に勉強に身が入らなくなっていった。

久しぶりに同じ大学の日本人の友人に会った時、彼の中国語を聞いて驚いた。入学時より特段に上達している。台湾人と冗談交じりに雑談を交わす彼を羨んだ。

怠惰はいつも僕の周りをうろうろし、まとわりつこうとする。辛いとき僕は抗うことなく彼に身と心を委ねる。それでもそこそこの点数が取れていたから、僕はどんどん堕落していった。以前は試験の3週間前から準備を始めていたが、次第に1週間、3日、一夜漬け、朝漬けと、何しに大学に行ったのか自問自答することもなく、自分の体たらくを棚に上げ、目標のない退屈な日々をただただ悲観していた。

1年生の時に親しかった台湾人は、今では教室前ですれ違っても挨拶する程度。あれだけ鬱陶しかった”留学生ちやほやフィーバー”はとうに終わり、彼らの眼差しは僕ではなく未来へ向かっていた。留学の準備やインターン、学生会の幹事など、それぞれが将来に向けて生き生きと学生生活を謳歌していた。インスタに投稿される彼らを、指でスワイプする。彼らはいつの日かの僕だったのかもしれない。




ある日のことだった。一般教養の中間試験を明日に控え、いつものように何時になったら机に向かおうか、と考えているうちに日は沈み、時計の針は夜の8時を指していた。半年ぶりに回転寿司でも食べよう、と思い立ち、バイクを走らせる。台南駅前の回転寿司。路地の脇にバイクを停めて店に入った。閉店前の店内はカップル2組と若者2人だけで空いていた。この店で食べる寿司のネタはいつも同じ。ホッキ貝、タコ、イカとサーモンをレールから取り、醤油をかける。寿司が食える。温かい緑茶が飲める。それだけで日本に帰れた気分だ。コロナで国境が閉ざされた今、寿司は日本を感じる唯一の時間だった。

寿司を食べながら、自分の将来をあれこれ考えていた。台湾に来た日本人留学生の殆どは卒業後、日本に帰って就職するらしい。目的をもって日本に帰る人、台湾での生活に疲れ帰国する人、理由はそれぞれだった。彼氏が出来たから台湾に残るの!国際結婚する!と言う子もいた。その愛のちからで世界から戦争と貧困と痔と5階のベランダまで飛んでくるゴキブリをなくしてほしい。これは個人的なお願いだが、僕が日本人と知ると、知らないアニメキャラの物まねを見せてくる人やAV動画を流し、反応を求めてくる人も僕の前からいなくなってほしい。前者はともかく、後者は一体なにがしたいのだろう。君と僕は今SDGsの授業を受けている。サステイナブル・デベロップメント・ゴールしているんだ。説教じみた講義に嫌気がさしていたのは確かだが、こういうタイプの内職があるとは思いもよらなかった。世界は広い。

明日の試験の準備もろくに出来ないのに、将来もくそもあったもんじゃない。ガリを口にし、熱いお茶で流す。最後に一皿なにか食べて帰ろうとレールに流れる皿を見ていたその時だった。

おばあさんが店に入ってきた。

褐色の肌、ヨレヨレの色褪せた服と裸足で黒く汚れたスリッパを身に、手にはファンキーな水色と黒色の穴が開いたビニール袋を2つ持っていた。辺りを見回すと店内にいた客と店員全員がドアの前で立っている彼女に釘付けだった。しばらくしてから接客することを忘れていた店員は、彼女のもとに行き、マニュアル通りに説明しているようだった。彼女は店員の話そっちのけで、まるでどこかに迷い込んだかのように店内の彼方此方に目をやっていた。店員の説明が終わり、彼女はカウンターに案内された。

レーンに流れる寿司のネタはせいぜい10種類。その他のメニューは店員に直接オーダーする、というのがこのチェーン店のルールだ。メニュー表はqrコードをスキャンしないと見られない。店員はおばあさんがスマホを持っているか確認することもなく、紙のメニューを店の裏から持ってきて渡した。彼女は椅子に座らず立ったまま、レーンに流れる皿をじっと見ていた。店員たちは店仕舞をしながら彼女を見やる。冷ややかな目で、口元は笑っていた。

僕は彼女が何を食べるのか、気になって彼女を見入っていた。彼女は店員を呼び、あれはなんだ、これは幾らだと尋ねた後、レールからサラダとプリンの皿を手に取り、食べ始めた。ここでは、寿司は一番安くて一皿30元(約150円)から。60元あればチャーハンやお弁当でお腹がいっぱいになる。彼女がどうして店に入ったのか、不思議だった。おばあさんはそれらを食べ終え、少しの時間店内を見渡した後、ビニール袋からお金を握り出し、食べ終わった皿の横に置いた。一度も椅子に座ることなく、彼女は店を後にした。

店を出たおばあさんを追いかけて、気づけばバスに揺られて小一時間、20キロ離れた小さな田舎町の寺の前に着いた。時刻は夜の10時23分。
バスを降りた後、彼女はどこかを目指し歩き始めた。ぼくは道路の反対側で彼女を見ていた。商店街のゴミ箱や店の前にあるものを物色していた。右手で何かを漁り、袋の中に突っ込んでいた。

彼女はこの後どこに向かうのだろう、そもそも家などあるのか、このあとどうやって帰ろうか。夜通し歩いて帰ろうか。駅が近くにあるが、電車はまだ走っているのか。いっそ駅のベンチで一晩過ごせばいいや。いやいや明日の朝は試験があるじゃん。そういえばバイクを駐禁の場所に停めたままだった、また違反金1000元飛ぶのか、その金があったら寿司何皿食べれただろうなあ、
などとぼーっと考えてたらいつの間にかおばあさんが町の大きな市場に姿を消した。市場には誰もいないのに何故か白色電灯がつきっぱなしだったから、すぐに彼女を見つけた。彼女は何も置いてない屋台を見つめ、時より何かを手に取っては袋に押し込んでいた。それがペットボトルなのか、食べ物なのか、わからなかった。

市場のある場所で立ち止まった彼女はおもむろに作業を始めた。遠くから様子を眺めていたが、何をしているのかよくわからなかった。10分くらい時間が経っただろう。今更ながら彼女をここまで追いかけて、ずっと見ている自分が気持ち悪く、居たたまれない気持ちになった。いっそ彼女と話をしてみよう、と思い立ち彼女のもとに歩き始めた。

いきなり夜遅くに金髪眼鏡のオレンジロンTに話しかけられて緊張の笑みを浮かべるおばあさんと一人の流暢でない中国語を話す男の対面式。距離5m。とりあえず挨拶を交わしたものの言葉が見つからず思い切って寿司屋からついてきたことを自白、少し会話すると緊張が解けたのか次第に彼女が身の上話をしてくれた。

この市場で小学生のころから50年以上野菜を売っているそうだ。貧しかったからずっと働いていて、気づけばこの歳になっていた。小さい頃に教会に通っていたから英語の歌が歌えるのよ、と歌ってくれたが、なにを言っているかわからなかった。敬老パスがあるから無料で台南に来られるらしい。それで台南の野菜市場に行って野菜を仕入れるの、と言っていた。さっきまで持っていたバッグに野菜が入っていた形跡はどこにもない。なにを信用したらいいのかわからなかったが、彼女は時折冗談を言っては、一本しかない歯としわくちゃな笑みを浮かべていた。

会話の節々で沈黙が走る。何か食べないか、と目の前にあったトマトとグァバをくれた。ネズミが食べたであろう穴がいくつもあった。食べたくはない。が、彼女の親切を無下にはできない。彼女は僕を見ている。心中を悟られないように穴の空いていないところを瞬時に探し出し、かじった。グァバは旨いけども商品になるのかってくらい穴ぼこだった。トマトは正直食えたものではなかった。ネズミがかじった箇所はちびって、彼女が作業している隙に排水溝に捨てた。
30分くらい経ち、明日売る野菜の準備が終えたようで、彼女は帰ると言って身支度をした。彼女に別れを告げ僕は市場を後にした。数キロ先に駅があり終電が20分後に出ると知り、走った。掲示板には30分遅延の表示。おばあさんの歩く後ろ姿が脳裏に浮かぶ。欠けたグァバを食べながら電車を待った。



60を過ぎたおばあさんの何に引き寄せられたのか、よくわからない。彼女が本当に野菜を市場で売っているのかも本当なのだろうか、未だに疑問だ。

いずれにしても僕はあの日、おばあさんの初体験を目の当たりにした。みすぼらしい身なりで店に入ってきた彼女は、店内にいる全員から笑われていた。

台湾に来た当初の僕は、そのすべてが初めての経験で、刺激的で、ストレスだった。それを楽しむ自分がいた。いつの間にか周りに適応し、慣れた気になっていた。殻に閉じこもり、その中でぬるま湯に浸っているうちに腐りかけていた。

あの日、彼女が寿司屋に入ってきたことに僕は今も感謝している。

翌日の試験の成績が75点だったことはいうまでもない。

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