物書く男と鬼の娘

紅花ベニバナが傷の痛みに耐えながら小さな体を起こすと、そこはどこぞの民家であった。

「気が付いたかね」
居間の奥、台所と思わしき方向からつぎはぎだらけの着流し姿の男が現れると、紅花と目線を合わせるようにあぐらを描いた。

湯島ユシマ、センセイ」
「あまり激しく動くな」と湯島は彼女を静止すると、ちゃぶ台を目線で指す。

ちゃぶ台の上、綺麗な唐草模様で縁取られた白い皿の上には、これまた馬鹿でかい握り飯が2つ。
炊いてから時間が経っていたようで冷飯ではあったが、その表面には満遍なく味付けのりが貼ってあった。

「民家の炊飯器より多少の白飯を失敬した」と湯島が紅花に促す。「君、先ほどから腹が鳴っているぞ。まずは食うと良い。家主にはあとで適当に言い訳するさ」
「…しろ、めし?」
「私が名の知れた料理人であればもっと器用なものを作れたのだがな、それが唯一の得意料理ゆえ許せ」

紅花の動きは素早かった。湯島がそう言い終わるや否やどてらの中から橙の指を伸ばし、1秒かからずに食らいついては咀嚼し、胃に流し込む。
「お、おい。あまり急くと喉に詰ま、いや傷に響くぞ…」
湯島の静止も聞かず、紅花は頭の大角を激しく揺らしながら十数秒握り飯を貪り、ふと一言呟く。

「…んめえ」
「ん?」

見ると紅花は、ほおばりかけた握り飯に大粒の涙をこぼしていた。
「んめぇ…んめぇよお…コメなんていつぶりだべ……」

「いつ、とは」
湯島の問いかけに紅花は答えず、涙で塩気がついた握り飯をまた無心で貪り始める。

…父親も母親もとうの昔に殺された彼女は、あの文明機器すら見当たらぬ荒屋になおも隠れ住み、どれほどの間孤独感とひもじさ、恐れに耐え続けてきたのか?

湯島の朴訥然とした表情が、わずかに揺れを見せた。
そのわずかな揺れの中に、雑木林をなぜる烈風のような感情のうねりが込められていることは、彼以外知る由もない。

誰だ。
誰が彼女をここまで追い込んだ。

【続く】

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